第十二話 いつか君を想う ②
照れ臭いという気持ちはとうに過ぎ去った。だからと言って、自然と話すのはまだ出来ずにいる。
私と椎本は、何となくそのまま屋内に戻るのも気恥ずかしくなって、近所の住宅街を目的もなく歩いていた。
その間の私たちは、ポツリポツリと会話を続けていた。何を話せばいいのか分からないが、無言の時間というのが無性に気恥ずかしかったのである。
つい先ほどまでは、椎本の表情を窺う余裕はなかったが、私の隣を歩く椎本を見ると、僅かに頬を紅潮させている。私を意識してくれているのだろうか。
そう思うと自然と笑顔になる。素直に嬉しいと思う。
「あ.…」
椎本は短い声を上げた。どうやらスマホに通知が入ったようで、手早く取り出すと、苦笑いを浮かべた。
「塚本が、こっち来るってさ」
そういえば、椎本は塚本に怒られてここへ来たのだったと思い出した。二人きりというのは望んでいるが、しかし、何となく第三者が入って来ることに私は安堵していた。少しはこの妙な空気感も変わるのだろうか。
「……呆れた。まだ何も話してないのか」
駅前の喫茶店で合流することになった私たちだったが、椎本の簡素な説明を聞くと、塚本はそう言って笑った。
「そういえばさ、なんでそんな話になったの?」
というのも、椎本が今更昔の話を私にしたのには、何かしらきっかけがあるはずである。それが塚本に何らかの理由で怒られたのだからとしても、そういう流れになるまでには何かがあったはずだ。
「ま、簡単に説明するとだなぁ…」
塚本は短く手際良くここまでの事を語った。椎本と塚本のいたクラスで同窓会の案内があったこと、それの発起人が地底人を名乗っていること、昨日に椎本のチャットアプリにチテイジンを名乗る何者かが見るに堪えない誹謗中傷を送信してきたこと、その中に私のことが書かれていたこと。
「ごめんね、江月を巻き込んでしまった」
「何言ってるのさ、別にこんなこと気にしないよ。それで、どうするの?同窓会に出席するの?」
「年末の開催だし、まだまだ先の話だからなぁ。まぁ、椎本は出る必要ないだろう」
それこそ、妙なトラブルに巻き込まれるかもしれないだろ。と、塚本は言うが椎本は否定した。
「いや、出るよ。多分これが、最後のチャンスなんだと思う」
「チャンス?」
「私がみんなに謝罪するチャンスだよ。私が赦しさえすれば、去年の一年間は少しだけよかったものになったのかも知れない」
椎本の言葉に、私は何を思ったのか。具体的なことは定かではないが、言葉にならない苛立ちが僅かにあった。
塚本は何を考えているのか、押し黙って椎本を見ていた。
「それはさ、おかしいよ。だって椎本は何も悪くないじゃない。悪いのは椎本を虐めていた連中でしょ?何で椎本が謝るのさ。私は関係のない話かもしれないけどさ、それでも、椎本一人が何でもかんでも我慢してっていうのは違うよ」
言ってから少し後悔した。
そう思っていることは本心だ。だが、事実として、この件に関しては私は蚊帳の外なのだ、無関係に他ならない。
思えば、椎本に惚れてからこんなことばかりだ。気持ちが言葉になるのを待ちきれないように、私の意思とは別のところで飛び出してしまう。
それは、厄介でもあるように思えた。だというのに、少し誇らしくもあった。
「私一人が我慢すればいいとか、そういうことじゃないよ。本当にそう思っている。私もさ、加害者なんだよ。それこそ、我慢していればいつかは落ち着くだろうっていう、考えがこういう結果になったんだ。反撃したってよかった、誰かに助けを求めればよかった。だってさ、クラスメイト全員が私を虐めていたわけじゃないんだから」
それは私には理解できない考え方だった。当事者にしか思いつかない考えなのか、それとも私がそういう性格だからなのか。
そんな謝罪をしたところで、椎本が救われるとは思えなかった。終わった事なのだ、ならばとっとと忘れて仕舞えば良いのではないかと思う。
しかし、惚れてしまったのは本当に厄介で。本来であれば、このような人間関係の面倒なトラブルは避けて通るのが信条であったはずだというのに、私は椎本をどうすればあらゆる災厄から守ってあげられるのかを考えてしまっている。
「アタシも、そういう意味じゃ加害者なんだよな。見ているだけで何もしなかった。それどころか、心の中じゃ、少しは言い返せばいいのになんて思ってた位だ。助けを求められなくても、お節介だと思われても、手を差し伸べるべきだったんだと、思う。そういう意味じゃ、あの時のクラスメイトは全員、加害者だろうよ」
「じゃあさ、その同窓会までに地底人とやらを探そうよ。その問題が解決するだけで少しは安心でしょ?」
私は言ってみるが、探す方法については全くもってアイデアはなかった。
「それで、探してどうするんだ?」
「そりゃ、これ以上椎本に害を与えるのなら私が相手になるよって言うさ」
「…ありがとう、江月」
「それにこの地底人は私のことも知っているみたいだしね。淫売の娘っていうのも、あながち間違いじゃないし」
私の言葉にふたりは僅かに目を見合わせた。
人間関係というのは、やはりどこかで公平性というのが重要になってくるのだと思う。それは、物的な意味ではなく、精神的な公平性だ。
つまり、椎本が過去を話してくれたのなら、私も打ち明けるべき事を打ち明けるべきなのだと思った。
私にとっては、大したことじゃない。訊かれなかったから答えなかっただけの事実なので、さしたる覚悟は必要じゃなかった。
「私の母親も、昔不倫して家を出たんだよ。それもさ、私が生まれる前からずっと、父さんを裏切っていたんだ。多分そのことを言っているのだと思う」
不倫したことよりも何よりも、家を出て行く時に、私達姉妹をまるで彼女の人生における汚点だとでもいうように、私達を否定した事実のみが、母親を嫌悪する原因であった。
幸い父は一人で子供二人を育てることはできる程度の収入はあったようだし、そうでなくとも父の先祖が残した土地は、今でも私達を育んでいる。
そういった意味でも、椎本とは比べようもなくらいに幸運だと思う。
「それにしても……」
と、私は別に気にせずとも良いのにと思うが、塚本は微妙に暗くなった話題を変えるように言う。
「地底人ってのも妙な名前だよな。なんか意味あるのかね、これ」
地底人。
その単語は、やはり私にとって何か意味のある符号なのかもしれない。
きっと、私の知る地底人のお姉さんとは別人なのだろうけど、それでも私の人生で地底人という単語はどうやら大きな意味を持つらしい。妙な縁とでも言うのだろうか。
そんなことを考えていると、不意に着信音が鳴った。それはスマホのデフォルト設定のままの着信音で、私は別の音に変えていたにも関わらず、つい自分のスマホ確認してしまった、
着信があったのは、椎本のスマホで「ごめん、バイト先から電話来ちゃった」と言い残すと小走りで離席した。
「それでさ」
塚本が妙に意地の悪い笑みを浮かべている。
「椎本に告白したの?」
「え、何で知ってるの?」
一瞬、誤魔化そうとも思ったが、塚本に対してそれは無意味だろうとも悟った。
「そりゃあ、見てれば分かるよ。結構分かりやすいぞ?」
「う、いやぁ、マジ?」
「ま、言いふらさないから気にするなって。今時同性愛なんて、そこまで特別ってわけでもないし」
まぁ、茶化すかもしれないけど、と塚本は笑う。
「告白はしたけど、返事は保留だって。だから、宣言したよ」
「宣言?」
「うん。絶対私を惚れさせるって」
もう一度口にだして、その思いは強まった気がした。
塚本は感心したように笑ったのを見て、私も妙な高揚感で口角を上げた。
戻ってきた椎本は何で笑っているのか分からない様子で、私達を見ている。
不思議と、いつか椎本が私を思う季節が来る。そんな気がしてしまったのだ。
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