第十一話 曰く、罪の話 ②

 江月は笑った。

 心をくすぐるような、柔っこい笑みで、私の頭蓋を撫でていた。

 それは罪なんかじゃない、と。ただの罪悪感でしかない、と。

 彼女は繰り返す。

「だけどもし、それが罪だというのなら。椎本と一緒に私もそれを背負うよ」

 なんとなくだけど、彼女が背負う必要のない罪を共に抱えてくれるのならば、私一人ではなく、二人でその罪をあがなうわけでもなく忘れ去るわけでもなく、ただ純粋なまでに守り続けるのであれば、それこそがあがなうことなのかもしれない、と私は思ってしまった。



 江月は気にしていないようだ。

 哄笑するというわけではないが、微笑を浮かべてから、冗談混じりにシャドーボクシングのような動きを見せた。

「もし誰かが私と椎本に対して何か危害を加えようとするならさ、その時は現実的な手段で対抗するよ」

 誇らしいとさえ思う。

 こんなに強い人が、私を好いてくれているのが、誇らしい。

 可愛らしくさえある彼女のぎこちないシャドーボクシングは、どんなに筋骨隆々な格闘選手よりも強く見えた。

「私は、誰かに頼ってばっかりだ」

 他人を拒絶し、他人を遠ざけた私が、誰かに守られてばかりだというのは、厚顔無恥にも程があるように思える。

「ね、椎本。少し庭に出ようか」

 江月は私の手を引いて、庭に誘い出した。

 残暑で茹だるような暑さだったはずなのに、山の裾から吹き込む風が、屋内で感じるクーラーの涼しさよりも優しく感じられる。

 そういう違いを嬉しく思うのも、ひとえに私の気持ち一つで変わってしまうものなのだろう。

「私は、さ。この庭が、好きだよ」

「最初に会ったのも、椎本がここを見ていたからだもんね」

「うん。こんなに沢山の花を咲かせられる人って、きっと優しい人なんだろうなって思ってた」

 それは素直な気持ちだった。思えばあの頃から私は誰かの優しさに飢えていたのかもしれない。

 だからこそ、自然の中で無償で優しさを振り撒く華が愛おしく思えたのだ。

「それは言い過ぎだよ。私は優しくなんかない」

 こんなにも温かい人が、優しくない筈なんかない。彼女の謙遜のような反応に、私はそうやって反論しようともしたが、すぐに口を閉じた。

 江月は、まだ何かを言おうとしてる。彼女の言葉にはまだ続きがある。

 多分、それを察知出来るくらいには、私は彼女と同じ時を過ごしてきたのだろう。たった数ヶ月だけど、それが分かるくらいには、江月という女性のことを理解し始めていた。

「椎本にとって、私が優しく見えるのはさ、多分私がそうだからだよ」

「--そうって?」

 とはいえ彼女の紡いだ言葉はあまりにも抽象的過ぎた。

 しかし、どこか彼女が言い淀んでいる様子を見て、合点がいく。それと同時に自身の迂闊さを怨んでしまう。

 それを聞いてしまえば、この関係は終わる。その先がどうなるのかは分からないが、私はまだ踏み出す準備ができていない。

 それでも、私の迂闊過ぎる問い掛けは放たれてしまった。

 矢のように鋭く、飛んでいった。

「--ええと、それは--」

 ああ--。

 もしかしたらここで私が何か言えば、止められたのかもしれない。

 江月を理解し始めたというのは、必ずしも有益なことだけではないようだ。

 何故なら江月が覚悟を決めてしまったのだと、表情な僅かな変化で悟ってしまったからだ。

 果たしてそれを受け止めることはできるのだろうか。私は彼女を受け止められるのだろうか。

 それはまだ分からない。

 だが、彼女の決意を阻む権利は私には無いのだ。


「--私が椎本楓っていう、一人の女の子を好きだからだよ」


 静かな山の手の古庭には、梅、蓮花、桃、藤、山吹、牡丹、芍薬と順々に咲いていっては散っていった。

 そして今は、彼岸花や鶏頭、芙蓉、秋桜、百日紅が咲いている。

 不思議なのは、こんなにも華やかに咲き誇る花々よりも、江月の紅潮した頬が何故か可憐な華のように見えたことだった。

 カラカラと少し滑稽な音がする。

 屋根の上にある風見鶏が風を捕まえて忙しなく動いていた。

 その風に乗って、庭園の花の香りが鼻腔を擽る。

 そして私は--。

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