第一話 地底人は空を見る ②

 天気予報アプリの予報が外れたのは喜ぶべきかそれとも残念に思うべきか。

 すっかり晴れ間を覗かせた空の下で、私は須磨に先導されて学校近くの喫茶店に足を運んでいた。

 その喫茶店に着くまでにおおよそ彼女が泣いていた理由を聞いてしまったが、それを知ってもなお私にどうにかできる問題とは到底思えなかった。

 つまるところ、中学時代から付き合っていた彼氏と別れたらしい。それも、一方的に突然別れを切り出され、須磨本人が言うには彼氏が進学した高校で好きな子が出来たのではないかという話だ。

 この時点でもう私の手には負えない問題だ。彼女の心を癒すのは当然無理だし、傷ついた心を快方に向かわせるような気の利いた言葉なんて一つも浮かびはしない。

「陽太は、別々の高校に進んでもずっと好きだからって……」

 しかし、気の利いた言葉など一つも必要はないのだ、と気づかされたのは遠慮がちに店員がコーヒーをテーブルに置いてから五分後のことで、席についてからは十分後のことであった。

 延々と彼氏との思い出を聞かせてくる須磨を見て、早くも私は家が恋しくなってきた。

 これがホームシックというやつか。いや絶対に違うな。

 などと下らないことを考える程度には、彼女の失恋話を聞かされるのは苦痛であった。

 要するに、須磨は彼氏と別れたことを悲しんでいる訳ではないようだ。

 否、悲しんでいることは悲しんでいるのだろうが、私の目には彼氏に突然裏切られて可哀想な自分を演じているのが楽しくてしょうがないという風に写ってしまっている。

 その証拠に元彼にいかに愛されてきたのか、その裏切りはいかに非人道的なものであったのかということを示すネタが尽きたのか、冷ややかに見ているはずの私の目をじっと見つめ返して、須磨は潤んだ瞳でこう言った。

「椎本さん、優しい人だったんだね。こうして慰めてくれるなんて、本当にありがとう」

「……そりゃ、クラスメイトが泣いてたらね、話くらいは聞くよ」

 心に整理がついたのなら早く解放してくれ、そんな想いを、特に語尾の部分で強めに乗せて言ったのだが、上手く伝わらなかったようだ。

「ね、椎本さんってさ、放課後とかいつも何してるの?」

「え?普通に家にいるけど」

 突然何を言い出したんだ。

 私は須磨の言葉に警戒して、軽く嘘をついた。大体は街をブラブラしている。それかバイトをしている。夕方の内に家にいるのは落ち着かないのだ。

「絶対嘘でしょ。椎本さん美人だもん、他の学校の人と遊んでるんじゃない?同じクラスの春山さんって分かる?あの子が放課後によく街で見かけるって言ってたし。それにほら、なんか何人かの男子と歩いているところも見たって」

 何人かの男子?

 そんな根も葉もない噂が飛び交っているのか、と一瞬溜息をつきたくなったが、思い当たりが一つだけあった。

 確か、バイト先の同僚達と買出しに行ったんだった。それも、その時一度きりだし、あの光景が一緒に歩いている風に見えたのなら眼科をお勧めしたい。何故なら、バイト先の男子二人が私の数歩前を歩きながら二人で談笑し、その後ろを私がスマホを弄りながら着いていただけなのだから。

「ね、ね。紹介してよ。椎本さん美人なんだから一杯男子知ってるでしょ?」

 須磨は美的感覚が少し他人とズレているらしい。私を美人と言うならば、私はもっと堂々とした性格になっていてもおかしくない。見た目が良ければ、もう少し世界だって私に優しいはずなのだ。

 まぁ、彼女なりのお世辞なのだろう。これから男を紹介してもらうつもりでいるのに、私を貶す馬鹿はいるまい。

「あれはバイト先の人だと思う。仲良くないし、紹介もできないよ。ごめんね」

「いいじゃん別にさ。ね、ね、一回でいいから。夏休み前に彼氏いないなんて最悪でしょ?」

 殴りたくなってきた。

 本来暴力的ではない分の反動が来てしまったのか、苛立ちを覚えた私は人生で初めて人を殴りたいと思ってしまった。

 落ち着け私。

 と、息を大きく吐き出してから、アイスコーヒーを一口飲む。

「須磨さんはさ、もう少し自分を大事にしたほうがいいよ」

 どうにか穏便に彼女の「男子を紹介して攻撃」を躱しつつこの場を離れられる方策はないかと考えながら私は口から出任せに落ち着いたトーンで話す。

「私のバイト先の男子二人だって、きっと須磨さんには合わないよ。もっと素敵な人がいると思う。待っていても、きっといい人が向こうから来るよ。須磨さん可愛いし性格だってきっと男子が好みそうな女子って感じだし」

 果たして男子はどんな性格の女の子が好きなのか。そんなの知ったこっちゃないし、それを知りたいとも思わない。ちなみにその答えを聞いて性格を変えてみようと考える女子は嫌いだ。

 嘘とお世辞のハイブリッドのような言葉を捲し立てた後、数秒の空白があった。

 私はそんな空白に耐えきれず、店内の時計に目を配ると、まだ店に入って十五分も経っていない事実に驚愕した。

 それと同時に、江月と毎日過ごしている登校時間の二〇分がどれだけ短く感じていたのかを思い知った。

 他人との会話はストレスしかない、というのは流石に言い過ぎだが、それでもそれに近しい印象を抱いている私にとって、一緒に過ごす時間が短く感じる江月の存在がどれだけ貴重なのかと思いを馳せた。

 私の残りの人生であとどのくらいそういう存在に出会えるのだろう。恐らくはそう高い確率ではあるまい。

 そう考えると、無性に江月に会いたくなってきた。多分、メッセージを送れば江月は短い了承を返してくれるだろう。

 私はスマホを取り出してメッセージを送ろうとしたが思い直す。

 私はいつだって思い違いをする。一方的な期待は、失望を招くだけだ。

 行き場のなくなったスマホはテーブルの上に置かれた。視線を上げると、須磨はこちらを見ていた。

「本当に椎本さんって優しいね。そんなこと、初めて言われたよ。ごめん、陽太に振られて、馬鹿なこと考えてたみたい」

 ポツリ、と呟くような小さな声だった。

 なんだ、案外私ってば交渉力あるじゃん、と的外れな自画自賛をしつつ、

「きっと須磨さんには素敵な恋人が見つかるよ。私、応援してるから」

 などとどこぞのドラマで見たような台詞を吐いてみる。

 そんなタイミングでスマホが震えた。テーブルの上に置いていたせいで、結構大きな音が出て少し恥ずかしい。

 慌てて画面を見ると、江月からのメッセージを受信していた。


「今暇かな?これから会える?」


 なんという青天の霹靂。

 蜘蛛の糸が降りてきたのを目撃したカンダタのよつな気分を味わいつつ、私は立ち上がる。

「ごめん須磨さん!急用が入っちゃった。お金ここに置いておくから!」

 まるで本当に急を要する用事が突然舞い込んできたかのように演じつつ、コーヒー代をテーブルの上に置く。

 須磨さんはわずかに驚いたようだが、すぐに頷いてから、

「今日は本当にありがとう、椎本さん。また、明日学校でね」

「え、う、うん。じゃ、また!」

 できれば以前のように私には構わないで欲しいと思いつつ曖昧な返事をして外へ出る。

 駅前まで自転車を走らせながら日が沈みかけた空を見上げた。

 雨の匂いは残っているが、雨雲はすっかり消え去っている。



 雨が降ると地底人は大変なんだろうなぁ。

 いつか見た夢を思い出しつつ、私は江月のもとへと急ぐのだった。

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