いつか君を想う季節【完結】
カエデ渚
プロローグ 1
人を愛するということはどういうことだろう。
カラカラと走る度に軽い音を鳴らす古い自転車は私の問いかけに対して何も答えはしない。
きっと、私には一生理解し得ない感情なのだろう。
ドラマを見ても映画を見ても、私には理解できなかった。会えない寂しさとか、想いが届かない切なさとか、初めて想いが通じ合う時の甘酸っぱさとか。そんなワンシーンを幾度となく見ても、頭で理解はできるが、共感は出来ないのだから、きっと私はそういう機能が備わってないのだろう。
例えば心には臓腑の如く、それぞれに役目を背負った器官があるとする。喜怒哀楽とか勤勉さとか怠惰とかを司る器官があって、きっと私にはその中で人を好きになったり愛したりといった機能を持つ器官が欠落してしまっているのだろう。
両親や友人を好きだと思う気持ちとは、少し違う。それらとは別種の好きを愛と呼ぶのなら、やはり私は愛に関して不感症なのだ。愛が前者の好きから派生するものならば、もしかしたら私にも愛とやらを感じられる可能性があるのかもしれないが、今のところそれらが愛に繋がる感情とは思えない。
そりゃ勿論、テレビでカッコいいアイドルを見たらカッコいいとは思う。だけど違う。
それは感想に過ぎない。猫や犬を見て可愛いと思う感情と一緒で、見たままを受け取った心情にしか過ぎないのだ。
だから、いつしか私は諦めてしまった。
少女漫画のような可憐な恋愛も、映画のような華やかな恋愛も、ドラマのような魅力的な恋愛も、遠い存在だと諦めてしまった。あれらは全てファンタジーで、似たようなことが現実にあったとしても、私にとって、それは遥か遠い異国の話のようなものだ。
何故なら私は誰かを愛することも出来ない欠陥品だから。そんな私はきっと、私自身すら一生愛せないのだろう。
静かな山の手の古庭では、梅、蓮花、桃、藤、山吹、牡丹、芍薬と順々に咲いていっては散っていった。
つまりは初夏ということになる。
高校に進学してから自転車で毎日この古い庭の前を通るようになってからは、不思議と季節の移り変わりを細かく実感するようになった。
成る程、二十四節気などという細かな季節の分別は、こうやって実感するものなのか。
少しだけ大人びたような気がして、私はその古庭を毎日眺めていたが、紫陽花が咲き始めた六月のその日は少しだけ様子が違った。
生垣の奥にある庭園と評しても良い程に広い古庭の側に非常に古めかしい洋館が建っており、根拠もなしに私はそれを空き家だと思っていた。
だが、こんなにも庭は手入れがされているというのに、肝心の住処の方が無人だと考えるのは今考えると明らかに辻褄があっていないし、浅慮であったともいえる。
つまり、少し様子が違う、というのはその庭園で恐らくその洋館の住人と思われる女性が草木に水をやっていたからだ。
眠たげな瞳を擦りながら、気怠げな所作で無造作に散水用ホースを右に左に揺らしている。
目を引いたのは私と同じ制服を着ているというところだ。紺色のブレザーの胸元には現役生徒からは大いに不評な校章がデカデカと縫い付けられていて、同じく紺の地色のプリーツスカートはブレザーと組み合わせると非常に地味ということでこれまた女生徒の反感を買っている。
自転車を止めてマジマジと眺めていたら、私の視線に気づいたのか、その女生徒は微笑を浮かべると散水用ホースから飛び出る水を止めて、生垣と同様に腰ほどの高さしかない門扉を開いて歩み寄った。
私は人様の家を覗き見していたという後ろめたさがあったために、すぐにでも逃げ出そうとしたが、彼女の笑顔とその理由が気になり、彼女が何か言い出すよりも前に謝罪することにした。
「すいません、勝手に見てしまって……」
「えっ?あ、庭のこと?いいよ、別に。ここのところ最近ずっと庭を見ていたもんね。花、好きなの?」
今日だけでなく、毎日通学する度に足を止めて庭を眺めていたことが知られていたことに、きっと私は赤面してしまっていたのだろう。赤面している、と自身でも理解してしまう程に耳が熱いのだから、間違いはないはずだ。
しかし、彼女は気づいているのかいないのか、気を遣って気づかないフリをしているのか。
そこまでは分からないが、何も言わずに私の返答を待った。
「は、はい。あ、いえ、好きって程では……。けど、ここの庭、色んな種類の植物があるから季節の移り変わりが分かりやすくて、目に入ってしまうんですよね」
「そっか。季節の移り変わり、ね。全然そんなの気にしたことなかったな」
と、彼女は笑った。
とても大きな二つの瞳は私を見ていた。
女子にしては少し低めの声だが、作り物ではない自然で凛とした可愛らしい声だ。
頭髪はセンター分けのボブで活発そうな印象を与えるが、それとは逆に少々華奢な身体つきと上品な仕草は深窓のお嬢様のようなイメージを与える。
どこかあべこべだが、得てして一貫性のある姿形と性格を合わせ持つ人間などそうそういない。それどころか、彼女はそのどこかちぐはぐな印象すらも、不思議と魅力的に感じさせる。
「ね、君一年生だよね?これから登校?」
「そうですけど……」
「私も一年生なんだ。ね、よかったら一緒に学校行かない?」
「え、あ、うん。いいよ」
私はどこかふわふわとした気分のまま二つ返事で了承すると、彼女は一度庭の中に戻り、すぐに自転車を押して戻ってきた。
「あ、そうだ、まだ名乗ってなかったよね。
江月は白い歯を見せて笑みを浮かべながらそう言う。
「私は――」
と、私も自己紹介しようと口を開くとそれを遮るように江月は言葉を継いだ。
「
「えっと、なんで私の名前を?」
私の記憶には、彼女と会った記憶はない。こんな美人が同じ学年にいただろうか、と訝しんだ程だ。一度会ったというのに忘却したというのも考え難い。
そもそも、まだ二ヶ月程度の高校生活の中で、誰かを忘れてしまうほど、多くの人間と人付き合いもしていないのだ。
だからこそ、純粋に何故江月が私を知っているのか。それが少し気にかかった。
「さて、何故でしょう」
江月は悪戯っぽく笑うと私を見た。
隣の教室なので当然入学したての自己紹介は聞いていないだろうし、あるとすれば私のクラスメイトと友人でそこから私の話を聞いたというのが有力ではあるが、わざわざ別のクラスの友人との間で私のことを話題に出す程仲の良いクラスメイトは心当たりがない。
私の悪評であれば、仲が良くなくても話題には出すだろうけれど。むしろそちらの方が蓋然性の高低から言えばかなり高い。
答えに詰まっていると、悪戯っぽく笑ったまま江月は話題を変えた。
「ね、椎本。あ、呼び捨てでいいよね?」
江月は思い出したかのように突然そう言い出したので、軽く肯定する。
「じゃあ私も呼び捨てにしてよ?江月でも若菜でもどっちでもいいからさ」
私より少し背の高い江月は肩越しに反応を伺うように私を見る。
じゃあ江月って呼ぶうかな、と少し照れ臭くなりながらも言うと満足そうに頷いた。
そんな仕草がどこか可愛らしく感じられてしまったためか、いつもであれば彼女のように急に距離を詰めてくるタイプの人間が苦手なはずであったはずなのに、江月に関しては微塵も苦手だとか不得意だとかネガティブな感情は湧いてこなかった。
その後、学校に着くまでの間に交わされた会話が果たして弾んでいたのか否か。
江月が受け取った会話の印象は定かではないが、私は自分でも驚くほどに会話が続いたと感じていた。高校の駐輪場ではチャットアプリのIDまで交換してしまった。
悲しいことに私は高校に入学してから新たに友人が増えたということもなく、それもあってか、チャットアプリの「新たな友人」という枠に江月若菜という四文字が浮かんでいるだけで、不思議な感じがしている。
おかげさまで毎日三十分前には教室にいた私であったが、その日ばかりは初めて近くギリギリの時間帯に教室に到着することとなった。
席に座り、一限目の準備をしていると、ブレザーの内ポケットに入れておいたスマホが僅かに震える。
教師がまだきていないことを確認してからこっそりとスマホを覗き見ると、江月からメッセージが届いていた。
「友達になった記念に、お昼一緒にどうかな?」
二つ返事で了解した旨を返そうとフリック入力していると続いて可愛らしいキャラクターが疑問符を浮かべて返事を促すような画像が飛んでくる。
まるで、江月が同じような表情でこちらを見ているような気がして、少しだけ面白いと私は感じた。
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