No.30 - 病室の異変
「あれ、起きてる……?」
カプセルの内側で眠っているマコトの目が、覗き込んだソフィアの視線とまっすぐにぶつかり合った。開いたばかりの瞳に生気はなく、瞼も薄く伏せられている。自分の置かれた場所を理解できておらず、ガラスの中のマコトはゆっくりと周りを見回し始めた。
「マコトさん? 大丈夫ですか?」
ソフィアは目を覚ました彼に声を掛けたが、彼はその呼び掛けにはまったく反応を見せない。カプセルの内側を興味深げにペタペタと触れて観察するばかりで、目の前で不安げな顔をするソフィアのことを認識していなかった。彼女はそんな彼の様子に違和感と不安を覚えて席を立つ。
「ちょっと待ってて下さいね、先生呼んできますから!」
彼女はそういって病室を飛び出していった。勢いに任せすぎたせいか何もないところで躓いて、前のめりになりながらも走っていく。揺れたカーテンはゆっくりと元の位置に戻っていった。
周囲に誰もいなくなった後、マコトの入るカプセルの扉が軽快な電子音を立ててわずかに持ち上がる。扉の縁から漏れ出した内部の清潔な空気が、温度差によって水滴を持ち白く見えた。その後、低く小さなモーター音とともに、扉はゆっくりと開いていく。
マコトはカプセルの中から、自分を覆っていたものがゆっくりと取り払われていくのをじっと見ていた。同時に、ガラス越しに僅かしか見えていなかった病室の風景にも興味を持ったのか、体を起こして視線をあちこちへと向ける。好奇心の赴くまま、覚束ない足取りでカプセルから外に出ようとして、すぐに床へと倒れ込み、うつぶせになったまま自分の体を見た。ややあって、倒れた原因に気が付き、ゆっくりと立ち上がることができた。
しかし、立ち上がったのも束の間、再び倒れてしまう。さらに二回程転んでから、ようやく安定して歩くことが出来るようになった。
足元を見ながら、一歩一歩着実に、ふらふらと病室の中を歩き回り、やがて何かを求めて外へと歩き出していった。
◇◆◇
「すみません、船務長権限じゃ開けられないので」
「分かりましたって、そんなに引っ張らないでください……」
ソフィアは嫌がる船医を引きずるように連れて病室に戻ってきた。出て行った時の服装とは違って、看護用のエプロンと手袋を着用している。ずるずると船医を引きずって、マコトが入っているカプセルの場所の前に立つ。だが、ロックがかかっていて閉じていたはずのカプセルは完全に開ききっており、そこにいたはずのマコトの姿はなくなっていた。
「……あれ、マコトさん!?」
困惑を隠しきれないソフィアに向かって、船医は少し強めの口調で話しかけた。
「あの!」
その大きな声にソフィアは肩を竦める。
「……引継ぎ間もないのはよくわかってはいますけど、我々にも仕事がありますので」
「す、すみません……」
溜息を吐いて出ていく船医の後姿をソフィアは力なく見送った。彼女の姿が完全に見えなくなってから、ソフィアは内心の焦りに身を任せ、大きな音を立てる心臓をなだめながらマコトの姿を探す。開きっぱなしのカプセルの前で頭を抱えながら、彼女は必死に脳を働かせた。
「勝手に歩き回られたら困るし……っていうか、マコトさん認証情報も持ってないのにどうやって……?」
彼女はしばらくの間小さな声でぶつぶつと呟いていたが、すぐに短く息を吐いて顔を上げる。
「カプセルのログを見よう、いつ出て行ったかそれでわかるはずだし」
そういって彼女はすぐに、マコトが入っていたカプセルのタッチパネルからログ画面を開いた。カプセルのログを眺めながら、開く直前の時間へとスクロールしていく。
「あった、5分前……」
詳細画面を開くと、5分前時点でのマコトのバイタルインフォが映し出された。それらのグラフや数値を眺めながら、カプセルのロック解除機構の欄を探す。しかし、船員IDが必要な解除認証をどのように突破したのかは、すぐにわかりそうになかった。
「シドさんに連絡だけでもしておこう」
NEftNからシド宛に連絡を送った後、手癖で画面をタップし続けていると、彼女はデータの不自然な点に気が付く。ソフィアがマコトの目覚めを確認した時点から、カプセルから出る直前まで、彼の脳波計に覚醒の兆しはどこにも見られなかった。
「え、どういうこと、これ……」
◇◆◇
「おい、あんた誰だ……?」
「?」
不確かな足取りで歩いていると、作業中の乗組員がその前に立ち塞がった。焦点が合わない視界の中で、作業服を着て顔を黒く汚している乗組員の姿がぼんやりと映る。彼の呼び掛けに対して反応を見せなかったことで、乗組員は警戒感を露わにして仲間に声を掛けた。呼び掛けに応じた2人がやってきて、全員でマコトの周りを囲う。
「こんな奴乗ってたっけ?」
「いや、分からん」
「あの、誰だかわかんないけどこっから先は一部除いて立ち入り禁止になってますよ」
マコトを見るなり口々に彼らは話し始めたが、彼は無言を貫く。問いかけに応じないマコトの姿に、彼らは確かな不信感と敵対心を覚えているようだった。最初に声をかけてきた男の呼び掛けに対して首をかしげてみせると、彼らはちらりとお互いに目配せし、徐々に距離を詰めてくる。
「……」
ひときわ体格のいい男がずいっと前に出て、両腕を後ろ手に掴み上げる。
「ほら、大人しくお縄を頂戴してもらお――!」
体が引っ張られた瞬間に合わせて、僅かなスペースを使って肘打ちを食らわせる。拘束が少し緩んだのを見計らって体を振って腕を解き、一番最初に声をかけてきた乗組員を突き飛ばして廊下の奥へと駆け抜けた。
「あ、おい! 大丈夫か!」
突き飛ばされた乗組員も背中を曲げて呻いていた。肘打ちを食らった男は痛みに悶えていて追いかける素振りは見せない。残された船員は自分のNEftNから近場の警備ドロイドの起動依頼を艦橋へ向けて飛ばした。
まったく処理される気配のない申請に彼が歯噛みしていると、後ろから走ってくる音がする。
「ちょっと、そこの人!」
「ッ! 船務長!」
ソフィアは大きく肩で息をしながら声を掛け、乗組員たちの前にやってきて膝に手をつく。荒い息が落ち着くのを待たずに、彼はソフィアに向かってまくし立てた。
「今、ここに来た人、どっちに行った!」
「向こう側です、機関室の方へ行きました」
「追いかけて、すぐに! 警備ドロイドは、私が動かしますから」
「は、はい、分かりましたっ」
乗組員は指示に従い、作業服のままマコトの後を追って走り出す。ソフィアもその後を追いながら、船務長宛に転送された申請に許可を出した。
No.2038 二日ゆに @yuni_hutsuka
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