第43話 繋ぎの王妃①
公国カルデ。それがバーネットの故郷。
今はもうこの世界のどこにも存在しない国。
彼女はその国の第一王女として生まれた。
王女と言っても、専属の侍女もいない。自分のことは自分でしなければならなかった。
糸紡ぎも機織りも、裁縫も、料理も、そして狩りも、捕らえた獲物の解体も。
北に位置するその国は冬ともなれば何日も吹雪に閉じ込められ、常に寒さと飢えに怯えていた。
彼女が得意だったのは狩り。
公国を継ぐ弟の体が弱かった分、彼女が国を盛り立てて父達を支えていこうと思っていた。
そんな彼女に突然、結婚話が舞い込んできた。
相手は大国バイルシュタイン公国の王太子、エステバン。
しかし驚いたのはその条件。
バイルシュタインからは向こう三年は飢えることのないほどの食料と貴金属。
そして有り余るほどの支度金と、豪華な馬車が贈られた。
代わりにこちらから一切の持参金は不要。彼女は身ひとつで嫁いできてくれればいい。
あまりにこちらにとって都合のいい話だった。
その上、この先も定期的に食料の輸出をしてくれるという。
それほどの条件まで出して、しがない小国の自分に結婚の打診をしてくるなんて、さぞや相手の王太子が酷いのだろうと思いきや、そんなことはなく、贈られてきた姿絵も見目麗しい美男子だった。
文武両道とまではいかないが、王太子としての素質を充分に兼ね備えていた。
豪華な馬車に乗り訪れたバイルシュタインは、彼女の祖国とは比べものにならないほど豊かだった。
魔法はほんの少し、風魔法しか使えない、貧国の王女である自分が嫁いできて良かったのかと、恐れおののいた。
「ようこそ、バーネット」
出迎えてくれた王太子のエステバンは姿絵よりずっと立派で、彼女の心はときめいた。
(こんな素敵な人が私の夫? 本当にこんな大国の王妃に私は勤まるのかしら)
そんな思いが彼女の頭を過ぎった。
うまい話には必ず裏がある。
そのことを知ったのは、嫁いでからだった。
無知、と言われればそうかも知れない。父達は知っていたようだが、野山を駆けまわり日々の生活に必死だった彼女は、「月宮の主」のことも「繫ぎの王妃」という言葉も知らなかった。
そして彼女はすぐに身ごもった。
それまでは、周囲も彼女を気遣って耳に入れないようにしていたのだろう。
マリオンを身ごもり、悪阻に苦しんでいた彼女は、床に伏すことが多かった。
あれほど野山を駆けまわり、病気一つしなかった健康の代名詞のような自分が、まさかこれほど重い悪阻に苦しめられようとは思わなかった。
水しか口にできず、果物も柑橘類をほんの少し食べては吐く。肌は荒れ頬が痩け、腕は枯れ枝のようになった。
母も悪阻で苦しんだと聞いたが、悪阻がこんなに苦しいものだとは思っていなかった。
吐くものは何も無いのに、吐き気だけが襲ってくる。
寝ていても辛く、少しうとうとしてははっと目が覚めて、またうとうとするという日々を過ごしていた。
心配して見舞いに来てくれたエステバンにも、自分のやつれて亡霊のようになった姿を見られたくなくて、断っていた。
ふと、重苦しい胸焼けに目が覚めた。
枕に埋めた頭を動かし窓を見ると、真っ赤に染まった空が目に映った。
(もう夕刻なのね)
少しでも赤ん坊のために栄養を付けようと何とか具のないスープを口にしたが、半分ほど飲んで込みあげてきた吐き気にそれ以上は諦めた。
口を塞ぎ、吐き気を一生懸命堪えてそれを呑み込んだ。
子どものためにも、少しでもお腹に入れないといけない。
男か女かわからないが、この子は私とエステバンとの初めての子。
大国の王妃として、後継者を産むことは彼女の大事な役割だった。
「繋ぎの王妃」という言葉を耳にしたのは、そんな時だった。
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