第36話 温室の異変
「ここで何をしていなさる」
声がした方を振り返ると、体の大きな繫ぎの服を着た男性が声を掛けてきた。
「トリビュー」
「あ、これはマリオン様」
振り返ったマリオンが男性の名を呼ぶと、男は彼に気づき膝を折って頭を下げた。
「畏まらなくて良い。久しぶりだな」
「どうかされたのですか? そちらは?」
トリビューは顔を上げてマリオンを見てから、傍らにいる陽妃や紫水達を訝しげに見た。
マリオンが女性と一緒にいることもさることながら、紫水達の人間離れした美しさに眉を顰めた。
「まあ、その、こちらは陽妃といって、ちょっと温室に用があるというので案内している」
「マリオン様がですか? リュシオン様ではなく?」
「どういう意味だ」
自分が温室に滅多に足を踏み入れたことがないことは自覚している。しかしなぜそこにリュシオンの名前が出てくるのか。彼だって男だ。温室には縁が無いのは同じ筈だ。
「いえ、リュシオン様は時折王妃様とここに足を運んでおられましたので」
「リュシオンが、母上と?」
「と申しましても、マリオン殿下よりは、という程度ですよ」
フォローになっているのかわからないフォローを口にする。
「それで、温室で木も花も見ず、壁を見て何をされているのでしょうか」
やはり彼にも壁に見えるのか。
「質問してもよろしいですか?」
陽妃がトリビューに近寄って声を掛けた。
「知っていることは何でも答えていい」
マリオンがそう言うと彼は頷いた。
「あなたがここで働いてどれくらいになりますか?」
「三十年になります」
「ここはその頃からこういう状態ですか?」
「仰る意味が・・」
「ここはあなたが勤め始めてからずっと壁でしたか?」
「もちろんです」
「では、ここに誰か来ることは?」
陽妃の質問に即答していたトリビューだったが、その質問にはすぐに答えなかった。
「トリビュー」
「あ、はい、王妃様が時折ここにいらっしゃることがあります」
「母上が? リュシオンも一緒か?」
「いえ、その時はいつもお一人でお越しになられます」
「ここで母上は何をしているのだ?」
いつの間にかマリオンが質問を始めた。それも矢継ぎ早に。トリビューは訳がわからずただ聞かれたことに答えていく。
「わかりません。ここにいらっしゃる間は近づくなと言われておりますから」
王妃に近づくなと言われ、彼はただそれに従っただけ。よもや逆らうことなどできない。
「殿下、私にも質問させてもらえますか?」
マリオンにいつの間にか主導権を握られた陽妃が口を挟む。
「何も存じません。本当に王妃様がここにいらっしゃる間は・・」
自分はちゃんと王妃の命令に従ったと彼は主張する。
「最近、温室に変化は?」
「変化・・ですか?」
「そうです。どんなことでもいいです。作業していていつもと違うな、おかしいなと思ったことは?」
陽妃が訊ねると、彼は顎に手を当て考え込みながら視線を左に動かす。それは思い出している時に見せる仕草だと聞いたことがある。
「トリビュー」
待ちきれずマリオンが催促すると、陽妃が黙って首を振る。
「何でもいいのですか? 王妃様とは関係ないことでも?」
「ええ」
「最近・・木々や花の発育が悪くなり、根腐れを起こすようになりました。それから、虫が」
「虫?」
マリオンが聞き返す。
「はい。虫は実のなる花には必要なのですが、その虫がまったく寄りつかなくなりました。なのでわざと虫を捕まえて放ったりするのですが、ことごとく死んでしまうのです」
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