第21話 感情

「わたし、音楽辞める」


事務所に入るなりハルが言った。



ストーン・レコード・ジャパンは大騒ぎだ。

既に武道館を完売させるほどのミュージシャンだ。

何より、ここで終わらせるにはあまりにも惜しい才能だった。



「急にどうしたって言うんだ!これからじゃないか!」


「急じゃないです、前から考えてました。ファンの皆さんには武道館で自分の口から伝えます」


「・・・・・この先のことは?」


「普通に就職します」




ミズタニを始め、何人ものスタッフが囲い込んで説得している。

タカハシはこれほど無駄な行為を今までの人生で見た事がない。




「ナツさん、何とか言ってやってくれ!もうあなたの言うことしか聞かないんだよ!」


「ハルの才能は惜しいです」


ミズタニの顔が明るくなる。


「でしょう?ほら、ハル!ナツさんだって続けて欲しいんだ!歌うお前を見ていたいんだよ!」


「そこまで言ってませんけど」


今度は青くなる。


「おいおい!」


「僕の言うことを聞いたことなんてありませんよ」


「そんなわけないでしょう!」


「命令も指示も依頼も、したことがありません」



皆がハッとした表情になる。ミズタニも冷静さを取り戻す。

タカハシはいつでもハルの味方だ。誰よりもハルを理解していた。

ミズタニを始め、長年のパートナーであるスタッフより、恐らくは彼女の両親より、きっと彼女自身よりも。

この世界の誰よりも感情を分け合ったハルを理解している。



「2人にしてください」


「・・・・・すまなかった。あとは任せるよナツさん」


ミズタニとスタッフが退室し、ハルがタカハシの知る表情へ戻っていく。





ハルと向き合う。


「ハル、他にやりたいことはあるの?」


「ナツと一緒にいたい。他はどうでもいい」


「それって、僕が倒れたからでしょ?じゃあ、やりたいことがないんだね」


「・・・・・・・関係ない・・・・どうでもいい」


「ハル、音楽は好き?」


「・・・・・・・わかんない」


「僕は好きだよ。その気持ちはずっと昔に置いて来たはずだった。でも、ハルとミズタニさんが思い出させてくれた」


「・・・・・・・・」


「ハルが歌う姿を見ていたいのは本心だよ。もう一度聞くよ。ハル、音楽は好き?」


「・・・・・・好きかも・・・・やっぱわかんない」


「じゃあ、もう辞めよう」


じっとタカハシを見据えていたハルの瞳が下を向く。

大粒の涙が床に溢れる。


「・・・・・・・ごめん、嘘ついた」


「・・・・・・ハルが希望を与えてくれたんだよ。今は死にたいなんて思っちゃいない」


「・・・・ナツがいなきゃ嫌なんだよ」


「どこにも行かない。僕が約束を破った事がある?」


「今度は僕がハルの希望になりたい。ダメかな?」


「・・・・・・・もうなってるよ」


そう言うと泣きながら笑った。

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