第10話 lost world(ルセウス)

 やっと解放された自分に知らされたのは信じたく無い残酷な話だった。


「嘘だ⋯⋯」


 同じアレクシオ王太子殿下の側近、専属護衛騎士のアイオリアが苦々しい表情のまま私の肩に置いた手の力を強めた。


「残念だが⋯⋯本当だ」

「嘘だっ嘘だ! 嘘だ!!」

「暴れるなっルセウス! 落ち着け! 誰か手を貸せ!」

「嘘だ⋯⋯嘘だ⋯⋯ああっあああっ!」

「しっかりしろっルセウス! おいっ!」


 アイオリアの声が遠ざかり私は絶望の闇へと落ちて行った。



 私とアメディアは幼馴染だ。

 同じ学舎で学び、それぞれが爵位を継いでからも交流が続いていた父親達に連れられて出会ったのが始まりだった。


 雨の日は二人で本を読み、晴れたら馬の世話をしたり。そんな何げないアメディアとの時間が私は心地良かった。


 私が恋心を自覚したのは⋯⋯嵐が明けた日。

 その日、私は父親に大層叱られ家出をした。原因は恐らく何かを壊したとかだった気がする。

 しかし、子供の家出だ。遠くには行けない。案の定私はバートル領の林に逃げ込み、前日の嵐で折れ枝が落ち地面はぬかるんでいる中、隠れられる場所を探して彷徨った。


 それがまずかった。


 私は落ち葉や枝に隠れていた古井戸へと落ちてしまったのだ。

 あまり深さがなく、水がなかった事で私は打ち身と擦り傷で済んだが、深さがないとは言え子供の身長では出口に手が届かず、壁を登ろうにも滑る壁では無理だった。

 空は見えるのに手が届かない。泣き叫んでも誰も気付かない。

 時間だけが通り過ぎ段々と暗くなる中、恐怖に私は飲まれていった。


「ルース? そこに居るの?」


 恐怖に震え、泣く事しか出来ないでいた私に降ってきた声。逆光で顔は見えないけれどそこに誰かの姿があった。


「ルース! 良かった! おじ様! ルース見つけたわ! ルース怪我してるの? もう大丈夫よ」

 

 その声と姿はアメディアだった。

 父は家を飛び出し、中々帰ってこない私がリシア家に逃げたと思ってアメディアを訪ねた。

 しかし、私はリシア家には居らず一日中探したのだと言う。その時に一緒に探すとアメディアが付いてきたそう。


「どうして、あそこに居るってディアは分かったの?」

「あのね、ルースの「助けて」って声が聞こえたの。それで声の聞こえる方向を探したらキラキラ光る蝶々が古井戸の所に沢山いたのよ。私、ルースはそこにいるんだって直ぐわかったわ」


 夕日に溶けそうな琥珀色の髪と瞳を輝かせていたアメディアはとても可愛らしく、とても綺麗だった。


 その時、私はアメディアへの恋を自覚した。

 

 そして互いが大人になり、一緒にいられる時間が少なくなった事に不安になった私はずっと慕っていたアメディアとの婚約を願い出た。

 私はバートル伯爵家の出ではあっても次男。伯爵家は兄が継ぐ。父はリシア子爵に私とアメディアの縁談を持ちかけ、リシア子爵家への婿入りをする事で婚約が叶った時はあふれる幸福感に叫びそうになった。

 そう、彼女との婚約。ゆくゆくは婚姻を結ぶ。私はアメディアと幸せになるのだと疑っていなかったのだ。


 それはアメディアとの婚約を結んですぐの事。

 私がアレクシオ王太子より側近へ引き立てられてから暗雲が垂れ込んだ。


「今度、僕の組織が定まった披露に夜会を開く。ルセウスは婚約者殿を絶対に連れて来いよ」

「それが目的ですか」

「そう睨まないの。この堅物眼鏡が長い間片思いしていた子と念願の婚約をしたんだ僕にも祝福させてくれよ。友人だろ?」

「主従だ」

「つれないねぇ」


 軽い口調のアレクシオ王太子とは学園で机を並べた時から親交があった。彼に対して王太子という身分に遠慮と敬意は当然持っていても、アメディアが関わるなら遠慮などしていられない。


「僕と面通ししておいた方が良いと思うけどなあ」

「⋯⋯何ですかそれは」


 すっと真面目な顔になったアレクシオ王太子が声を顰め私を手招く。

 身を屈め寄せた耳に届いた言葉に私は絶句した。


「ディーテだ。ルセウス、お前はディーテに目を付けられている」

「っは?」

「あいつはな、外面に騙された奴らが可憐で清楚だとか言っているが苛烈な奴だ。これがただの女なら出来ることは限られるがあいつは王女だ」

「見目麗しく有望な者など他に大勢おります。それに王女ならば国を混乱させるような事はしないでしょう」

「お前も十分あいつの基準に達しているって事だ。それから、王族全てがその責務を理解していると思うなよ」


 妹に対してなんて評価だ。

 しかし、私はその考えを後悔する事になった。アレクシオ王太子の言葉の意味がすぐに分かったのだ。


 お披露目の夜会で執拗に王女からの秋波を送られ、強引に腕を取られる羽目になり嫌悪を抱いても相手は王族。邪険に扱うわけにも行かず、振り払うことも出来ずに適切な対応を模索する私をアメディアは寂しそうな笑顔で見ていた。


「私にはアメディアしかいない。王女とは何も無い。一方的に付き纏わられているんだ」


 その日から夜会や茶会で王女に付き纏わられ、不安にさせたくなくてアメディアにはそう何度も伝えた。その度に彼女はキョトンとした表情をした後「王女様相手じゃ断れないもの。ルースを信じてるわよ」と笑ってくれた。

 そう、私はそれに安心してしまっていたのだ。

 だから日を追うごとにアメディアの笑顔が弱くなっている事に申し訳無さを感じるだけで彼女の不安が大きくなっていた事に気が付いていなかった。


 アメディアは日に日に美しくなっていく。元々整った顔立ちをしていたが、そこに憂いを帯びた微笑みが加わる事で大人びた色気が増したアメディアに見惚れる男どもが増えるに連れ私の心は焦り始めた。

 だから会えない時は仕事の合間に手紙を書き、アメディアに似合う品を見つけたらそれを贈った。


 それが王女の嫉妬を増長させてしまっていた。


 愚かにも私がそれに気付いたのは婚約して二年目。

 「素敵な品をありがとう」そう言いながらもアメディアは贈ったものを身に着けてくれず、代わりにあまり似合わないアクセサリーを身に着けていた。

 決定的になったのは揃いのイブニングコートとドレスを仕立てたのに夜会の日、アメディアは彼女には少し幼く感じるドレスで現れ、私が揃いで仕立てたドレスは王女が身に着けていたのだった。


 吐き気がした。

 今までアメディアへ贈っていたものは全て王女に横取りされていたのだ。

 王女に買収された店員や小間使いは代わりに王女を連想させる品と交換してアメディアへ届けていた。

 私は愚かな自分にも、アレクシオ王太子の言葉通り苛烈な王女にも怒りが湧いた。


「すまないルセウス。あのクソ女め⋯⋯」


 苦々しく吐き捨てるアレクシオ王太子にも王女と同じ血が流れているのだと私は彼に対しても怒りが湧いていた。


「私は職を辞させていただきます」

「ま、まてまてまて。悪かった! ルセウスには婚約者がいるのだからあいつは直ぐに飽きるだろうと高を括っていた僕の落ち度だ」

「謝罪は受け取ります。しかし、私は王女と同じ血が流れるアレクシオも信用できない。こんな気持ちは側近として相応しくない」

「まてと言っているだろう。僕はルセウスを手放すつもりはないよ。しかし、このままで良いとも思っていない」

「では、どうしろと言うのです」

「聖女選定。来年は前回から五十年になる。その聖女選定が今年の冬に行われる。そこでディーテを聖女に任命する。元々聖女選定は魔力量を測り候補者の中で魔力が高い者が選ばれる仕組みだ。ディーテの魔力は王族なだけあって飛び抜けて多い。なにより誰よりも特別に扱われる事をあいつは望んでいるからな」


 昔と変わって今の聖女選定は形骸化したものだ。聖女はその身を神の花嫁としても良し、伴侶がいるものはその家族と共に神殿に住んでも良し。

 ただ神殿から依頼される祈りを捧げるだけ。

 そんなもの褒美にしかならないのではないか。


「言いたい事は分かる。しかしディーテを神殿に入らせる事で監視がしやすくなる。これまでのように好き勝手出来なくなるのはあいつにとって一番嫌な事だ」



 私としてはアメディアを不安にさせた罰がその程度か、としか思えない。しかしながら腐っても王族に対して厳罰を求めるなんて革命を起こさない限り何も出来ないのも事実。


 私はあと少しの我慢だと無理矢理自身を納得させた。


 だが、王女は狡猾で苛烈を極めていた。


 心待ちにしていた聖女選定であろう事かアメディアが選ばれてしまったのだ。正確には王女によってアメディアが聖女になってしまった。

 聖女は王女に決まっていたのに王女は神殿関係者の中にいる自分の崇拝者を使って自分とアメディアの結果を取り替えたのだ。


 アメディアの魔力は少ない。選定の時にはっきりしたではないかと訴えても神殿はアメディアが聖女に選ばれたと発表してしまい、選定に異議を唱える私を始めアメディアとリシア家の人達は危険分子だと神殿関係者や王女の崇拝者に軟禁、監視される事になってしまった。


「僕は何度ルセウスに謝らなくてはならないのか⋯⋯。陛下はディーテを溺愛していてね、何でも言う事を聞いてしまうから」


 彼に何度謝られても何も解決しない。私は彼への八つ当たりを耐えるしかなかった。アレクシオ王太子も選定の結果に異議を唱えてくれたが、現国王は末の王女を溺愛している為、彼も行動の制限を受けてしまったのだ。


 私達が身動き取れない間にアメディアは神殿に入れられてしまい、会いに行っても監視が付いて彼女と会わせてもらえなかった。せめて手紙を置いて来ていたがアメディアから返事は来なかった。

 

「陛下にはその王座を降りてもらう。娘可愛さにその権力を使う国王は必要ない」


 王女だけではなく国王にがんじがらめにされた三ヶ月。王女の言葉だけを聞き、王女の言いなりになっている傀儡は要らないと、とうとうアレクシオ王太子が動き出し、王座交代の様相に王家が揺れ私もそれに巻き込まれていった。

 

 その間、今度は人の手を介さず自らの手で私はアメディアへ手紙と生活品を届け続けた。

 会いたい。何度も書いた。何度も神殿の入り口で声を上げた。


 けれど、アメディアから返事は返って来ず、一目すら会う事も出来なかった。


 そして⋯⋯更に半年。アレクシオ王太子が国王をその王座から引き摺り下ろし、新政権を宣言した。


 私は漸く解放され、アメディアを迎えに行ける。


 そう、思っていた。



 目の前で化け物が笑っている。


「だって、ルースったら私が好きなのにあんな女と婚約させられて可哀想だったのだもの。ルースは優しいから私が邪魔者を排除してあげたの。聖女なんだから俗世の物なんかいらないでしょうにルースにアレコレ我儘言って持って来させていたから私が片付けてあげていたの」


 化け物が悍ましい言葉を吐き続ける。この化け物は何故こんなにも私に執着しているのか。ああ⋯⋯手に入らないものだからか。


「お前⋯⋯まさか食料品も⋯⋯」

「そうよ。何か? 魔力があるのだから自分で食べ物くらい作れるじゃない。種を植えたらすぐに育つもの」


「う⋯⋯っ」


 何も入っていない胃が搾られる痛みに嘔吐した。

 嘘だ。アメディアに何も届いていなかった⋯⋯そんな⋯⋯それではアメディアは⋯⋯。


「もうっお兄様もあんな女をルースの婚約者扱いしてルースが可哀想だったわ。お兄様がそんなことだからルースは私に愛を告げられなかったのよ。もう大丈夫よルース。あの女は神殿からいなくなっていたのでしょう? 私達に何の障害も無くなったわ」


「⋯⋯黙れ」


「なあに? ルース嬉しすぎて感動してるのね」


 植物の種を植えてすぐに育たせるなんて魔力の保有量が多く、その扱いに長けた上級者でなくては出来ない事だ。魔力が少ないアメディアでは上手く育たせられるはずがない。

 後悔に涙が止まらない。泣いても仕方がないのに、目の前の化け物を殺したいのに⋯⋯。


「だ、ま、れと言ったんだ」

「ルースったらそんな口をきいて。私は王女よ貴方の王女よ。貴方は私を愛しているのよ? 私にそんな口をきいてはダメよ」

「やめてくれっ! 私はお前なんて愛していない! 好いた事など一度もない! 寧ろ嫌いだっ悍ましいっ! 私の名を呼ぶな! それはアメディアだけの呼び名だ! 私はアメディアを愛している。アメディアだけを⋯⋯愛し⋯⋯て⋯⋯いるんだ」


 化け物が伸ばした手を振り払い私は叫んでいた。

 私はずっとアメディアが好きだった。アメディアしか見て来なかった。アメディアだけが欲しかった。私はただアメディアと幸せになりたかっただけなのに。


「んまぁ! 私になんて事を言うの! 私は王女よ! 私に愛されて光栄と思いなさい! ああっもう要らないあんたなんて要らないわ! 興醒めよつまらない男。お兄様! この不届き者を処刑して! 早く!」

「不届き者はお前だディーテ。アイオリア、近衛兵、ディーテを牢へ連れて行け」

「お兄様!? こんな事お父様が許さないわよ。お父様は私のお願いは何でも叶えてくれるのよ」

「なあ、ディーテ。父上はもう国王ではない。二度と西の離宮から出る事はないんだ。もうお前を甘やかす者は居ない。僕はお前が父上に通していた我儘を見逃すわけにはいかない」

「嘘! お兄様だって私が可愛いでしょう?」

「昔はな。今は同じ血が流れているなんて忌まわしいよ」


 アレクシオ王太子が悲しげに微笑み、化け物を地下へと連れて行く。何か喚いていたがそれも聞こえなくなって私は力無く床に座り込んだ。


「アメディア嬢の捜索はしている。ただ⋯⋯あいつの言った通り何も届いていなかったのなら⋯⋯」


 アメディアは食べ物もなく神殿に独りだった。返事をくれなかったのではなく届いていなかった。

 姿を消したアメディア。寂しかっただろう、苦しかっただろう⋯⋯私は守れなかった。


 絶望が侵蝕する。

 それで良い。こんな世界消えてしまえ。

 私は消えゆく世界の神にそう願った。

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