第5話 戻りたかった場所

 婚約式は二人の名前を書いた婚約証明書を両家の当主へ提出した後、貴族院へ届けられて終了する。

 婚約証明書を当主へ渡す時、私の様子がおかしいと察したお父様と伯爵様は実感が湧かないのだろうと笑い、婚約成立の先祝いだと身内だけの食事会が開かれ、私はルセウスの隣で楽しげに盛り上がる場を冷めた目で見ていた。


「ディア、私達は互いの考えを話し合う時間が必要だ」

「ええ、ですから私の考えは先程お伝えした通りです」


 眼鏡の奥で寂しげに細められたルセウスの瞳にまた胸が痛んだ。

 あの時もこの時点ではルセウスは私を大切にしてくれていた。だから今回もまだ私を疎ましく思っていないだけ。

 けれどこの後ルセウスはディーテ様と出会うのだから。


「⋯⋯私はどうしてディアがそう思っているのかを、知りたい」


 話したらどうなるのかしら。私はディーテ様に聖女を押し付けられ、ルセウスはディーテ様を選ぶと。

 ⋯⋯私がおかしくなったと言うでしょうね。


「⋯⋯近い内、王家からルセウス様にとってもバートル家にとっても名誉な話が来ます。そしてルセウス様はある方と出逢われます。貴方はこの婚約を、後悔するかも知れません。なので、その時はいつでも婚約破棄を受け入れますからね」

「なんだか予言じみた話し方だ」


 吹き出したルセウスが笑いながらグラスを傾けた。


「私はずっとディアが好きだった。後悔などしない、絶対に」


 真っ直ぐなルセウスの視線。昔と変わらない。  

 私は信じていたのよね。いつからか眼鏡で隠すようになったこの金色を。


「絶対なんてないわ」

「なら、ディアの言う事も絶対ではないよね。私は子爵夫妻⋯⋯義両親の次にディアの事を知っている」


 ルセウスが私の好きなフルーツタルトを引き寄せて「好きなものだって知っている」とお皿に取り分けながら微笑んだ。


 こんなにも優しいルセウスなのに、何故⋯⋯神殿に行ってから会いに来てくれなかったの? 手紙をくれなかったの? 

 

 タルトが乗ったお皿を受け取る時に触れたルセウスの手の温もり。

 

 それとは反対に私の心がどんどん冷えていくのを感じた。

 


 食事会は私以外は祝福の雰囲気のまま終了し、私は部屋に帰るなり毛玉のセオス様に頬擦りした。

 このモフモフとおひさまの匂い。ああ、癒される。


 結局、ルセウスとの婚約は回避できなかった。

 細かい事は覚えていないけれど、婚約してから一年は穏やかだったのよね。まあ、それは私が気付いていなかっただなのだけど。

 違和感にやっと気付いたのは二年目。

 婚約して直ぐ王太子付きに選ばれたルセウスとはなかなか時間が取れなくなりすれ違うようになっていた。それでも私は私なりにルセウスに手紙を出したり仕事で使えるような贈り物をしていたのよ。ルセウスからも手紙や贈り物はあったけれど、どこか私に似合わないものを贈って来るようになった。婚約者として同伴する夜会で贈られたものを身に付けて行ってもルセウスは驚いた表情はしても何も言ってくれなかったのよ。

 そして、ルセウスと第二王女ディーテ様が踊る姿。ルセウスのイブニングコートとディーテ様のドレスに施されたお揃いの幾何学模様。ルセウスからの贈り物はディーテ様に似合うものだったのだと嫌でも気付く。


 ルセウスは私との婚約を望んでくれていたのに。ディーテ様と出会って婚約を後悔したのかも知れない。

 ルセウスはバートル伯爵家の次男。家督は兄が継ぎ、ルセウスはリシア子爵家へ婿入りして次代のリシア子爵となるはずだった。けれど⋯⋯子爵になるより王女の夫君になる事を選んだ。だから私がディーテ様の代わりに神殿へ上がって清々したから会いに来てくれなかった⋯⋯迎えに来てくれなかったのかな。


 やり直しの機会を得ても私はまた独りになってしまうのかな。


 ううん。絶対にならない。婚約してしまったのは仕方がない。

 私は前回とは違う選択をするんだから。

 今度は私の気持ちも言いたい事もハッキリ伝える。いつでも婚約の解消をして良いって言えたのだもの。この先も出来る。直ぐには無理だけれどルセウスへの想いも断ち切っていかなければ。

 そして偽聖女には二度とならない。

 負けられない。


「アメディア、そろそろ解放してくれない? ボク様の毛並みにクセがついちゃう」


 モゾモゾと腕の中のセオス様が毛を揺らしてコロンと私の手から離れ、ボフンと男の子の姿に変わりスイスイと空中を回りながら髪の毛を整えた。

 それにしても本当に自由に姿を変えられるのね。


「アメディアはあの人と結婚するの? でも君は神殿で死にかけていたよね」


 いきなり急所を突いて来たセオス様。

 分かっている。セオス様はただ疑問を口にしただけなのだと。けれどあの時の孤独を思い出して私は言葉が続かなかった。


「あ、の⋯⋯私」

「あっ、ごめんごめんボク様人間がよく分からないからさ。精霊達によく叱られるんだよ。言い辛いだろうから記憶を見てもいいかな?」


 コテンと首を傾げるセオス様はあざとい。

 可愛い。じゃなくて⋯⋯記憶を見るなんて。でも、セオス様にどう説明すれば良いのか分からない私はその言葉に頷いた。


 セオス様の手が伸びてきて私の額に触れると一瞬視界が暗転し、痺れのようなものが身体を走った。


「──うん、そうなんだ。アメディアはあの人と婚約したけれど結婚する前に聖女になったんだね」

「私は、偽者です⋯⋯」

「ああ、それも見させてもらったよ。アメディアは聖女を押し付けられて神殿に居た。その上ボク様が帰ってくるのが遅くなったから辛い思いをさせてしまったんだね。ごめんね」

「──っ」


 セオス様の手が私の頭を撫でた。

 あの時の寂しさ、悔しさをセオス様が受け入れてくれた。


「ああ、泣かないで。精霊達に叱られる」

「私は、あんな未来嫌です。私は未来を変えたいのです。セオス様、どうか私の願いを聞いてください」

「他の誰でもないアメディアの願いだ」


 涙を止められずにいる私にセオス様がそう言うと指先で目尻に触れて涙を拭ってくれた。

 


 私はその優しい声音に安心し、どうやらそのまま寝てしまったらしい。ふと目が覚めた時は夕方。ナイトテーブルの上にはメイから「起きられましたらお呼びください」のメッセージが置かれていた。


「セオス様?」


 私は呼び鈴を鳴らしてメイを呼び、セオス様を探した。

 けれど辺りを見回しても毛玉は無く、男の子も居ない。


 ふと、心細さが湧き上がって急いでベッドを降りたその時、ノックもせずに飛び込んで来た姿に思わず悲鳴を上げそうになった。


「起きたかアメディア!」

「あらあら坊ちゃん、女性の部屋に入る時はノックをしてからですよ」

「む、そうなのか」

「セ、オス様、どうして⋯⋯メイと」


 メイは当然のようにセオス様と話をしているけれど一体何がどうなってるのか。


「お嬢様の婚約祝いに坊ちゃんが来てくださったのですよ。何年振りですかね、小さかった坊ちゃんがこんなに大きくなられて」


 可愛くて仕方がないとでも言うかのようにセオス様を抱き上げたメイが目尻を下げる。


「お嬢様、今日はお疲れでしょう湯の準備は出来ております。その後お夕飯となりますからね。旦那様と奥様も坊ちゃんがいらしたとご機嫌で楽しみにされておりますよ。坊ちゃんは先に食堂へ参りましょうね」


 まるでメイはセオス様を昔から知っているかのよう。

 抱き上げられたままのセオス様がメイの肩越しに私を見てニカリと笑った。


──ボク様は神様だからね。この家の人達にボク様を身内と思わせるのは簡単なことさ──

「ええ!?」

「お嬢様、どうかされましたか?」


 慌てて口を押さえて私は首を振る。


──だめだなあアメディア、口に出しちゃ。ボク様は今、君の精神に直接話しかけている。君も思うだけでボク様と話ができるよ──


 色々と頭が追いつかない。

 私は神殿でこの命が終わったのだと諦めていたのに国神セオス様に救われ目覚めたら婚約式当日だった。

 セオス様を疑っていたわけではないけれどやり直しの機会を与えられてから一日も経っていないのに⋯⋯なんて情報過多なの。


「お嬢様、大丈夫ですか?」


 心配そうなメイの顔にハッとする。いけない、メイに心配をかけられない。


「平気よメイ。でも今日は少し疲れたわ。夕飯後は直ぐに休むわね」


 そう言って微笑めばメイは安心したように笑い返してくれた。


 それからの記憶は曖昧だけれどとても、幸せだった。

 お風呂を上がって、みんなで夕食を囲み、セオス様があざとい仕草でお父様とお母様をメロメロにしたりして終始和やかな時間が流れた。それはあの時の私が帰りたかった景色そのものだった。


 夕食後、私は疲れのピークを迎え、幸せの中倒れるようにふわふわのベッドに潜り込んだ。

 そして翌朝。また神殿だったらどうしよう⋯⋯目を開ける前のそんな恐怖は杞憂になり、私はリシア家の自分のベッドで目覚めた。


「アメディア! 今日は図書館へ行きたいぞ」

「セオス様、フォークは掲げるものではありませんよ。さあ静かに置いて、そうです。よく出来ました」


 お父様は既に仕事を始め、お母様は商会の従業員婦人会へ出かけた二人だけの朝食の席でセオス様がフォークを掲げて宣言すると執事のロランに窘められた。

 素直に「こうか?」と従うセオス様を見るロランの視線はとても優しくて私も温かい気持ちになった。


 毎日、何度も帰りたいと焦がれた穏やかなリシル家の朝。本当に私は戻って来たのだと幸せを噛み締めた。

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