山場屋の化け物

@zamasu

短編


 闇と静けさに包まれた真冬の夜。

 とある山奥にある小さな山小屋の二階。


 寝返りを打つたびにギシギシと揺れる古びたベッドの上で、俺はなんとかしてざわつく胸を押さえつけようとしていた。

 同じ大学の山岳部に属する三人と山に来ていた俺には、そうせざるを得ない理由があった。



「なあ、本当に化け物なんかがいるって思ってんのか?」


 開いていたドアの横から突然姿を現した友人の山下の姿に仰天した俺は、すぐさま慌てて口に人差し指を当て、静かにするよう促す。


「そんなに顔面蒼白させるほどかね……」


 俺の様子にひき気味な調子であきれた山下に、俺は小声で、それも早口で言った。


「何度も話したよな……!? 明日の朝までなるべく声を出さないで静かにして、少しでも電気の灯りの数を減らして寝てくれって……!」


「その化け物とやらが来るから、だろ? しつこいくらい聞いたさ…………

 でも、正直とても付き合ってられないよ。俺だけじゃなくて他の二人もそうだ。

 俺たち三人とも、今日のお前にはつくづくあきれてるぜ。いつもと全然雰囲気が違うじゃないか。一体どうしちまったんだよ……」


「どうしたもこうしたも、俺は全員のために忠告してるんだ……! 命が惜しいなら声も灯りも最低限にして、眠って朝を待つことだ……!

 さもなくば化け物に殺されちまうんだよ……!」


 山下は深いため息をつくと、ズボンのポケットからスマホを取り出し、俺の目をまっすぐに見つめて言った。


「あのな、よく聞けよ? 俺が思うに、お前みたいな症状のやつは一度現実をしっかりと直視すべきだと思うんだ。

 目の前の物事をよく理解して、自分の空想とはっきり区別する。きっと普段気づかないうちに疲れが溜まってて、今日の山登りで限界がきたんだろう。

 なあに、すぐに元のお前に戻るさ」


 俺がけわしい表情で首を傾げていると、山下はスマホの音量を最大にして画面を俺に向け、大音量で音楽を流し始めた。



「ばか野郎……!!」


 俺は咄嗟(とっさ)にスマートフォンを山下の手からベッドに叩き落とすと、布団に押さえつけるようにしながら急いで音量を最小限にし、電源を切った。


「何すんだよ! お前のためを思ってるのにそんな態度取ることないだろ!」


 俺の胸ぐらを掴む山下。

 だが、怒っているのはこちらの方だった。


 怒りと焦りが限界まで高まった俺は両手で山下の首を掴むと、やつのスマホ同様、ベッドの上に押しつけてやった。


 スマホよりずっと長い時間、俺に押さえつけられていた山下はやがて絶命した。



「化け物が……化け物が来てしまう…………」


 俺はそう小さくつぶやくと、裸足で部屋の外へ出た。


 俺はまず、隣室に向かった。

 二階にある二つの個室に一人ずつ、一階のリビングに二人。それが俺たちの決めた、四人の寝床だった。


 山下は一階で寝る予定だったため、二階の隣室にはまだ危険を招く可能性を持った人間がいる。



 俺は廊下に置いてあった薪割り用の小型の斧を手に取り、ドアをノックした。


 遠藤が布団をめくり、ベッドから起き上がる音がする。


「なんだ? やっぱり電気をつけてみんなで起きていたくなったのか? せっかくの旅行だからな、お前の気まぐれな振る舞いを特別に許してやってもいいぜ」


 コツコツと靴が木の床を叩く音が近づいて来る。


 俺は遠藤のひょうきんな笑い声に沈黙で答え、ひたすら呼吸を整えることに集中する。



 ドアが部屋の内側に向かって開いた直後、俺は遠藤のキョトンとした表情を、叫ぶ間も与えずに斧で叩き切った。


 ドサッと床に遠藤が倒れる音にヒヤリとする。


 だが、すぐに戻ってきた数秒前と違わぬ静寂に俺は再び安心した。


 目を向けると、上半身は大量の血しぶきを浴びていた。


 かなり染みていたので厚手の服を二枚脱ぐ。



 階段をゆっくりと降りていきリビングを覗くと、斉藤が部屋の奥の方で、一人静かにストーブに当たっているのが見えた。


 天井から吊るされた照明が部屋全体を煌々(こうこう)と照らしている。


 俺は、まず照明を消すことを優先しようと考えた。



 ダラダラと血を垂らす斧を階段の二段目に置くと何食わぬ顔で歩いて行き、斎藤を呼んだ。


「おお、山下はどうした? 今からでも、みんなで夜ふかししようとお前を説得してくるって言ってたけど?」


「ああ、山下ね。来たよ」


「で、どうするよ?」


 俺は口をかたく結び、鼻から荒い息を漏らす。


「なあおい、聞いてる? 結局このあとどうすんの? てか、山下は何してんの……?」


 照明から伸びている、先に鈴のついたひもを引っ張ると、鈴がささやかな音色を奏でて灯りは消えた。


 ストーブの真っ赤な光だけが、柔らかくリビングを色づける。


「…………お前……ほんとに今日どうしちゃったの……?」


 俺は、床を舐めるような足取りで斉藤に近づく。

 そして、斧をここまで持ってきてその間に斉藤に大声を出されることを恐れたため、斉藤に落ち着いた声色で頼み込んだ。


「なあ斉藤、大がかりなことは言わない。

 ひとつだけ、ひとつだけだ。

 時間はかけないから、少しの間だけでいい。目をつむってくれないか……?」


「なあ……本当に本当に……今日のお前はおかしいぞ……」


「頼むよ、斉藤。これで最後だ…………これで……今日の俺のわがままはおしまいだ」


『最後』という言葉に折れたのだろうか。

 しぶしぶうなずいた斉藤は脱力すると、照明のひもを手にして灯りをつけ、目を閉じた。



 再び明るくなったリビングで俺は深呼吸する。


 灯りはまた消せばいい。

 そう思った俺は階段に戻り、斧を手に取った。



 斧を両手でしっかりと握りしめ、斉藤との距離を縮める。


「あのさ……」


 斉藤が目をつむったまま俺に問いかける。


 そして徐々に顔をゆがませると、つぶやくように言った。


「この部屋、ストーブをつけててもこんなに寒いのに、何でお前はそんなに薄着なんだ?」



 思わずびくりとして足を止めてしまい、その結果斧の刃が照明のひもの鈴に当たり、キンと高い音が鳴る。


 出どころが全く予想のつかない金属音に、斉藤は思わずを目を開いた。



「え…………」



 血だらけの斧を持った俺と目が合い、斉藤は絶叫した。


 俺は慌てて斉藤に迫り、何度も何度も、その口や喉を斧で刻んだ。





 すぐに斉藤は、心臓の鼓動すらも音を立てないようになった。


 一方、大声を出されてパニックになっていた俺の心臓は激しく拍動し、体が揺れていると感じるほどだった。


 俺は思わずその場にへたり込んだ。



 次第に、なんだか心がホッと落ち着いてきて、やっと元の自分に戻っていくような感じがした。


 安堵(あんど)が脳から全身に流れ、満たしていく。



 そのとき、鈴の高い音色が鳴り、反響がリビングを満たした。


 直後、部屋は暗転した。

 


 やつが来た。

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