第2話 ジェサイアside

 ジェサイア・フォン・クレケンス・サイデューム王太子殿下は、いつからか人を信用しなくなった。なぜなら自身の地位のお陰で言い寄るものが身近に沢山いたからだ。言い寄ってくるのは良いのだが、問題なのは皆、詰めが甘くボロを出すところだろう。

 王宮から一歩出た後に文句や本音を言えばよいものを、人間と言うのは相手を馬鹿にして自分が優位に立つと、それを誰かに言わずにはいられないようで、聞かれる恐れも考えず王宮内で口を滑らせ本音を漏らす。ジェサイアは幾度となくそんな愚かな人間の本音を聞いてきた。

 小さいころからそんな環境に置かれたジェサイアは、冷めたところがあった。婚約者候補を決めねばならくなったと側近に報告を受けた時には、ジェサイアは冷静に


 公爵家をまとめるために、公爵令嬢をすべて婚約者候補とし、こちらに散々媚びを売るように仕向けたうえで、有益になる隣国の王女とでも婚約すればよい。


 と、側近に言ったほどだった。

 そして、煩わしい公爵令嬢たちには、公平に愛想を振りまいておけば文句もでまい。と、すべての公爵令嬢を平等に扱うことにした。

 その中でもパシュート公爵令嬢とディスケンス公爵令嬢には心底うんざりしていた。パシュート公爵令嬢は、媚びを売っているのがみえみえで分かりやすいからまだよいとして、問題はディスケンス公爵令嬢だった。彼女の陰のあだ名はミス・パーフェクト。なんでも器用にこなしそつがない。そしてガツガツと攻めてくるかと思えば、きっちり引くところは引く。あだ名の通り嫌味なぐらいパーフェクトな女性だった。もしも国外に手ごろな相手がいなければ、この完璧すぎて嫌味で可愛げのない女性を伴侶にむかえなければいけないかと思うと、ジェサイアは気落ちするほどであった。


 ある日、叔母が主催の舞踏会が開かれた。当然王太子殿下としてジェサイアは参加せねばならず、そこには婚約者候補たちが集まっているので、相手をせねばならなかった。ジェサイアは令嬢たちとの退屈な時間を思うと、憂鬱な気持ちになったが、それを表に出さないように、作り笑顔を張り付けると舞踏会に参加する。


 会場を見渡すと、ありがたいことに婚約者候補たちが横一列に並んでいるではないか。この時ばかりは婚約者候補たちに感謝しつつ、並んでいる順にダンスに誘うことにした。


 一番端に並んでいたパシュート公爵令嬢に声をかけると、彼女は一番最初に声をかけられたことに対して、何か勘違いをしたのかぎらついた目つきでダンスに応じた。そんな彼女の相手を適当にこなした後、隣にいたはずのミス・パーフェクトを探す。すると彼女は顔色をなくしテラスへと行ってしまった。

 ジェサイアは正直それは困ると思った。順番でダンスに誘っているのに、彼女たちはどうしてこんなに空気を読まずに自分勝手に行動するのかと、軽く怒りすら覚えながらディスケンス公爵令嬢の後を追ってテラスへ行った。


 ところが、ジェサイアはそこで信じられないものを目にした。あのディスケンス公爵令嬢が泣いていたのだ。心臓がドキリと鼓動した。呆然としてしまいディスケンス公爵令嬢の前に出るタイミングを逃し、しばらくそんな彼女を隠れてみていると


「殿下、殿下お慕いしています。愛してます。愛しているのです」


 と、誰にともなく叫んでいた。それは彼女の魂の叫びだと感じた。ジェサイアは生まれてこの方、こんなにもまっすぐに気持ちをぶつけられたことがなかった。その言葉はいつも何事にもゆるがないジェサイアの心すら強く揺すぶった。ギュッと胸を締め付けられる。それは、ジェサイアが今までに感じたことのない初めての感情だった。


 ジェサイアはすぐさま彼女のもとへ駆け寄り、彼女を思い切り抱きしめ慰めたい感情にかられた。


 と、そこに、人がやってくる気配があった。見るとパシュート公爵令嬢だった。なんと間の悪い。とジェサイアは怒りを覚える。更に、そこへフォルトナム公爵令息とその婚約者まで現れた。いったいなんなのだ。そう思いながらも様子を見ていると、フォルトナム公爵令息の婚約者である男爵令嬢がその場を立ち去った後に、パシュート公爵令嬢がフォルトナム公爵令息に抱き着いた。


 ジェサイアはそのくだらないメロドラマを見ているだけで吐き気を催した。フォルトナム公爵令息はどうするのか見ていると、パシュート公爵令嬢を邪険に振り払い婚約者を追うためにその場を去っていった。当然だろう。パシュート公爵令嬢はその場で呆気にとられ佇んでいたが、しばらくするとその場を立ち去って行った。


 ジェサイアはこれでようやくディスケンス公爵令嬢と話ができると思い、テラスで彼女を探すが、彼女はその場を去った後だった。


 とにかく彼女と一度じっくりと話をしてみたい。


 ジェサイアはそう思ったが、そのタイミングはすぐにでも訪れるだろうと、たかをくくってなにも行動せずその日を終えた。だが、予想に反してその機会は訪れることがなかった。なぜならディスケンス公爵令嬢が公の場に一切姿を見せなくなったからだ。


 ディスケンス公爵令嬢は婚約者候補の中でも、競争心が激しく前に前に出る存在で、アピールできる場所ではその能力を遺憾なく発揮する人物だ。それなのにその機会を利用することもなく放棄している。これはどうしたことか。


 そんなことを考えているうちに、ジェサイアは、日ごろからディスケンス公爵令嬢の、あの涙の意味を考えることが多くなった。そしてジェサイアは、彼女があの時に何かしらの理由で婚約者になることを諦め、今決別の道を選んでいるのではないかと思った。


 もしかして彼女は僕から今この瞬間も離れていこうとしているのでは......


 ジェサイアは生まれて初めて、自身ではどうにもならないことに直面し、その辛さに苦しんだ。ジェサイアは、こんなにも自分の感情に振り回されることは初めてだった。

 いつもなら体面を気にして行動するのだが、この時ばかりはそんなことはどうでもよいと思った。ジェサイアは、側近に初めて我が儘を言った。


「私はルビー・ファン・ディスケンス公爵令嬢と結婚する。彼女以外の婚約者は考えられない。どんなに反対されようと、これは決定事項だ」


 そう宣言したのだ。側近のフランツは驚いた顔をしたが


「殿下がそうおっしゃるなら、それが最善なのでしょう。ではその方向で話を進めます」


 と、なぜか嬉しそうに言った。


 政略的には間違っている。それはわかっている。だが、唯一自分自身の心を揺り動かし、人たらしめる彼女を手放したらジェサイアは二度と人間らしさを取り戻せない気がした。


 とにかく彼女と話をしなければ。


 そう思いディスケンス公爵を王宮に呼び出した。そして、ディスケンス公爵令嬢との婚約を内々に進めることを話すと


「この件に関しては私から直接本人に話をしたい。なので本人には言わないように」


 と言って、念押した。次いで、ジェサイアはディスケンス公爵令嬢が最近どうしているのか尋ねた。ディスケンス公爵は少し気落ちした様子で


「それが、先日の舞踏会に出てから様子がおかしいのです。あんなに社交的で、どんなお茶会にも参加して、婚約者候補として、王太子殿下に恥をかかせる訳にはいかないから。と、頑張っていたのに。そのすべてを放棄し自室にこもるようになってしまいました。おそらく王太子殿下の婚約者には選ばれないと思っているのではないでしょうか。王太子殿下は、なにかお心当たりがおありでしょうか?」


 と逆に質問されてしまった。その理由を一番知りたいのは僕だ。と言いたいのをこらえ


「なんとか公の場に出るよう説得してもらえないだろうか?」


 と言ったが、ディスケンス公爵は首を振り


「あの子は頑固なところがあります。一度こうと決めたら絶対に意思を曲げません。それに、本当に今までの勝気な娘の面影もなく、ボロボロで、公の場に無理にでも引っ張り出せば壊れてしまいそうなのです」


 と言った。ジェサイアは、改めて自分の愚かさを呪った。


 ミス・パーフェクト? そつがなく嫌味? 何を考えていたのだ。それらは全て、彼女が自分を想った上で、努力を重ねた上に成り立っていたことではないか。彼女は他の公爵令嬢と違い、公爵令嬢と言う地位に甘んじることなく努力を重ね頑張っていた。それも全て僕のために、だ。それを見向きもせずにいた自分は、なんと愚かなことか。こんなにも一途に心を寄せてくれている人物が、こんなに身近にいたのに。そして、彼女はそれに疲弊し、今、僕のもとを離れようとしている。


 ジェサイアは耐え難い苦痛と焦燥感に襲われる。婚約したとしても彼女の気持ちが離れてしまっては意味がない。ジェサイアははじめて誰かに強く愛されたいと思い、それはディスケンス公爵令嬢でなければ意味がないと思った。

 ジェサイアはディスケンス公爵に提案した。


「療養を兼ねてレッドウィルリバーに行くように仕向けてもらえないだろうか? あそこには王宮の別荘があって、図書室も備えている。そこに呼び出し、ゆっくり話をしたい」


 そう言うと、ディスケンス公爵は驚き


「娘のために、そこまでしていただけるのですか?」


 と言った。こんなこと、今までの彼女の献身に比べれば対したことではない。と、思いながらジェサイアは


「ディスケンス公爵令嬢はお前の娘というだけではない。彼女は王妃になるのだ、それはすなわちこの国の宝ということだ。そんな彼女にはなんでもしようと思う」


 ジェサイアはそう言うと、自分でも信じられないぐらいに、ディスケンス公爵令嬢を溺愛していることを自覚した。ディスケンス公爵も、信じられないと言わんばかりの表情でこちらを見ていた。が、相貌を崩すと


「ありがとうございます。では早速その手配をいたします」


 と言った。ジェサイアは、レッドウィルリバーにいつでも行けるように、自身のスケジュールの調節をしながらディスケンス公爵の報告を待った。そして彼女がレッドウィルリバーに療養に行ったことを知ると、自身も馬車でその後を追った。


 王室図書室担当の司書に確認を取ると、ディスケンス公爵令嬢は昼過ぎに散歩がてらやってくるとの話だったので、その時間帯に図書室へ向かう。図書室へ入ると、窓辺のソファでくつろぎながら本を読んでいるディスケンス公爵令嬢が目に入った。窓から差し込む陽ざしに照らされた彼女の横顔は、とても美しく、神々しくもあった。ジェサイアは、思わずしばらくそんな彼女の横顔に見惚れた。すると、ディスケンス公爵令嬢は、ちょうど本を読み終わったらしく、立ち上がって本棚へと歩き出した。


 すると、ひらりと一枚の栞を落としていった。ジェサイアはその栞を拾いあげた。それは、四葉のクローバーを押し花にした栞だった。かなり古ぼけたその栞を、ディスケンス公爵令嬢が使用していることに違和感を覚えたジェサイアは、しばらくその栞のクローバーを見つめた。そして、気づいた。


 これは昔僕が、ディスケンス公爵令嬢にあげたものではないか? 


 と。ジェサイアは幼少のころから王太子殿下として、月に一度婚約者候補たちと親睦を深めるために、お茶会を主催し参加しなければならなかった。憂鬱なそのお茶会で、ジェサイアは笑顔を顔に張り付け、つまらない令嬢たちの話を聞いているふりをして、毎度、庭の四葉のクローバーを探すのが日課になっていた。見つけたクローバーは、持っていてもしょうがないので、そのままにしてしまうことが多かった。

 ある日、大きさが手ごろで、ハート形のとても形の良いクローバーを発見し、思わず摘み取ってしまった。だが、摘み取ったものの、どうするか考えてもいなかった。なので、持て余したそれを、ちょうどそこに居合わせたディスケンス公爵令嬢にあげたのだ。


 彼女は、こんなものすら大切にとっておいたのか。


 ジェサイアはディスケンス公爵令嬢がとても可愛らしい女性であり、自分が気まぐれで渡したものをこんなにも大切に扱ってくれていることに感激した。

 ジェサイアは、しばらくその栞を見つめていると、ディスケンス公爵令嬢が、何かを必死に探しながら歩いてくるのに気づいた。おそらく、この栞を探しているのに間違いなかった。彼女は、今にも泣きそうな顔をしている。返さなくては、そう思いディスケンス公爵令嬢に近づくと


「どうしてみつからないの?」


 と呟いていることに気づく。


 こんなにも愛らしい女性だったのか! 


 と、ジェサイアは軽く衝撃を受けながら、下を向いて栞を探しているディスケンス公爵令嬢に、栞を差し出す。彼女は、それをつかむと、胸に抱きしめながら顔を上げ


「大切なものなんです! ありがとうございます!!」


 と言って、ジェサイアの顔を見て、困惑した表情になった。突然訪れたのだから、困惑するのも当然だろう。ジェサイアは、すぐにでも彼女の目の前に跪きプロポーズしたい衝動を抑えて微笑むと


「その栞、素敵だね」


 と言った。もっとまともなことを言えなかったのか、久々に会った彼女がまぶしすぎてなんとも間抜けなことを言ってしまった。そう後悔しているうちに、ディスケンス公爵令嬢は、先ほど栞を渡された時の、可愛らしい笑顔から、いつものそつのない公爵令嬢の顔に戻ってしまった。そして、目を伏せ努めて冷静に


「お褒めいただき、ありがとうございます。王太子殿下がいらしているとは知らず、挨拶も遅れてしまい申し訳ありません」


 と礼をした。ジェサイアはなんとかディスケンス公爵令嬢の気持ちを引き戻さねば、と思い彼女を見つめる。そしてディスケンス公爵令嬢が以前と違った雰囲気なのに気づいた。以前より質素になったようだった。療養に来ているのだから当然なのだろう。だが、質素ではあるものの、ディスケンス公爵令嬢の素材や内から滲みでる気品でより輝いて見えた。


「君はここに療養にきたと聞いている。そんなに気を使わなくてもいいよ。それより、君が以前と見た目も雰囲気も違っているので、僕は驚いているよ」


 と言ってそんな美しい彼女をじっと見つめた。ディスケンス公爵令嬢が戸惑っているのがわかったが、後ろから突然嫌な声がした。


「ジェシー様、こちらにいらしたんですね!」


 振り向くとそこにギラギラした目のパシュート公爵令嬢が立っている。なぜお前がここにいる。そう思っていると、パシュート公爵令嬢はこちらに駆け寄り、無礼にもジェサイアの腕に抱きつくようにつかまった。その様子を見ていたディスケンス公爵令嬢は慌てて


「これは大変失礼しました。お二人でごゆっくりお過ごしください」


 と、素早く数歩下がると、その場から駆け出した。彼女の後を追いかけようとしたが、パシュート公爵令嬢は信じられないほどの馬鹿力でジェサイアの腕を押さえてこう言った。


「ジェシー様? せっかく見つけたのですから、私わたくしにお付き合いくださいましね」


 正直、虫唾が走った。だが一つ不思議に思うことがあり質問した。


「パシュート公爵令嬢、君は誰の許可をもらってここに入ってきたんだい?」


 パシュート公爵令嬢は頬を赤く染め、うつむき加減に


「どうしても、ジェシー様にお会いしたくて。私、お父様にお願いしたのです」


 パシュート公爵と国王は幼少のころから一緒に育ったので仲が良い。なので娘可愛さに、パシュート公爵が懇意にしている国王に掛け合い許可を得たのだろう。それにしてもパシュート公爵も、まさか娘がこんな無礼な振る舞いをしているとは思いもよらないだろう。ジェサイアは自身の腕からゆっくりとパシュート公爵令嬢の腕を外すと


「君にジェシー様などと軽々しく呼ばれたくない。それに私がここに来た本来の目的を邪魔された。パシュート公爵には、君のこの無礼な振る舞いを伝えるとしよう」


 とだけ言うと、踵を返す。後ろでパシュート公爵令嬢が


「そんなのおかしいです! 私とジェシー様とのイベントのはずなのに」


 と、訳の分からないことを言っているが、そんなもの知ったことではない。と思いながら、図書室を後にした。

 そして、慌ててディスケンス公爵令嬢の後を追い、彼女の別荘まで馬車を走らせる。だが、時すでに遅しだった。彼女は王都に戻ってしまったと、ディスケンス公爵家の別荘にいた執事は言った。

 突然、ひどく傷ついた顔をして帰ってきたと思ったら、そのまま王都に帰ると言ったのだそうだ。


 ジェサイアはもう一刻の猶予もないことを悟った。ゆっくり二人で話をしてから婚約発表を、と悠長に構えていたがそれどころではない。

 それにこれ以上時間をかけていると、あのパシュート公爵令嬢が余計なことをしでかし、ジェサイアとディスケンス公爵令嬢との関係をこじらせるかもしれないと思った。


 ジェサイアは直ちに馬車を走らせ、王都に戻ると国王に婚約発表をすることを報告した。そして、それは次の王族主催の舞踏会で発表することとした。

 後日、改めてディスケンス公爵を呼び出すと、娘のディスケンス公爵令嬢へ、その舞踏会は欠席はできないと伝えるように言った。


 ジェサイアはディスケンス公爵令嬢のためにドレスや宝飾品を選んだ。女性のためにプレゼントを選ぶのは初めての経験だった。今まで、誰かにお礼の品を贈る時は必ず食べ物など後に残らないものを選ぶよう、側近に言いつけて送っていた。

 だが、自分の好きな女性にプレゼントを贈るというのはこんなにも楽しいものなのか、とジェサイアは改めて思う。プレゼントしたときに喜ぶディスケンス公爵令嬢の顔を思い浮かべると、自然と自分が微笑んでいることに気が付いた。ドレスを選ぶときは、ディスケンス公爵夫人に相談したりもした。



 婚約発表のある舞踏会当日。ディスケンス公爵令嬢とお揃いであるだろう衣装の袖に手を通すと、鏡の前で顔がほころぶ。自分が会場入りするのは招待客が全て会場入りしてからなので念入りに準備ができた。


 側近からはちゃんとディスケンス公爵令嬢が、ディスケンス公爵のエスコートで会場入りしたとの報告を受け、彼女のいる位置も把握した。どうやら、ディスケンス公爵令嬢は会場入りして早々に壁の花になってしまっているらしかった。

 ジェサイアは側近の誘導で会場入りをし、周囲がこちらを興味深々で見ているのがわかった。当然だろう、婚約者発表をすると言ったのだから。


 会場入りし、形式的な挨拶をしながらまっすぐにディスケンス公爵令嬢の下へ行く。ディスケンス公爵令嬢は壁に寄りかかり、うつむき暗い顔をしていた。ジェサイアが贈ったドレスを着ており、ジェサイアはそれだけでも嬉しくなった。ディスケンス公爵令嬢の前に立ち、見上げてこちらを見つめる手を差し伸べ言った。


「一曲踊っていただけないでしょうか?」


 ディスケンス公爵令嬢は唖然としていたが、ジェサイアの手を取ると誘導されフロアの中央までエスコートされた。ジェサイアはディスケンス公爵令嬢に久々に対面する喜びを感じながら、思わず彼女の腰に手をまわし、グッと引き寄せる。そこには二度と離さないという意思が含まれていた。音楽が始まり、ステップに合わせながら、ジェサイアの耳元でディスケンス公爵令嬢は囁く


「王太子殿下、揃いのドレスで申し訳ありません」


 ディスケンス公爵から聞いていないのだろうか? ディスケンス公爵には、本人に婚約の話をしないで欲しいと頼んでいたので、伝えなかったのだろう。そう思いながら返す。


「なぜ謝る? そのドレスを贈ったのは僕なのに」


 自分の贈ったドレスに身を包んでいるその姿を見たとき、ジェサイアは彼女を自分を自分の手中に入れたように感じ、幸福感に包まれた。彼女は自分がすっかり包囲されているとこと気づいてもいなかった。彼女が気づいたとして逃げ場はないのだが。そう思いながら、ジェサイアは、愛しい彼女の顔を久しぶりに間近で見ることのできる喜びを感じていた。美しい。その一言に尽きる。ジェサイアはうっとりとディスケンス公爵令嬢を見つめた。ディスケンス公爵令嬢は、ジェサイアのその眼差しと微笑みに顔を真っ赤にすると


「で、王太子殿下はパシュート公爵令嬢と婚約なさるのでは?」


 と答える。ここでパシュート公爵令嬢の名前が出てくるということは、レッドウィルリバーでの出来事が尾を引いているのだろう。パシュート公爵令嬢とジェサイアが懇意にしていると勘違いしているならその誤解を解かなければと焦りを感じつつ


「まさか! なぜそう思ったんだい? とにかく君と僕はちゃんと話をしなければいけないね」


 と、ディスケンス公爵令嬢のの額にキスをした。

 感情がない、冷酷な王太子殿下と言われ続け、自分でもそう思っていたのに、自然とそんな行動ができたことにジェサイアは自分でも驚いていた。

 だが、ディスケンス公爵令嬢は自分よりもその行動に驚いたようで、力が入らなくなりジェサイアにもたれかかった。そんなディスケンス公爵令嬢の可愛らしさに、ジェサイアは感動すら覚えながら、ディスケンス公爵令嬢を支えダンスを踊りきる。この時ジェサイアの気持ちの高ぶりは最高潮であった。そのまま、愛しいディスケンス公爵令嬢をを抱きかかえ、フロアの中央に立つと婚約発表の段取りも忘れ


「皆はもう、気づいていると思うが、私の婚約者を発表しよう。ルビー・ファン・ディスケンス公爵令嬢だ」


 と高らかに宣言し、ルビーの手の甲にキスをした。ディスケンス公爵令嬢は混乱しながら


「王太子殿下、違いますわ、婚約は発表をまって」


 と支離滅裂なことを呟いた。それすらジェサイアは愛しいと感じながら見つめ


「照れているの? そんな君が愛おしいよ」


 と、正直に気持ちを伝え唇に軽くキスをする。顔を赤くしているディスケンス公爵令嬢をみて、今日婚約発表をしてしまってよかったと内心安堵する。湧きあがる会場の中に令嬢たちの悲鳴がまじる。だが会場は祝福ムードで溢れた。


 そこに突然、金切り声が響く。パシュート公爵令嬢だった。パシュート公爵令嬢は一歩前に出ると


「ジェシー様、酷いですわ! わたくしを選んでくれるのではないのですか?」


 と叫ぶ。ジェシーと呼ぶなと警告したというのに、この令嬢は言葉を理解できないのか? 更に、幸せな時間を邪魔しているパシュート公爵令嬢に怒りを覚えた。だが、パシュート公爵令嬢にわからせるには、またとない機会だと思い、公衆の面前で注意することにした。パシュート公爵令嬢にこれ以上我慢ならなかった。そして


「いつ誰が君を婚約者にするといった? 私は立場上、婚約者候補の令嬢には平等に接していた。いい機会だから言うが、パシュート公爵令嬢、君は勝手に私の名前を愛称で呼び、勝手につきまとい、勝手に婚約者候補の筆頭であると噂を流した。こちらは大変迷惑だった。本来なら追放を言い渡すところだが、君の父親のパシュート公爵に免じてそれだけは許してやろう。だが、今後一切王室関係の行事への参加は禁止する」


 と言い放った。パシュート公爵令嬢はその場に座り込み


「なんで? だって私、主人公なのに……」


 と呟いていたが、父親のパシュート公爵に連れられて帰って行った。これで二度とパシュート公爵令嬢の姿を見ずに済むと思うとジェサイアはすがすがしい気分になった。なぜ自分を主人公と思ってしまったのかはまったくもって謎だった。ジェサイアはディスケンス公爵令嬢逃がさないよう抱えたまま


「少しテラスへ行って話をしようか」


 と言い、周囲に向かって


「今日、この喜ばしい日を皆も楽しむがよい!」


 と言った。会場から拍手と歓声が上がる中、ジェサイアはそのままテラスへ出た。ディスケンス公爵令嬢が顔のほてりを取っているのを見ながらジェサイアは話し始めた。


「実は少し前の舞踏会の時に、パシュート公爵令嬢とダンスを踊ったあと、並んで立っていた順に次に君にダンスを申し込もうとした。ところが君がいつもと違った様子でテラスへ向かうの見て、追いかけたんだ」


 と言ったあと、自分の心を大いに揺るがしたあの魂の叫びを思い出しながらジェサイアは


「そうしたらテラスで君が泣きながら、僕を愛してると……」


 と言うと、ディスケンス公爵令嬢は顔を真っ赤にし


「いやーっっ!!」


 と、叫びジェサイアの口を両手でふさいだ。なんと愛らしいことか、とジェサイアは自身の口をふさいだその手を取ると、ディスケンス公爵令嬢に説明を続ける。


「パーフェクトで、完璧だと思っていた君が涙していることにまず僕は驚いた。そしてあの愛の告白は魂の叫びだった。僕は今まで君の何を見ていたのだろう? そう反省した」


 そう言うと、ディスケンス公爵令嬢が顔を伏せたので、その愛らしい手のひらにキスをした。そして話を続ける。


「その時に声をかけようとしたが、パシュート公爵令嬢とフォルトナム公爵令息と男爵令嬢もテラスへ出てきたので、声をかけるタイミングを逸してしまった」


 ディスケンス公爵令嬢は不安そうに顔を上げ、ジェサイアを見つめると


「では、あの後パシュート公爵令嬢が、その、フォルトナム公爵令息に抱きついたのは……」


 と言った。おそらくあの場面を見て僕が傷ついたとでも思ったのだろう。こちらに気を使っているのがうかがえた。ジェサイアはその優しさに心をうたれながら答える。


「見ていたよ。あの堅物フォルトナム公爵令息が、最近年下婚約者の男爵令嬢に夢中で首ったけだという話が社交界で噂されていたから、計算高いパシュート公爵令嬢は焦ったのだろうな」


 と言って、苦笑した。そして


「だが、パシュート公爵令嬢の目論みは見事に失敗に終わり、フォルトナム公爵令息はパシュート公爵令嬢を邪険に振り払うと、男爵令嬢を追いかけて行った」


 と言った。当然のことだ、聡いフォルトナム公爵令息ならパシュート公爵令嬢の計算高さにすぐ気づき、男爵令嬢を追うに決まっていた。だがそこは問題ではない。ジェサイアは


「あの二人のことはどうでもいい。大変だったのはその後の僕たちのことだ。君と話がしたくとも何があったのか、君はなぜか引きこもってしまって話もできなかった。仕方なく君の父上のディスケンス公爵と相談して、レッドウィルリバーの図書室へ招待して、ゆっくり話ができる機会を作ってもらった」


 と言った。強引に婚約発表を行う前に、少しでも努力をしたことを彼女には知ってもらいたかった。


「あれはお父様が取り計らってくださったのではなくて?」


 と、ディスケンス公爵令嬢は当然の質問をした。なぜか彼女をだましたような気になりながらも答える。


「取り計らったというか、君と二人きりでちゃんと話をするために君がレッドウィルリバーの図書室へ行くように、ディスケンス公爵と仕組んだんだ」


 ディスケンス公爵令嬢は驚いた様子を見せたが、気分を害する様子は見られなかった。ジェサイアはホッとした。だが、ディスケンス公爵令嬢は表情を曇らせると


「でもあの時、パシュート公爵令嬢が……」


 と言った。やはり、ジェサイアとパシュート公爵令嬢の仲を誤解したに違いなかった。ジェサイアは今ここでしっかりその誤解を解かねばと思った。


「彼女には困ったよ、フォルトナム公爵令息に振られあとがないと悟ったのか、散々僕を追いかけまわしてね。パシュート公爵の力を使ってあの場に現れた」


 ディスケンス公爵令嬢は一応は納得した様子だった。こんなに人を疑わない人間をジェサイアは知らず、そんなディスケンス公爵令嬢に対して、愛しさがこみ上げるのを感じた。そしてジェサイアは続けて


「それでも僕にとって収穫はあったよ。まさか君が僕のあげたクローバーを押し花にして持っているとはね。本当に嬉しかった」


 そう言うと微笑み、あの時の感動を思い出した。そしてその後、すぐにディスケンス公爵令嬢が王都に戻ってしまい、一刻の猶予もないことを悟り、ディスケンス公爵令嬢が自分から離れていく辛さを思いだし


「君が離れていこうとしているのを感じて、あんなにも胸がかきむしられる思いをしたのは初めてだった」


 と、その時の気持ちを素直にディスケンス公爵令嬢へ伝えた。そして、ディスケンス公爵令嬢の足を地面におろし、両手で彼女の頬を優しく包むと、その美しい瞳の奥をじっと見つめ


「君がいつも完璧なのも、何もかもが僕を思ってのことだとわかったのに、どうして君を愛さずにいられるものか」


 と言って、ディスケンス公爵令嬢を思い切り抱き締めた。彼女はボロボロと涙を流しながら、ジェサイアを抱きしめ返すと


「王太子殿下はパシュート公爵令嬢を愛しているのだと思っておりました。王太子殿下はわたくしにとって全てでしたので、それが辛かったのです」


 と言った。なんということだろう、彼女にそんなに辛い思いをさせていたとは。もっと早くに強引に会ってでも気持ちを伝えるべきだったと後悔しながら


「そんな勘違いをさせるようなことをして申し訳なかった。月並みな言い方だが、君は僕に真実の愛を教えてくれた。愛している。君だけだ。本当だ。君しかいないよ。何度でも言うよ、心から愛している」


 とディスケンス公爵令嬢に伝え、恐る恐る彼女に訊いた。


「結婚してくれるね?」


 ディスケンス公爵令嬢をじっと見つめ、返事を待つと、彼女はは目を潤ませジェサイアを見つめ返し


「はい」


 と返事をした。ジェサイアは信じられないほどの幸福感に包まれた。テラスから彼女は僕のものだと国中に宣言したい気分だった。そしてディスケンス公爵令嬢を見つめると、情熱に身を任せ彼女に深いキスをした。甘美な感触が全身を包む。そして


「君に永遠の愛を誓おう」


 と誓った。


 その後、国を挙げて二人の結婚式が盛大に執り行われた。王族の結婚では珍しく恋愛結婚であり、国民に祝福される要因となった。また結婚してからの熱愛ぶりは隣国でまで噂されるほどであった。


 こうしてジェサイアの物語は幕を閉じた。

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