第8話 通い妻は待ちわびた。
「パピー中々帰って来んな」
「……そうだね」
時刻は夜8時30分を回ろうかという頃。
私はひなのちゃんと一緒にテレビを眺めながら諒太さんの帰りを待っています。
今日は配信の方はお休みです。
ひなのちゃんから目を離す訳にもいきませんし。
何よりそんな気分になれませんでした。
「じぇーけー元気ないのけ?」
「う、ううんそんな事無いよ。ただ諒太さんが心配なだけ」
「ふーむ?」
諒太さんからは凄く長文のメールが送られて来て、その内容に私は酷くモヤモヤしてしまってるんです。
要約するとこの前玄関先で鉢合わせした後輩さんと飲みに行くとの事だったのですが……
どうしてもそれがずっと胸のどこかに引っ掛かってしまって妙に落ち着きません。
別に私は諒太さんの恋人という訳でもないのに。
最初メールが届いた時、実は嬉しかったんです。
諒太さんに頼りにされてる、ひなのちゃんを任せて貰えるくらいには信用されてるんだって。
だけど……
返事を考える内に段々と胸の中にしこりのようなものが生まれたんです。
私やひなのちゃんを置いて可愛い後輩さんと2人で飲みに、ですか。ふんっ、と。
……自分でもびっくりです。
私は自分が思っているより、諒太さんとひなのちゃんと3人で過ごす時間が好きみたいです。
「……早く帰って来ないかなぁ……」
「じぇーけー元気出せ」
ひなのちゃんが精一杯手を伸ばして私の頭を撫でてくれました。
「……ありがとね」
「うむ!」
本当にいい子。
きっと諒太さんと亡くなった奥様、あかりさんのおかげなんでしょうね。
それにしてもどうして諒太さんは私をここに──いえ……分かってます。
……諒太さんが私をここに置いてくれるのは、その奥様に私が似ているから。
きっと私に、あったはずの幸せな未来を重ねて見ているんでしょう。
だから諒太さんは私自身の事は見ていない。
奥様の代わりでしかないのだから。
──ズキン。
……何でそう考えるだけでこんなに胸が痛くなるんでしょうか。
まだ出会ったばかりなのに。
私達の関係は長続きするものじゃない。
初めて私の進みたい道を応援してくれたのが嬉しくって今は甘えているだけ。
もしかすると夏休みが終われば解消している関係かも……
私は今が凄く楽しい。
出来ればずっとこのままで居たい。
だけどそれじゃ諒太さんに、ひなのちゃんに迷惑を掛けてしまう。
今の私に出来るのは精々こうやって諒太さんのお手伝いをする事だけ。
──あの人の特別にはなれない。
「あ……」
「どうした?」
「う、ううん」
「?」
私は少しだけ胸に去来する想いに気付きました。
初めて私を応援してくれたあの人。
手を出して良いと言ってるのにずっと大事にしてくれるあの人。
"通い妻"なんて無茶苦茶なお願いを聞いてくれる優しいあの人。
私はあの人の特別に──
「じぇーけー、今スマホ鳴ったぞ」
私はひなのちゃんの指摘通りスマホを確認しました。
「! 本当だ、諒太さんからメールみたい」
メールフォルダを確認すると、もうすぐ帰るとの事でした。
瞬間、どこか安堵した自分に気付きます。
……お泊まりじゃなくて良かった──と。
「ひなのちゃん、もうすぐ帰って来るみたいだよ」
「おぉ!やっと帰って来るのけ!」
「ふふ、良かったね」
「ふっ、じぇーけーもな」
……何でこの子はこうも人の心を見透かした発言をしてくるのかな。
──そうして待つこと10分程。
「ひなのちゃん、きっとそろそろだろうから迎えに行って来てもいい……かな?」
どうしても待ちきれなくなった私は、後で怒られるかも知れないけどマンションの出入口へ向かいたい気持ちでいっぱいでした。
「やれやれ……」
「ごめん……」
「ひなはここでおねんねしときます」
「うん……本当に大人しくしてるんだよ!」
「まかせい」
本当は絶対に目を離しちゃいけないって分かってる。
だけど、私は今すぐあの人の胸元へ飛び付きたかったんです。
「ごめんひなのちゃん、行ってくる!」
「うむ!」
そうして私は玄関を飛び出しました。
すぐ目の前にある階段を駆け下りて、あの人の所へ──
「はぁっ……はぁっ……」
私はすぐマンションのエントランスに着き、オートロックの自動ドアを通りました。
夜道は既に真っ暗になってます。
電柱も少ないので明かりといったものは機能してません。
まだ諒太さんの姿は見えず、明かりの灯るマンションの出入口前で私はあの人を待ちます。
そして数分が過ぎた後、いよいよ待ち切れなくなった私は少しだけマンションから離れてみました。
出入口を右に曲がって、しばらく直進すると今の時代には珍しい公衆電話ボックスが見えて来ました。
そしてそこの陰にはスーツを着た男性の姿が。
「……諒太さんっ……!」
もう、あの人はあんな所に突っ立って何をしてるんですか!
私もひなのちゃんもずっと待ってるのに!
飲み過ぎて酔っぱらった所を休んでたのでしょうか?
まぁいいです、早く一緒に家に帰って貰ってすこーし大事なお話をしませんと。全く。
私は大きな公衆電話のボックスから少し離れた常夏からあの人の名前を呼ぼうとしました。
「諒──」
その瞬間、諒太さんの隣にもう一人女性が居る事に気付きました。
一緒に飲んでいた、あの諒太さんの後輩さんでしょう。
それだけなら私は呼び掛ける事を止めませんでした。
無理だったんです。
遠目からでも分かっちゃいましたもん。
──諒太さんがその女性とキスをしている事に。
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