第7話 後輩は強かだった。


「かんぱ~い!!」

「……かんぱーい」


 その日の夜7時、俺は家から徒歩20分程の繁華街にあるとあるバーに来ていた。


 ……江本を連れて。


 バーのカウンターに隣合って座る俺達は、ロックグラスをかちん、と鳴らした。


「ちょっと先輩テンション低くないですか!」

「当たり前だろ……佐々倉さんに全部押し付けて来たんだぞ……」


 そう……俺はあの子にひなののお迎え、世話等々家の事を全て任せて今ここに居る。


 俺が沈んでる理由はそんな自分への情けなさもあるが、一番はこれだ・・・


「ほら、俺のスマホ見ろよ。俺は懇切丁寧に状況を説明して真摯にお願いしたんだ」

「ふむ、確かに」


 スマホ一面にびっしりと、決して機嫌を損ねないように社会人らしいメールを俺は送った筈だ。


「そして見よ、これがその返事だ!」

「うわ先輩の長文に対して一言だけ、"帰ったらお話があります"って書いてますね」

「怖すぎるだろこれ!?」

「たかがJKに何をそんなに怯えてるんですか…… 浮気がバレた旦那じゃあるまいし」


 やかましい。誰のせいだと思ってんだ誰の。

 

 あーそういやあかりとは浮気を疑われてる旦那って雰囲気に何度かなった気がする。

 

 ちなみに本当に何もしてない。俺は無実だ。


「て言うか、本当にJK家に連れ込んでなにやってるんですか先輩」

「……何……やってるんだろうな……」


 俺にも分かんねぇんだよ。

 

 大体この"通い妻"ってのも、あの子にどういう真意があっての事なのかも分かってない。


 家に通って、家事を手伝って、配信して。


 今は夏休みだからこの生活が続いてるし、あの子が言う親と距離を取りたいってのも実現出来ている。


 だけど親と距離を取りたいだけで良く知りもしないアラサーの家に入り浸って、これがあの子の為になってるのだろうか。


 もっと出来る事があるんじゃないだろうか、そう思わずには居られない。


「先輩、あんま未成年の子に入れ込まない方が良いですよ。本当に先輩の為になりませんから」

「さっきも言ったろ?別に入れ込んでなんかないって」


 俺はこのバーに来るまでの道中、江本に佐々倉さんの事を説明していた。


 ある日突然家出JKを拾った事、家出JKが通い妻になった事。

 Vtuberである事は伏せて、とにかく我が家で彼女の願いである、親と距離を取りたいってのを叶えてやってるとな。


 無論、手を出してない事は強調したぞ。


 だがそれでもそれを聞いた江本は一言、「……このロリコン……」と漏らしていた。


 誰がロリコンだ。俺は妻帯者だぞ。


「……超入れ込んでんじゃん。先輩、私が同じお願いしたら叶えてくれるんですか?」

「はぁ?お前良い年した大人だろ?甘えてんじゃねぇよ」

「あ、そう。そうですか。よーく分かりましたっ!!」

「お、おい江本……!?」


 江本は手に持っていたグラスを一息で呷った。


「んんっ!!」

「バカ!1杯目でそんな飲み方する奴がいるか!」


 俺達が注文したのはウイスキーのロックだ。


 ウイスキーの銘柄は確認しなかったが、どう考えても度数はキツイ。


 江本って結構酒が強いのか?


 俺のそんな疑問は、次の江本の行動で解消される事となる。


「……先輩♡」

「おい……くっつくな」


 ぴと、と肩を俺に預けた彼女はとろんとした顔で俺を見上げている。


 そして赤い顔で妖艶に笑う。


「……これが大人にしか出来ない、大人の甘え方です。効いてますか……?」

「……っ!」


 艶のある長い茶髪が俺の左肩に掛かる。


 つい昨日までとは違う、大人の魅力を手に入れた彼女。

 

 ……俺の顔が熱いのはきっと酒のせいだ。


「……先輩、手ぇめっちゃ熱いですよ?」

「ば、バカ握って来んなって!」


 江本は俺をからかう様に強弱を付けて左手を握り締めてくる。

 

 ……カウンターの奥に居るマスターの視線が少し痛い。


「おい江本、もう良いだろ!」

「あっ」


 俺は無理矢理引き剥がす様に手を振りほどいた。


 と、同時にテーブルの下に手を打ってしまう。


「~~~っってぇ~!!」

「あー……地味に痛いやつ……」

「……くそぉ……」


 俺は手をブンブンと振りながら江本を睨んだ。


 当の本人は俺の視線なんか気にも留めず、テーブルに突っ伏して空のグラスを弄んでいる。


「……ま、2年も前に亡くなった奥さんの指輪を律儀に嵌めてる人が私なんかに靡く訳ないですよね……」

「……お前……」

「私、あの時は気付かなかったですけど後になって気付きました。あの子、佐々倉さんでしたっけ?先輩の奥さんにそっくりじゃないですか……」


 こいつには何度かあかりの写真を見せた事がある。

 奥さんの事見てみたいってうるさかったからな。


 俺も辛かったけど、それでも写真を見せながらあかりの話をするのは辛さよりも楽しさが上回ったんだ。

 江本もとても真剣に聞いてくれたからな。


 彼女は本当に出来た後輩だ。


 だからこそ、今悲しそうに笑う江本が俺には辛い。


「……先輩、やっぱりあの子に入れ込んでますよ。異常なくらい。普通、見ず知らずの人間を家に出入りさせませんって。手を出す訳でもないのに」

「……そう、なのかな」

「そうですよ。理由も一つしか無いですし」

「べ、別にあかりだけが理由って訳じゃ──」


 江本は俺の言葉を遮るように、空のグラスを持った手で俺を指差した。


「──依存し始めてるんですよ。亡くなった奥さんの穴埋めにね」


 否定……出来なかった。


 まだ出会ってほんの僅かなのに、俺は佐々倉さんの事ばかり考えていた気がする。


 今日だってそうだ。


 おかしいだろ、なんだって他人にひなのを任せてるんだ。


 俺はあかりの代わりに、あかりに良く似たあの子を──


「ま、これもただの女の勘ですけどね」

「……お前なぁ」

「ひひ、でもそんなに外れて無いでしょ?」

「どうかな……」


 江本は言葉に詰まっている俺を他所に、マスターに追加の酒を頼んでいた。


 え、レッド○ルウォッカてなに。

 最近のお酒?


「いやー仕事終わりはやっぱこれですよねぇ!」

「なにこれ、エナジードリンクで割るの?」

「そうですよ~先輩も飲みますか?」


 む、少し気になるな。

 

「じゃあ俺も頼もうかな」

「了解です!マスター、もう一つ同じものをお願いします!」

「かしこまりました」


 ややコワモテの男性マスターはすぐにレッ○ブルと、ウォッカの入ったグラスを持ってきた。


 へぇ、自分で割りながら飲むのか。


「てかお前、2杯目とか大丈夫なのか?」

「あ、はい。ほろ酔い作戦は失敗みたいなので普通にお酒を楽しもうかと」

「……強かな奴」

「何か言いましたか?」

「いーえ何でも」


 そうして俺達は他愛ない話をしながら小一時間程お酒を楽しんだ。


「そういやお前どうして第二会議室なんかに居たんだ?」

「こないだの会議であの資料置いてったのわたしですし。良い作戦でした」

「……この腹黒女」

「私のお腹が黒いか、家に来て見てみますか?」

「誘い方が雑。やり直し」

「だが断る」


 それは使い方が微妙に違う。


 ──と、まぁそんな具合にほどほどに酔いが回って来た頃。


「江本、そろそろいい時間だ。帰るぞ」

「……嫌です」


 再びテーブルに突っ伏した江本は、今度こそ本当に赤い顔で俺を睨んでいる。


「先輩と初めて飲めたのに……もう次は無いのに……まだまだ足りません……」

「わがまま言うなって。佐々倉さんとひなのが待ってるんだよ」

「むぅ~……」


 俺は駄々を捏ねる後輩の肩を持ち、無理矢理立たせた。


 と、その拍子に少しズレた手が江本の胸元へ吸い込まれていく。


「……ひゃっ!」


 俺はすぐに手を離し、半目で俺を見る江本に両手合わせた。


「わ、悪い!」

「……追加の口止め料を要求します」

「だ、だがさすがにこれ以上は──」

「違いますよ」


 江本はすっと立ち上がり、俺の腕に持たれ掛かった。


「……先輩の家、途中までで良いですから一緒に帰らせて下さい」

「い、いや俺が送るって」

「ハハ、駄目に決まってるでしょ」

「……俺に家を知られるのは嫌か?」

「ハァ……この鈍感」


 ぎゅっと俺の手を握った江本は俺には聞こえない声で囁いた。


「……んな事されたら無理矢理連れ込んじゃいますよ……困るのは先輩のくせに……」

「え?何だって?」

「もう良いですからっ、お会計済ませてさっさと帰りましょ!」


 江本は俺を引っ張ってレジへと向かう。


「お、おいお前奢って貰う側だよなぁ!?」

「これはただの口止め料です!このロリコン先輩!」

「お前とうとう口にしてはならん言葉を!?」

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