第3話 三百の竹筒で
セキは、呉羽の黒から真珠色に変貌した長い髪を丁寧に梳かしながら、密かに安堵していた。
アキの姿に怯えなかった麗奈だが、呉羽の髪留めを外しても同じか心配したのだ。
気位が高い呉羽には、
百年生きた生き物は妖かしに、千年生きた生き物は神の使いにと言われるが、アキと呉羽は千年以上生きている。
本来、アタシ達だって、隣に立てるような存在ではないのよねぇ…。
セキ達は、実体をたもてる幽霊にすぎないのだ。
かつてオーナーが『求められる場所でいる事。それがどんなお客でもよ』と、言っていたように、この店とオーナーは、呉羽達にとって意味のある場所になっているようだった。
「呉羽は
オーナーは、まるで友人を紹介するように呉羽の横に丸椅子を転がして座る。ユナが運んできたレモンティーを受け取ると、満足そうに口をつけた。
素晴らしい爽やかな香りが広がる。
「…オーナー。あの
空気がピリピリと震える。不機嫌を隠そうともしない呉羽に、オーナーは
店の
まったく…、うちのオーナーはホント、カッコイイわねぇ。
セキは、落ち着かない気持ちでいるだろうゲンスケ達に色っぽくウィンクする。
オーナーに向けては、口に当てた指先を向けてフーと吹けば、セキの投げキッスに、形の良い眉を少しだけあげたオーナーが、空気を溶かすように柔らかく、ふわりと笑った。
「ふふ。あのね、呉羽。今の人にとっては
ほんの一瞬、呉羽の頬が色づいた。しかし顔にかかる髪を払う手が邪魔して、よく見えない。
千年…生きようが、百年生きようが、人が知ろうとしないかぎり、そこにあるものは見えてこない。それは、幽霊の世界でも同じ事。
「…人は薄情で、
呉羽の冷えた目に憎しみがやどる。カットされる呉羽の髪は、真珠が
「私も人だったのよ。まあ、いいわ! じゃあ、そろそろ本日のお代を頂きに参りましょ」
オーナーがティーカップを置いて立ち上がった。すると、店内の明りがオーナーの動きに合わせるように、すーと暗くなり、辺りが輪郭だけを浮かばせる。
気づけば、オーナーを先頭に皆でススキ野原を歩いていた。
麗奈のすぐ前を呉羽が歩いている。
教養がないと言われれば傷つくが、オーナーは、それで良いと言ってくれる。
「あっ、あの、呉羽さん。私、呉羽さんの戸隠山、行ってみたいです。あまり出掛けたことなくて、どんな所か知らないけど、キレイな紅葉、私も見てみたいです」
…呉羽は答えない。だが振り返ったオーナーが、ニッコリ笑う。呉羽の拍子抜けしたような声がした。
「…頭の悪い娘ね」
相変わらずの冷たい声と、身体の線を強調するような紅色のワンピースは、血を浴びた姿のようでゾッとした。
呉羽の真珠色の髪は、暗闇でも光を放つよう輝いて揺れる。
「あ…」
麗奈はやっと昔読んだ話を思い出した。
戸隠山には鬼がすんでいる…。昔々、
まさか…と、はちりと瞬きし、もう一度真珠色の美しい髪を見れば、頭部にある二本の…ツノが見えた。
「あっ! 見えました!!」
そうか。見ようとしなかっただけなんだ。本当の所、鬼が何であるかなどわからない。鬼が恐ろしいものなのかもわからない。
それでも、麗奈は見ていなかった事に申し訳ないと深く、深く頭を下げた。
そんな麗奈に、声をかけてくれたのはやっぱりオーナーだった。
「なあに、その顔は? うちは接客業。どんな客でも、笑顔であしらいなさい」
暗闇だった空が、赤く灯る。鱗雲の一つ一つが真っ赤に染まり、ススキの上には沢山の赤トンボが飛んでいた。
なんてキレイな景色だろう。この景色は、呉羽達からのお代なのだろうか?
うっとりと夕日を眺める麗奈の耳に、オーナーの声が聞こえた。
「音が少し大きいから、覚悟してね」
ドン、ドン、ヵ、ドン、ドン、ヵ…。
何か打ち鳴らす音が響く。
ドン、ドン、カ! ドン、ドン、カ!。
ススキ野原を抜けた先に…。
ドン、ドン、カ!! ドン、ドン、カ!!
――――――!!
「こ、これは…」
そこには、向かい合った二人が、両手で竹筒を持ち、地面を打ち鳴らす集団。何人も、何人も。
恐ろしい顔をした者もいれば、男も女もいる。遥か先まで群衆が続き、互いに竹筒を握り、打ち鳴らす。
「この…人たち…は?」
「そうねぇ。幽霊三百人ってとこかしら? だから、竹の数も三百本。何度見ても、なかなかの迫力ねぇ」
和服姿であだっぽく話すセキが、クスクス笑いながら震える麗奈に寄り添う。
「秋の彼岸時期は、これで地下を
「え、踊り?! まさか、私も踊るんですか? む、無理です! 絶対無理! バンブーダンスなんてやった事ないです!」
「あらん。バンブーダンスって言うの? アタシ達はティ二クリンて呼んでるわ」
いや、呼び方なんてなんでも良い。だいたい三百もの竹筒で踊るバンブーダンスなんて、見たことないから――!
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