第3話 上申

「中隊長!」

 由宇は叫ぶように言った。

 水島は机に肘を付いて親指と中指で両のこめかみを押さえていた。由宇が飛び込む瞬間まで、何か重大な悩み事を抱えていたかのようだった。

 駿は肩で息をしながら開け放たれた入り口に立って由宇の肩越しに水島の反応を待っていた。

「何だ」

「救出作戦をやらせて下さい!」

 由宇は間髪をいれずに答えた。

 水島は沈黙したまま由宇の瞳を見つめている。水島は何のことだとは言わなかった。王3佐の件を知っているのだろう。

 長い沈黙の後、水島は結論ではなく理由を言った。

「練度が足りない」

 練度が足りないというのは由宇の事ではなく、駿達を含めた分遣隊としての練度だろう。

 駿は由宇が自分一人だけでもと言い出すのではないかと思った。

 だが、由宇はなかなか口を開かなかった。水島も言葉を発する事なく由宇を見つめている。

「まだまだ練度は低いかも知れません。それでも他の部隊と比べても相当な戦力になっているはずです。極少数の隠密潜入で任務を遂行するなら特別分遣隊が最適です」

 由宇はなんとか食い下がった。

「だが救出作戦を行う部隊は臨機に応じた柔軟な行動が取れるレベルでなければならん。それにはまだ程遠い」

 由宇の表情は見えなかった。だが震える肩と拳は、由宇が瞳に激しい色を浮かべていることを物語っていた。駿は「負けられない事情がある」と言っていた時の由宇の顔を思い出した。

 由宇が反論に窮していると水島は追撃を図った。

「それに罠の可能性もある。敵が救出作戦を予想していればそれ相応の準備をしてくるだろう。特別分遣隊に関して敵がどの程度情報をつかんでいるかは不明だが、こちらの戦力を測るという意図も考えられる」

 由宇は即座に「可能性だけです」と言い放った。その声は少し涙声だった。

「だが可能性があるのなら、それがあるものとして作戦は組まなければならない。希望的観測で作戦を立てることは出来ない」

 由宇は言葉を失ってしまっていた。震える肩にもう激情は見えなかった。

 駿は経験と能力が絶対的に不足していることは自覚している。それでも由宇には協力すると言っていた。だから出来ることはしたかった。

 駿は一歩踏み出すと由宇の横に並んだ。

「中隊長! 作戦を行う必要性が無いわけではないんですよね。中隊長は先ほどから作戦の危険性ばかりを仰ってます。本当は作戦実施の打診が来てたりするんじゃないですか?」

 由宇が「はっ」と息を飲む音が聞こえた。

 水島は表情を変えることなく駿を凝視していた。

「中隊長自身、迷っておられるのではないですか。我々の練度が足りないと言っても、3年程度しか使えない人間に土台万全を期すことなんて出来ないはずです。中隊長自身それが分かっているから山狩りだってさせたのではないですか」

「だが作戦それぞれに所要のレベルという物はある」

 駿はこの作戦が必要とする練度がどの程度のものなのかなど分からなかった。だが以前水島から言われた言葉を思い出した。

「中隊長は罠だと言っておられますが、そうだとしても私たちは彼らの想像を超えているはずです。たとえ罠だったとしても奇襲が成立するはずじゃないですか。私たちは彼らの想像を超えているはずです」

 水島は言葉を発しなかった。

「確かに我々は何でも出来るようなレベルにはありません。ですが何か出来ることはあると思います」

 駿はそれだけ言うと水島の言葉を待った。

 水島は駿の瞳を見つめていた。駿も視線をそらさず受け止める。水島は駿の覚悟のほどを見透かそうとしているかのようだった。

 長い沈黙の後、水島は大きく息を吐くと視線を落として言った。

「結論は保留する。だが作戦を実施する方向で準備は行う。処刑までまだ時間はある」

 駿はホッとため息をつくと由宇を見た。

 不安からなのか、それとも安堵からなのか、由宇は大きな目を見開いたまま涙を流していた。

 二人がしばらく呆然としていると水島が言った。

「どうした。お前たちは訓練の準備をしておけ」

「はい。ありがとうございます」

 駿が言うと、由宇も弾かれたように礼を言った。

 中隊長室を出ると背中がじっとりと汗ばんでいたことに気がついた。「ふう」と大きく息を吐き出す。

 由宇を見ると、やっと涙を拭っているところだった。

 駿が玄関に足を向けながら「行こう」と声をかけると、由宇は「はい」と答えて付いてきた。

「あの、ありがとうございました」

 駿は後ろを振り返って笑顔で言った。

「協力するって言ったろ。それに中隊長自身迷ってたんじゃないかな。そんな風に感じた」

 由宇の大きな目はまだ真っ赤だった。だが鼻をすすりながら「はい」と答えた顔は、心の底から溢れてきた笑顔に見えた。

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