第3話 神酒の懸念

「みんな準備は良いかしら」

 5中隊唯一の鉄筋コンクリート建ての建物の中、神酒はコンソールに備え付けられたマイクに向かって喋っていた。

「ブリーフィングで話したとおり、今日は始めてのシム訓練ですからね。私が丹精込めてチューニングしたシミュレータをたっぷりと堪能してもらうわよ」

 自慢げに話す神酒は楽しそうだった。

「今日の訓練は歩くことだけ。ちゃんと思った方向に歩ければそれで良いわ」

 神酒の眼前にある大型モニターにはスーツを装着した四人の姿があった。そこは明るい日差しの注ぐグラウンドで、駿たちは戦闘服と弾帯、そしてタクティカルゴーグル以外は何も付けていない。駿が見ている仮想世界と同じ映像だった。

 だが、大型モニターの下に並ぶ4台の小型モニターには全く異なった映像が映っていた。四台のモニターには四人がそれぞれ映っている。彼らは暗がりの中、中空に支えられたスーツに乗り、ゴーグルの代わりに細いコードの付いたヘッドマウントディスプレイを着けていた。腕の先や肘にもワイヤーが繋がれている。

「では、最初に手本を見せてもらうわ。ユウ」

「はい」

 神酒が言うと大型モニターの中で由宇が歩き出した。鹿山はスーツのことをダチョウの足と言っていたがまさにその通りだった。踝に当たる部分は地上から一メートルほども上にあり、その下にはほっそりした足がちょっと前向きに伸びている。

 そのダチョウのような足を使って由宇は器用に歩いて見せた。ただし、下のモニターに映る由宇は、中空で足をひょこひょこさせているだけで、その姿は滑稽でさえある。

 戦闘機並みの価格がするほどのスーツを使った実働訓練はコスト的にも見合わないし、多様な環境下での訓練を行うことは難しい。だがシミュレータ上であればそれが可能だった。

 それにピルミリンを使った実働訓練は身体的にも負荷がかかる。おまけに駿たちの心臓脇に埋め込まれた自動注入装置に充填されている薬剤は百回分程度しかない。再充填には再び手術を行うことが必要だった。

 神酒自慢のシミュレータはピルミリン使用の状態をも模擬できる優れものだった。

 大型モニター内の由宇は、二十メートルも歩くと立ち止まって振り向いた。

「じゃあ次ヒメ、歩いてみて。ハイヒールを履いたようなイメージで。足先を使いすぎないようにね」

「ラージャ」

 歩き始めた紫苑は右に左に揺られながらギクシャクと歩いている。それでも、ちゃんと前に向かって歩けていた。

 しかし、それに続いた駿は、激しく上下動して歩くというよりは跳ね回っている状態だった。

 「スーツの動力が大きいから足先をうまくコントロールしないと二階まで跳ね上がっちゃうわよ。特にシュンのスーツは出力が高く設定されているから気をつけて」

 そんなことを言われても駿はハイヒールなど履いたことなどあるはずもなかったし、つま先立ちで動き回ることもしたことはなかった。

 駿は激しく上下する視界に酔いそうだと思った。だが、実機を使っての訓練よりも胃が振り回されないだけ、負担の軽い訓練であるはずだった。

「最後にミニー、やってみて」

 「アイ・サー」

 答えた声は元気だったが、駿と同様に跳ね回る。

「キャー、落ちる~」

 彼女は、派手な悲鳴を上げ始めた。


 神酒の後ろに立った人影は右手でヒゲを撫でながら賑やかになったスピーカーに苦笑を浮かべていた。

「こっちの二人は前途多難そうだな」

「大丈夫です。スーツのインターフェイスは良く出来てます。直ぐに慣れます」

「そうだな」

 水島は独りごちたかのようにつぶやいた。

「それよりも私は新月2曹が心配です。あの子に指揮官なんてやって行けるんでしょうか。若いですし……それ以上に向いていないように見えるんですが……」

「指揮官に必要な資質にはいろいろあるが、最も大切な事は何だと思う?」

 神酒は顎に手をやり、少し考えるような仕草を見せるとモニターを見つめたまま答えた。

「決断力、迷わない事……でしょうか」

 水島は直ぐには答えずモニターに映る由宇を見つめた。

「もちろんそれも必要だ。だが私は最も大切なことは、その人間が強いこと、もちろん腕っ節の事ではない、単に意志が強いという事とも少し違う、その人間の芯の強さのようなモノだと思っている」

「それは動機の種類やその強さに左右されるようなモノでもない。その人間が持つ本質的な強さだ。軍人としてのカリスマと呼ぶべきかな。それがあれば部下は付いてくる。大丈夫。彼女はそれを持っている」

 そう言った水島は天井を見つめて思い出すように言葉を継いだ。

「私が始めて会った時の彼女は復讐の鬼だったよ。だが今のあの子を動かしているのは復讐ではない。あの子はそれを重荷に思っているかもしれないが、復讐よりも健やかなものだ。そしてそれが土台になる」

 モニターの中では相変わらず四人が賑やかにやっていた。それでも駿や瑠璃も曲がりなりにも歩けていた。

「歩けるようになったら、少しずつペースを上げてみて。ユウは三人を見てやってね」

「はい。了解です」

 神酒はトークボタンから手を離すと、背もたれに体重を預けて言った。

「私たちに出来ることは限られてますね」

「そうだな。今は見守ってやることだろう。だがその先には戦場を作ってやるという仕事もある。易し過ぎず難し過ぎず。時間がない分、戦場の選定は慎重にせねばならん」

「上から無理を言われる可能性はないんですか?」

「幸いなことに、今のところその心配は必要ない。何せ期待されてないからな。オンハンドが大きい内に彼らを鍛え上げる。無理を言われる頃には無理を聞けるようにするさ。そしてそれは可能なはずだ」

 水島は残った右の拳を握り締めた。

「それには君の力も要る。頼むぞ」

「はい」

 応じた神酒は真剣な面持ちで肯いた。

「私にも、戦う理由はありますから」

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