第2話 団結会
「ビール4つね」
軍人としては恐ろしく身長の低い瑠璃が既に場を仕切っていた。彼女は愛らしい顔だちに髪をショートボブにしていた。体つきも彼女の身長と比例している。彼女に言い寄ってくるとしたら趣味の特殊な男だろう。
「あ、私はウーロン茶でお願いします」
新宿で出会った少女、そして先ほど拳を合せた新月分遣隊長は申し訳無さそうに右手を上げて言った。彼女も胸はなかったが、体型が幼いわけではなく絞り込まれた故の細さだった。一言で言えば体操選手のような体つきだった。
「ええ~?」
仕切りにケチ付いたという訳ではないのだろうが、瑠璃は不満そうに頬を膨らませている。
「みんな大人でしょ。十八でしょ?」
成人が十八に改められてから既に大分時が経っていた。瑠璃は目一杯に広げても大して幅の無い両腕を広げて主張した。
「ごめんなさい。私十七です。あと少しですけど……」
2曹という階級も、分遣隊長という肩書きもおかしいのだ。駿は今さら驚かないつもりだったが、やはり驚いてしまった。軍隊への入隊は高校卒業が条件ではなかったものの、基本的に十八からだったからだ。ただし、休戦中とは言え戦時なので特例があるとも聞いていた。
三人が自分たちの指揮官を見つめると、彼女はもういちど「ごめんなさい」とつぶやいた。
「軍人が未成年にお酒を飲ませる訳にはいきませんからね。ビール3つにウーロン茶で。それに枝豆とから揚げ、あと揚げだし豆腐二つづつ」
「はいよ。二つずつね」
ちょっとくたびれたエプロンを着けた給仕のおばさんは、それだけ言うと伝票を置いてカウンターの向こうに消えていった。
「ここが隊員クラブじゃなけりゃ酒くらいどうってことないけどねえ」
そう口にしたもう一人の同僚は、瑠璃とは対照的に起伏の豊かな体つきをしていた。
駐屯地内で唯一酒の飲める場所、隊員クラブに入ってきた瞬間から、三者三様の美少女の中で最も周囲の男たちの目を引き付けているのは彼女だった。
髪は腰に届くほど長く、ゆったりと三つ編みにされている。ただし、本人はそれらが異性に与える印象を気にかけていない様子だった。
彼女は椅子に掛けるなり足を組んだ。しかし、その様は色っぽいものではなく、まるで飯場のオヤジのごとくだった。
口調もサバサバを通り越してがさつに近い。
「はい、お待ち」
おばちゃんが、派手な音をたてて机の上に飲み物とつまみを置いた。
「え~では、分遣隊長どうぞ!」
瑠璃は、右手でマイクを持つしぐさを作ると、左手で新月2曹を促した。
「えっと、カンパイ?」
「それでもいいです」
ちょっと間をおくと、瑠璃は諦めたように言った。
「で、では。九州・沖縄の一日も早い奪還のために、カンパイ」
団結会なんだから「協力して頑張って行きましょう」、ぐらいな事を言うのが普通なんじゃないかとは思ったが、駿は素直にジョッキを掲げた。九州・沖縄の奪還は政府のスローガンだったが、普通は一部隊が掲げるようなものではなかった。
「ところで隊長」
そう呼ばれた本人は、豆鉄砲をくらったハトのような顔をしている。
駿が部隊に合流したのは今日の事だし、他の2名も昨日来たばかりだと言っていた。指揮官は「隊長」と呼ばれることに慣れていないらしい。
「は、はい」
「で、ですね」
瑠璃が早速なにかを追求しようと口火を切ろうとした瞬間、由宇がその言葉を遮った。
「その前に……、タックネームを決めましょう」
「空軍のパイロットさんが使っているニックネームの事ですか?」
瑠璃は良く喋るだけでなく軍についての知識も豊富なようだった。
「はい。私たちの場合高速で機動しますし、ある程度散開して戦闘することになります。だから作戦行動中は無線で話すケースが多くなるはずなんです」
両の拳を握り締め必死の呈で主張する様を見ていると、駿は彼女が至極可愛らしく見えてしまった。
「普通にナンバー付きのコールサインでもダメじゃないんですけど、出来ればタックネームを決めて、それに慣れておいた方が良いと思うんです」
「その無線、秘匿はかかるの?」
鼻にかかったような紫苑の声が疑問を挟む。
「もちろんです」
「なら、いいんじゃない」
駿は、彼女の言うもっともらしい理由よりも本当は階級付きや隊長と呼ばれる事に気恥ずかしいのだろうと思ったが、黙って肯いた。
駿は女性や年下が上官になる事ぐらい、いくらでもあることだと思っていたし、軍隊のルールに従って敬意を払うつもりではいた。しかし、この指揮官はあまりに駿のイメージからずれていた。タックネームで呼び合う方が話し易そうだ。
駿のイメージで言えば、2曹とは教育隊先任班長の厳ついオヤジ顔でしかなかったし、隊長と言えばそれこそ水島中隊長のような人だった。
「タックネームを付けるにあたって、なんかルールとかあるんですか?」
瑠璃が早速目を輝かせて聞いていた。
「無線で話すので、良く使われる用語や数字に近い音でなければなんでも。聞きやすくて長すぎない方が良いですが」
「じゃあ、私はミニーがイイです。ずっとそう呼ばれてたんですよ」
「理由は言わなくてもいいわ。分かるから」
そう紫苑がつぶやくと、瑠璃はフグになった。
「聞いてください」
そう言われても紫苑は枝豆を口の中に飛ばしただけだった。
いきおい瑠璃は駿の方に向き直る。
突然だったので少し面食らったが、言わないことには収まりそうにない真剣さだった。
「どうしてミニーなんだよ?」
瑠璃は喜色満面で答えた。
「苗字と身長が低いことを架けてるんですよ。カワイイでしょ」
「他には褒め言葉が見つからないものねえ」
紫苑の言葉は毒が強かった。駿は少しでも中和できるように「確かにカワイイね」と答えておいた。
「七尾3士は何て呼ばれてたんです?」
相槌に気を良くしたのか話を振られたのは駿だった。あらためて3士と呼ばれると流石に気になる。
「普通に名前の通り、シュンだよ」
「悪くないですけど味気ないですねえ」
瑠璃が考え込むような仕草をしたので、駿は慌てて言った。
「ここでもシュンでいいよ。すごい名前じゃなくていいから……」
「そんなのよりイイのがあるよ」
横槍を入れたのは紫苑だった。
「何です?」
「ノラクロ」
「それはダメですよ。のらくろは2等兵からです。七尾3士には分不相応です」
ちくちくと言ってくる事を見ると、瑠璃は駿の発言を気にしているようだ。
それにしても妙に古い事まで知っている。のらくろは第二次世界大戦の頃の漫画のキャラクターだったはずだ。
「あ、間違えた」
紫苑は大げさな仕草で右手で左手をポンと打った。
「のらくろじゃなくてアナクロ」
「あ、それイイ。死語だけど」
駿は「グッ」と呻いた。昼間の発言を気にしているのは紫苑も同じのようだった。
「二人とも悪ふざけはそのくらいに……」
一日早く着隊している分、二人は由宇とも打ち解けているようだ。
「こんなヤツ、アナクロでイイのよ」
「そうですよお」
「そんな差別的な言葉は良くないです」
「差別してんのはコイツだって」
「そんなつもりはない」と言った所で通用しないだろう。
「とにかく止めましょう。もうシュンでいいじゃないですか」
由宇が助け舟を出してくれなければ、本当にアナクロにされていたかもしれない。
「優しい上司でよかったねえ」
「チェッ」と舌打ちした瑠璃は残念そうだった。
「隊長は何かありますか?」
「私も……ユウでいいです。そう呼ばれてましたから」
瑠璃は面白く無さそうに「う~」と小さく呻いた。そして紫苑に向き直るとやはり面白く無さそうに聞く。
「あなたは何て呼ばれてたんです?」
「私もニックネームは無かったわね」
紫苑は一瞬間をおき、瑠璃が口を挟もうとした瞬間に「友達少なかったし」と付け加えた。
瑠璃が悔しそうな顔を見せたので、同じ事を言おうとしていたのかもしれなかった。そして、それを見た紫苑は唇の端を上げて笑った。
「でも、影で言われている名前ならあったわよ。毒姫なんて言われてたみたい」
「理由は言わなくても分かるでしょ?」
カラカラと笑う紫苑は楽しそうだったが、駿と由宇は苦笑いするしかなかった。
「毒はちょっと……」
由宇の言葉に瑠璃はため息をついて言った。
「じゃあ、ヒメでイイですよね。確かに品さえ良ければ、その態度はヒメかもしれませんし!」
紫苑は何も言わず、意地の悪い笑顔を浮かべているだけだった。
「それならイイんじゃないですか?」
由宇がそう言うと駿も頷いておいた。
「では、改めて」
瑠璃は再びマイクを持つ仕草を作るとそれを由宇に向けた。
「ユウはどうして十七で、2曹なんですか?」
あまりにダイレクトな聞きぶりに由宇は椅子ごと後退っていた。
「やっぱり気になりますよね」
聞いて良いものか気にはなったが、気にせずにいることは難しかった。
「はい。秘だって言うのでなければ収まりつきませんよお」
三人から視線を向けられた由宇は目をしばたきながら口を開いた。
「えっと、私、潜入工作員をしてたんです」
一瞬沈黙が訪れたが瑠璃は追求の手を止めなかった。
「九州で?」
「沖縄からです。九州戦後は熊本に移りましたが」
三年以上昔からとなると、少なくとも中学生の頃から工作員をしていたことになる。
「いろいろあって一年前にこちらに来たんですが、工作員も軍属扱いらしくて……、それまでの経歴が評価されてって言うことらしいです」
「なんでそんなに若いうちから工作員を?」
「やっぱり親が工作員だったとか?」
駿も子供の工作員は親と一緒にリクルートされることが多いと聞いたことがあった。
「いえ。家族……は沖縄戦で……」
一瞬重苦しい雰囲気になるが由宇はそれを振り払うかのように明るく言った。
「でも偶然、ホントに偶然ですけど、私水島中隊長に拾われたんです」
「拾われた?」
駿は鸚鵡返しに聞いた。
戦災孤児として保護されたという意味ではないだろう。軍人、その時点では自衛官だったろうが、に戦災孤児を拾うような余裕はないはずだ。
「あ、はい」
だととすれば工作員としてリクルートしたと言うことだ。
「じゃあ、それからずっと中隊長といっしょなんだ」
「いえ、ずっと別の工作員の方と家族を偽装してました。中隊長と再会したのはここに来てからです。それに、ここに来たのも皆さんと同じで適性検査に通ったからです。だから、それ以外はみなさんとそんなに違わないです」
由宇は大した事を喋ってはいないつもりのようだったが、駿たちにとっては想像もつかない経歴だった。それに、疑問に答えているようでいて答えていない回答でもあった。工作員はそんな簡単になれるようなものではないし、リクルートされるなどなおの事だったからだ。
「十分違ってますよ。2曹にされるって事は、相当な功績があったっていう判断でしょ?」
瑠璃の言う事の方がもっともだ。
「功績と言えば功績かもしれませんが、見かけで油断されただけだと思います。やっていた事の多くは情報の収集や伝達係ですし」
「でも実戦経験もあるんでしょ。神酒1尉に聞いたよ」
紫苑の口から出てきた言葉はちょっと衝撃的だった。
「はい。破壊工作とかもしましたし、追われたこともあったので……」
由宇は体操選手のような体つきで身体能力が高いことがうかがい知れた。しかし、その印象には弱々しさもあるくらいだ。その彼女が実戦を潜り抜けてきたとはちょっと信じがたかった。
「格闘の経験もあったのか?」
駿のボクシング歴は三年に及んでいた。いくら反応促進剤を使われたとしても、そのパンチがそう簡単に交わせるはずが無いと思えた。
「はい。家族を偽装していた工作員の方に徒手格闘と合気道を教えてもらってました」
「なるほどな」
駿は少しだけ自信を取り戻した。由宇はその技で命をやり取りするほどの覚悟で格闘を学んで来ていたのだ。
「皆さんはどうして軍に?」
隠そうと言う訳ではないようだが、由宇もあまり過去には触れたくないらしい。話題を振ると由宇は駿の方を向いた。瑠璃と紫苑の視線も受けて、駿は小さなため息をつくと口を開いた。
「姉が沖縄でね。ユウ……と同じだよ」
「今頃軍人になる人間には珍しくないね」
紫苑の言葉に「もしかして」と返すと、彼女は手のひらをヒラヒラさせながら笑って言った。
「私は違うよ。駐屯地内に弓道場があるだろ。戦争が始まらなけりゃ定時で終わるしね。好きなだけ弓が引けると思ってさ」
「もちろん覚悟はしてるけど」
彼女は怪訝な視線を振り払うかのように、さすがに焦った調子で付け加えた。
「だけど射撃をやったらそっちの方が面白くてねえ。ここんところ弓は握ってないかな」
それを聞いた由宇がニッコリと笑って言う。
「だったら良かったですね。特戦群所属だと自発訓練用に支給される弾薬も無制限です」
「聞いたよ。それがなければサインしてないかも」
駿はそんな理由もあるのかと思った。確かに教育隊でも似たような事を言っていたヤツは居た。
「じゃあトリは私ですね」
瑠璃はわざわざ立ち上って言った。
「私は制服が着たくて入隊したんです」
これも同じような動機のやつは居た。割りと一般的らしい。
「そして制服はなんと言っても海軍です」
「陸じゃないのかよ」
ここは突っ込んでおく所だろう。
「海軍だったんです。なのに突然所沢に行けって言われて……」
「誓約書を書かなければ戻れたんだろ?」
「多分そうだと思います。だけど期待されたら嬉しいじゃないですか。それに制服のコレクションも増えますから」
「海軍のは返納じゃないのか?」
「大丈夫。私費で一着作りましたからその分は残ってます。おかげでお給料は大分消えましたけど」
「そこまですんのか」
駿は半ば呆れて言った。
「だって支給品はダブダブで格好悪かったんです」
さもありなんだ。瑠璃の身長は百四十を切ってるんじゃないかと思えるほど。今はジャージにTシャツだから良いが、昼間見た戦闘服姿は、まくり上げた袖が異様に太かった。
「まあでも、アンタの場合は入ったことより入れたことの方が不思議だけどね」
紫苑の言葉に瑠璃が目を吊り上げた。そして胸を張って威張るように言う。
「身体検査でつま先立ちしましたけど、何にも言われませんでした!」
「入隊希望者が足りてないらしいですね」
由宇はしみじみといった調子でつぶやいた。入隊基準に身長制限はあるが柔軟に判断されているのだろう。
「ところで、どうしてみんな十七とか十八なんですか?」
瑠璃の疑問は駿も抱いていたものだった。
「詳しい説明は神酒1尉がしてくれると思いますが、適性と年齢に関係があるからだそうです」
由宇は机に身を乗り出すと声を潜めて言った。
「適性は二十歳を過ぎた辺りから低下するようです。スーツも特注ですし訓練だって特殊なものになります。だから部隊を新編するにあたって本格的な要員選抜を今年の入隊者から行ったそうです」
「来年には倍増ってことか?」
「さあ。その辺の計画は私も知りません。それに適性保有者の出現率もまだ良く分かっていないようです」
「スーツっていくらくらいするんですか?」
「セカンドパッケージだと戦闘機よりは安いって聞きました」
「百億レベルか。ちょっと怖い額だな」
その場の緊張がほんの少しだけ高くなった。
駿が3杯目のジョッキを開けると肩に何かがぶつかった。左を見ると由宇がうつらうつらしている。
あの薬を使うと体には相当の負荷がかかるらしい。駿も昨晩の記憶は怪しかった。
駿は由宇がもたれ易いように椅子に掛け直すと周囲を見回した。
彼ら以外は、ほとんどが四十一普連所属のようだった。ちらちらと寄せられる視線が気になる。
「注目されてるとしても、あんたじゃないよ」
考えを見透かされたのか紫苑がからかってきた。
「分かってるよ。奴らからしたら俺は邪魔者だろ」
「そうだねえ。アナクロ3等兵がいなかったら、ゆっくり酒は飲んでられないかもね」
「誰がアナクロ3等兵だよ」
駿がいなければ間違いなく周りの連中が押し寄せるだろう。タイプは違っても三人共そのくらいかわいかった。
「嬉しいでしょ。美少女に囲まれて」
瑠璃がテーブルに乗り出して言った。頬はほんのりを通り越して明らかに赤くなっている。
「はいはい。ま、俺が闇討ちされたら、みんなのせいだろうな」
ちょっとしたサービストークだったが本音でもある。因縁を付けられるぐらいはあってもおかしくはない。駿は注意しておこうと思った。
そして、ジョッキをあおると改めて三人を見やった。念願かなって戦闘部隊に配属されたことは嬉しかった。だが危険な任務をこなす特殊部隊だというのに駿以外は全員が女性だという。蔑視をしているつもりは無かったが、女性には幸せに暮らして欲しいと思っていた駿としては、釈然としないものは拭えない。
特に、どこか弱々しい印象がある由宇みたいな女の子には危険な事はして欲しくなかった。だが彼女はそれこそ危険を潜り抜けてきていた。
駿がちらりと横目で見ると彼女はほとんど目を閉じ椅子の背に体重を預けていた。
ゆらゆらした状態がなんだか危うい感じに見える。大きな目をほとんど閉じそうなほどに細めて笑っている。それは家族に囲まれて談笑するような安心した笑顔だった。
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