第6話 5中隊舎

 ハンガーを出ると神酒は隣の建物に向かった。それは予想した通りのプレハブ作りだった。

 入口脇には第5中隊と書かれた木の看板がかかっている。普通は部隊名が書かれた看板は立派な毛筆の書によるものだ。だが5中隊のそれはパソコンでプリントされたゴシック体で、指揮官が外見に囚われない人であることが見て取れた。

 神酒に続いてそのプレハブに入ると、彼女は直ぐ右脇にある部屋に向ってノックした。

「神酒1尉入ります」

 中に入ると奥の机の上に三角形のプレートが見えた。そこには2等陸佐水島鷹雄と書かれている。

「七尾2士を連れてきました」

 机の向こうに背を向けて立っていた人物は身長が二メートル近い偉丈夫だった。振り向くと鋭い眼光と蓄えた口ひげが印象的だった。

 だがそれ以上に駿の目を引いたのはだらりと垂れ下がった左袖だった。彼には左腕が無かった。沖縄か九州で負傷したのだろう。

「中隊長の水島だ」

 声は予想通り低く威圧的なものだった。

 駿は自然と踵と踵を響かせて答えた。

「七尾2士です」

「なかなかの成績だったようだな」

 水島は机の上に置かれていたバインダーを取り上げた。

 駿には昨日の適性検査の事を言っているのか、それとも教育隊での成績を言っているのか分からなかった。だが、答える必要もなさそうなので不動の姿勢、気を付けをしたまま黙っていた。

「休んでいい」

 肩幅に足を開き、手を体の後ろで組んで休めの姿勢をとる。しかし顔は正面を向けたまま少し上に向ける。精神的には気を付けのままだった。

「君は教育隊で戦闘部隊への配属を希望していたな」

「はい。強く希望しました」

 駿は即座に、そして語気強く答えた。

「神酒1尉から聞いたとおり、特戦群第5中隊は特殊な薬物と特殊な装備を使用する極めて特殊な部隊だ。そして、まごうことなき戦闘部隊だ」

 水島は言葉を切ると駿の内心を伺うかのように目を見据えた。

「部隊は極めて危険度の高い作戦に投入される可能性がある。そして使用する薬物自体も危険なものだ。だが君が復讐を望むなら、これ以上適切な部隊もないはずだ」

 そこまで言うと水島は一冊のバインダーを駿の目の前に差し出した。

「君がその誓約書にサインできるなら、5中隊に配属となる」

 駿はそのバインダーを手に取った。

 書かれている文字は多くない。すばやく目を走らせた。

 そこに書かれていたのは手術を受けることに対する同意と、作戦が失敗した際に救出作戦が行われない可能性を認める事だった。

「我々の作戦には停戦合意を無視して実施される作戦が含まれる。敵地で捕虜になった場合の回収の保障はない」

 水島の言葉は駿を恐怖させようとしていることが明らかだった。

 だがそれでも駿の心は決っていた。学校での勉強も、ボクシングで体を鍛えたことも、そして軍に入ったことも、全て姉の復讐を誓っての事だった。駿は戦闘服の上から銃弾のペンダントに右手を置くと静かに言った。

「サインします」

 神酒が差し出したボールペンを手に取ると、強く握り締めて自分の名前を書いた。そしてバインダーを回すと水島に差し出した。

 サインを一瞥すると水島は相好を崩して右手を差し出した。

「ようこそ、5中隊へ」

 駿が水島の手を握るとそれは想像以上に大きく力強かった。

「いらっしゃい」

 横では神酒がそれまでとは違ったやさしい笑顔を駿に向けていた。

 駿がほっとした気持ちで居ると、水島は机上にあったインターホンのボタンを押した。

「新月(あらつき)2曹、中隊長室へ」

 駿はインターホンから響いた「了解しました」という声に驚いた。どこかで聞き覚えがあったからだ。

 廊下から軽い足音が響いたと思うと、駿の後ろでやはり聞き覚えのある声が響いた。

「入ります」

 どこか線の細さを感じさせる、それでいて何か芯の強さも感じさせる不思議な声だった。

 その声の主が駿の隣に立つと、水島が言った。

「君の上司、特別分遣隊長の新月2曹だ」

 そこに居たのは新宿で出会った少女だった。

 上司?

 2曹?

「七尾駿2等陸士です。よろしく……お願いします」

 駿は違和感に混乱させられたまま、なんとかそれだけは絞り出した。

「新月由宇(ゆう)です。よろしくおねが……」

 由宇と名乗ったその少女は水島に睨まれると、途中で言葉を切り「よろしく」と言い直した。

「後のことは新月2曹に指示を受けてね」

 神酒にそう言われ、駿はその少女、由宇と共に中隊長室を退いた。


 室内には神酒が残っていた。

「本当に、あんな子供達に任せなければならないんですね」

「君だって彼らを子供と言うほど年じゃないだろう。それに君だって命を張って来たはずだ」

「それはそうですが」

「仕方がない、時間がないのだ」

 そう言うと水島は簡素な作りの椅子に腰を掛けた。

「開戦が近いんですか?」

「早ければ半年もないようだな」

「だがそれに、彼らにとっても時間はないだろう」

「はい。ピルミリンは改良中ですが、今のところ芳しい結果はでていません」

「急速練成で早期に戦力化を図る以外ない」

 水島が椅子の背に体重を預けると、大して高級でもない椅子は悲鳴を上げた。

「残念ながら、上層部はこの超人部隊の可能性を正しく認識していない。だが戦局に大きな影響を与える可能性がある。私はそれに賭けたいのだ」

「はい。私も同じ思いです」


 中隊長室を出ると駿は大きく深呼吸をした。それは緊張から解放されたからでもあったし、これで姉の復讐が出来るという安堵からでもあった。

「こちらへ」

 由宇はそう言って歩き出した。

「びっくりしました」

 階級社会である軍の規律に則って駿が敬語で話すと、由宇は大きな瞳で彼を見ながら少し困ったような顔をして言った。

「あの、普通にして下さい。中隊長には怒られてしまいますが、居心地が悪くて……」

 由宇が2曹の階級章を付けているのは本当に奇妙な事だった。何かの特殊な事情があるのだろうと言うことは想像に難くない。

「わかった、よ」

 駿がそう言うと、由宇は始めて会った時に見せた少し儚げな笑顔を見せた。

「ここが事務室です」

 そう言って由宇が開けたドアには特別分遣隊と書かれていた。

 彼女に続いてその部屋に入ろうとすると、今度は嗅覚が駿の違和感を掻き立てた。軍隊にありがちな汗と埃の入り混じった匂いとは明らかに違う、なんだか甘い香りがした。

「いらっしゃ~い」

「最後の一人ね」

 響いてきた声も、駿の想像とは質の異なる華やかなものだった。

 そこに居たのは戦闘服を着た二人の少女だった。二人とも階級は駿と同じ2士。年のころも同じくらいに見える。

 駿は目をしばたいた。

「御庭(みにわ)瑠璃(るり)2士と」

 由宇が紹介したのは軍人としてはありえないくらい背の低い少女だった。

 その愛らしい顔立ちの少女は、愛くるしい声で「よろしくね」と言っている。

「佐々倉(ささくら)紫苑(しおん)2士です」

 もう一人は壁際で斜に構えて立っていた。三つ編みにした長い髪と女性らしい体つきの少女だ。手を上げているのは「よろしく」というサインだろう。

「七尾2士です。よろしく」

 とりあえずの挨拶を交わす。そして事務室の入口に立ったまま横にいる由宇に向き直って簡潔に聞いた。

「分遣隊って、これで全員?」

 由宇は駿の混乱が理解できないといった顔をしていた。

「はい。そうです」

 水島は5中隊を危険な任務を実施する特殊部隊だと言っていた。だとすれば特別分遣隊は戦闘部隊ではなく支援部隊なのだろうか。

「分遣隊以外にも小隊があるのかな?」

「スーツやシミュレータを整備する整備隊があります。先ほど会ったと思いますが鹿山3曹と整備隊長がいらっしゃいます。他は中隊長と神酒1尉で全員です」

 だとすれば、実際に戦闘を行うメンバーは駿と目の前にいる三人だということになる。

 駿はたっぷり十秒は由宇の顔を見つめると、右足を引き体重をかかとに乗せて回れ右をした。そのまま大股で歩き出す。

「あの、どこへ?」

 後ろで由宇の声が響いた。

「中隊長室!」

 それだけ言い放つと、駿はそのままズンズンと廊下を進んだ。中隊長室前に立つとノックもせずに声を張り上げる。

「七尾2士、入ります」

 ドアを乱暴に開けると左足を踏み出した。そして両足を揃えて気を付けの姿勢で水島を睨んだ。

「中隊長!」

 水島は表情を変えることなく駿を見据えた。

「何かね」

 駿と中隊長の間を開けるように神酒は横に移動した。何故か楽しげな笑顔を駿に向けている。

「中隊長は先ほど5中隊は戦闘部隊だとおっしゃいました」

「そのとおりだ」

 駿は何食わぬ顔で答える水島を見ると、腹に据えかねるものが強くなって来た。開け放ったドアの外では、由宇と二人の少女も成り行きを見守っていた。

「ですが私以外は全員女性です。年齢も私と大差ないようです」

「それがどうした」

 そう答えられると、駿はぐっと喉を詰まらせた。

「戦闘部隊でも女性兵士が混じることは理解しています。ですが危険な任務を行う特殊部隊を女性主体に編成するなんて聞いたことがありません」

「では特別分遣隊が初ということになるな」

 水島は開き直ったように言った。

「そんな事は間違ってます!」

 駿は頭が混乱したまま、心のわだかまりを素直に言葉にした。

「君は彼女らが男性兵士に劣ると言いたいのか?」

「そうじゃありません。女の子にそんなことをさせる事が間違っていると言っているんです」

 水島は指先で机を叩いていた。何を言うべきか考えているという顔だった。

「君がそういう思想を持つことは自由だ。だが軍隊は合理で動く。優秀ならば、強ければ使う。私は別にフェミニストだからこんな事を言っているのではない。私は軍事的合理性があって彼女らを使うことにしただけだ」

 駿は言葉に詰まった。

 駿は女性差別をするつもりはなかった。それでも姉を失った駿は女性が戦争で傷つくことに、どうしても抵抗を拭えなかったのだ。それは論理ではなかった。

 だから口を衝いて出た言葉はその場の出任せだった。

「合理的だとは思えません」

 それを聞いた水島は駿を睨んだまましばらく黙っていた。そして大きく息を吐くと駿に一つの提案をした。

「よかろう。では合理的かどうか一つハッキリさせよう。これは賭けだ。もし私の言葉が合理的だと証明されれば、君はおとなしく勤務に就く。私の言葉が合理的でないと証明されれば、部隊を男性で編成し直す」

「中隊長!」

 駿の後ろから激しく響いたのは由宇の声だった。駿が後ろを振り返ると、由宇は両手を真っ白に握り締めている。その瞳には怒りともとれる真剣さが映っていた。

「今は七尾2士と話している」

 水島はそう言うと、右手を上げて由宇が口を挟むことを制止した。

「賭けとは、どういうことですか」

 駿の言葉に水島は意外な事を言い出した。

「今から徒手格闘の試合をしてもらう。相手はその新月2曹だ」

「バカな。女の子を殴れません」

「では君は敵に女性兵士がいたら黙って殺されるつもりか?」

 駿は二の句が継げなかった。言葉を返すには論点をずらすしかない。

「勝負になりません。私はボクシングの経験者です。インターハイ優勝の経験もあります。体重だって違いすぎます」

 水島はバインダーを持ち上げて見せた。

「知っている。だが心配には及ばない」

 それは駿の経歴資料だろう。

「君は勝てない」

 駿は奥歯を噛み締めた。

「分かりました。ですが、その条件は飲めません。私が負けても失う物がないのでは賭けになりません」

 駿は我ながら青臭いと思った。だが圧倒的に有利な条件でありながら、自分に何も賭けるものがないということは我慢ができなかった。

「いいだろう。では君が負ければ降格処分とする。これで良かろう」

「私は2士です」

 駿は新兵だ。これ以上は下がりようがないと思ったが水島は笑顔を見せた。

「心配は無用だ。今でも制度としての3士という階級は存在する。誰もいないはずだがな」

 成り行きで妙な事になってしまったが、駿も今さら引き下がれなかった。

「分かりました」

 駿がそう言うと、最後は神酒が引き取った。

「では格技場に行きましょう。二人とも格技服に着替えなさい」

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