後悔

大鷲

後悔

「私さぁ、好きな人、出来たんだよね」

 飲んでいたコーラを吹き出しそうになる。

 重大発言をした彼女は机に伏せたままだ。

「お前そういうの興味あったの?」

 出来るだけ普通に聞いたつもりだったが、少し声が裏返った。

「うーん。なんていうか、あんまし褒められた恋じゃないというか、何というか......」

「何だよそれ。本当に好きなのかよ」

 はっきりしない彼女の発言に、思わず声が大きくなる。

 周りの人の視線が集まる。放課後のファミレスは高校生の溜まり場だ。

 彼女がうらめしそうにこちらを見つめる。

 首をすくめて、ストローを噛む。

 彼女の指がグラスをなぞる。

「本当に......好きなの」

 彼女の頬が紅潮する。

 こんな表情、十数年一緒にいて一度も見たことない。言葉通り本気なのだろう。

「そっ、か」

 持っていたコーラを一気に喉に流しこむ。

「それでどんな相談なんだ」

 彼女は何か悩みがあるたび、このファミレスに俺を呼び出す。

「なんていうか......その、好きにならないほうがいいのかなぁ、なんて思ったりして」

「はぁ?」

 意味の分からない相談に再び声がでる。

 相変わらず彼女とは目が合わない。

「どうやったら仲良くなれるかとか、なんとか連絡先を聞きたい、とかじゃねーの」

「うん」

 今度は自分が机に倒れこんでしまう。

「まぁ自分でもなかなか変な悩みだとは思うけどさぁ」

 そう言いながら彼女はメニュー表を開く。

「同じ高校?」

「ううん、違うよ。なんなら彼は私の顔すら覚えてないと思う」

 空になったコップの氷を、意味もなく口に放り込んだ。

 彼女は店員を呼び、山盛りポテトを頼んだ。

 コーラとホットココアを持って席につくと、彼女は深く呼吸をして話し始めた。

「初めて彼に会ったのは三ヶ月前。三年生になってすぐのこと」

 冷えたコーラにストローを挿す。普段より炭酸の刺激を強く感じた。

「彼、学校が始まってすぐだからか、かなり不安そうな表情で登校してたの。心配はしたけど声をかける勇気もなくて、」

 その時を思いだしてか、彼女は苦い表情を浮かべる。

「だから彼の横を通るとき、出来るだけ早く抜けようとしたの。そしたら彼、どうしたと思う?」

 身体を前に乗り出し、問いかけてくる。先ほどとは一変して楽しそうな表情だ。

「彼、挨拶してきたの。それもとびきりの笑顔で。自分は不安だろうに、全くそんな素振りみせずに」

 持っていたココアを大事そうに握りしめ、微笑んでいる。彼女の目に今何が写っているか、部外者の俺に知る術はない。

「そんな彼の明るさに惹かれたの。毎日通学路で彼の姿を見て、元気を分けてもらってたの」

 咥えていたストローを噛む。細くなってしまった口からコーラを啜る。

「放課後に彼を見たときは本当に嬉しかった。友達と楽しそうに戯れている彼の笑顔は、ほんとうに眩しかった」

 彼女の想いに火がついたのか、言葉は加速し始めた。

「たまたま駅前のショッピングモールで彼を見たときは、家族と一緒だったの。妹さんと無邪気に遊んでる可愛い一面もあれば、荷物を全部持ってあげる家族想いな一面もあって。それで」

「ご注文の山盛りポテトです」

 目の前に名前負けしないポテトがそびえ立っていた。店員の優しい笑顔に、彼女の身体は一回り小さくなってしまった。顔が赤くなっているのは興奮によるものか、羞恥心によるものか。

 気持ちを落ち着け、幸せそうにココアを啜る彼女を見て、ふと純粋な疑問が浮かぶ。

「だったらなんで好きにならないほうがいい、なんて思うんだ」

 これだけ思っているんだったら、別に遠ざかる必要性もない。むしろもっと積極的に話してみろよ、と言いたくなるくらいだ。

「......色々困難があるの」

「困難って、ロミジュリかよ」

「うっせぇ」

 俺の肩を軽く小突いた彼女にいつもの明るさは感じられない。先ほど届いたポテトに二人とも手はつけていない。

「まぁ、一番大きな問題は彼の家かな。彼のご両親が、勝手に彼女を作るのを快く思わないかも」

「なるほど。厳しい家となると、いよいよロミジュリ化が進んできたな」

「真面目に話してんの」

 脛に蹴りを入れられ、思わず声が漏れる。

 鈍い痛みに耐えながら、彼女の話をもう一度反芻してみる。

 家柄が絡んでくると簡単に、告白しちまえ、とは言えない。そんなことして彼らの人生を変えてしまったら、俺はその責任を負うことになってしまう。

「友達になることさえ難しいのか?」

「周りの目もあるだろうし、難しいかも」

 彼女が歪んだ笑いを浮かべる。自分の気持ちを圧し殺す時に浮かべる顔だ。その表情に苛立ってしまう。

「お前さぁ......全部“かも”じゃん」

「え?」

 ポテトに伸ばしていた彼女の手が、ピタリと止まる。

「話し聞いた感じ全部お前の想像なんだよ。『私を知らないかも』『ご両親が許さないかも』『周りが見てるかも』って」

「そ、それは......」

「お前ビビってんだろ」

 彼女の大きな目が、さらに大きく開かれる。そのまま俯いて黙り込んでしまった。

 ドリンクバーに水を取りに行き、彼女の前にグラスを置く。彼女は勢いよくグラスをとると、そのまま水を飲み干してしまった。

「だって......」

「だって?」

「そんなの怖いに決まってんじゃん」

 俯いたままの彼女の表情は見えなかったが、想像することは容易にできた。

「迂闊に近づいて嫌われちゃったら、もう姿を見ることも出来ないだろうし。嫌われたら多分私、立ち直れないし。そんな思いするくらいだったら、このまま遠くから見てるだけが幸せなのかなって......」

 彼女の肩が震える。

「お前嫌われる想像は出来るくせに、好かれる想像はできねーの」

 彼女がゆっくりと顔をあげる。真っ赤に充血した目でこちらをみつめる。

「いいか。言ったら後悔するかもしれねえ。でも言えたら“一生”は後悔しねえ」

 言葉に思わず力がこもる。周囲の人が見ているような気もするが、今の俺には関係ない。

「一回話しかけてこい。うまくいったら祝ってやるよ。失敗したら、焼き肉食いに行こう」

 涙でぐちゃぐちゃになった彼女の表情が笑顔に変わる。

「馬鹿でしょアンタ。女の子慰めるのに焼き肉ってセンス無さすぎ」

「だったらやめとくか?」

「行くに決まってるでしょ」

 二人で顔を見合わせて笑う。

 ふと口に運んだポテトは、冷えて湿気ってえらく塩辛かった。




 欠伸をしながら席に着く。昨日の失恋の痛みはまだ引きずったままだ。

 かっこつけてアドバイスしたくせに、誰よりも自信がなかったのは自分だった、というオチ。

「なんだよ辛気臭い顔して。彼女にフラれたか」

 妙に芯をとらえた発言に思わずイラつく。俺の表情が変わったのに気づいてか、お調子者の友人は慌てて、話題を変える。

「今朝のニュース見たか? あぁいう事件があるって思いもしなかったよな」

「なんのニュースだ?」

 朝はギリギリに起きたので、ニュースは見ていない。

「あれだよ。小学生の男の子が不審者に話しかけられてたってやつ」

「物騒な世の中だな」

「それな。しっかし犯人も大胆だよな。朝っぱらから絡みにいくなんて」

「朝?」

 変な誘拐犯もいたものだ。

 友人が悶えはじめる。

「けど羨ましいなぁ。俺が小学生の頃だったら絶対ついてったし」

「羨ましいってお前、」

「だって相手は女子高生だぜ」

 さらに意外な事実に思わず言葉が詰まる。怪しいおっさんかと思ったら、同年代のそれも女子とは。

 嫌な想像をした。

「なぁ、その事件ってどこであったんだ?」

「確か、小学校と俺らの登校のルートが交差するとこじゃなかったっけ。だから今、その犯人が俺らのクラスメイトじゃないかって、皆噂してるよ」

 楽しそうに話す彼とは対象的に、俺の体温は急激に下がっていく。

 昨日の話を走馬灯のように思い出す。慌てて後ろの席を振り返る。

 いつもの席に彼女は座っていた。

 真っ赤になった目がこちらに向けられる。ぎこちないないその笑顔から、彼女に何があったのかをなんとなく理解した。

 彼女の心情とは裏腹に、僕の気分は高揚していた。遠くで鳴っていたはずのサイレンが、校庭まで近づいてきたような気がした。

 落としたはずのチャンスが巡ってきた。

 

                               (終)

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後悔 大鷲 @2021bungei03

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