ある日記
青桐鳳梨
九月九日
ミノリが自殺した。ベッドの上で包丁をおなかに刺したらしい。仕事から帰ってきた母親が、自室のベッドに横たわる血まみれになった彼女を発見したそうだ。クーラーが消えていたので、においが凄かったとか、どうでもいい話を聞いた。
遺書はなかった。だからミノリがどうして死のうと思ったのかはわからない。今度、友達と海に行く予定を立てていたのだから、きっとその時点では死ぬつもりはなかったのだろう。きっと衝動的に死のうと思って、行動に移したのかもしれない。
彼女は優しくて、よく笑う女の子だった。いつもみんなの中心にいて、周りのことをよく見ていて、困った人には手を貸さずにはいられない人だった。いじめられている子を助けたこともあった。高圧的な人に真正面らから向き合って一歩も引かずに立ち向かうその姿は何よりも美しく、気高く、そして強かった。
その生き方はみんなを魅了した。誰からも好かれていたし、彼女のほうもみんなを好いていた。愛をばらまくように、他人に優しくした。そんな彼女がどうして腹部に刃物を突き立てて死んだのか、理解ができない。ミノリはそんな悲劇の影を少しも見せない、底抜けに明るい人間だった。
ミノリが自殺した事実は脳みそをぐしゃぐしゃにした。本当に理解が及ばないものに直面すると人間の知性などゴミくずにも満たない役立たずになってしまうことを思い知った。何もできなくなった。何もしたくなくなった。眠ることもできなければ起き続けることもできず、生きることも難しければ、死ぬこともできずにいた。
医者にもかかった。連れてこられたのだ。そこで何かを書くことを勧められた。書くことは治療することだと、担当した医者は言った。なんでもいいから、とにかく頭に浮かんだことを書くべきだと。
嘘だと思った。そんなもので何かが変わったりするものかと思った。だけどミノリの生きた痕跡とか、もしくは死んだときの残り香のようなものを書き留めたいと、、少しだけ思った。そんなものが可能であるかどうかわからないけど。
でもこうして実際に何かを書こうとしてみても、ろくな言葉が出てこないことに気が付く。ミノリとの思い出はたくさんあるはずなのだけど、いざそれを思い起こそうとしても頭に霧がかかったみたいにぼやけてしまう。具体的なエピソードは何一つ出てこずに、彼女の笑顔が頭の中に浮かんでは消える。
代わりにミノリが死んだ光景を想像する。エアコンが止まって熱い空気が密閉されて、血に真っ赤に染まった彼女の部屋。ベッドの上に横たわるミノリ。血と、腐臭。昔読んだ小説に、腐るはずがないと信じていた聖人の死体から腐臭がして、ひどく傷ついた登場人物がいた。その人物の心情が今なら理解できる。ミノリが自殺をするはずがない。一人ぼっちで自分の体に包丁を突き立てるなんて悲しいこと、絶対にしない。
頭が痛くなってきた。今日はここらへんでやめることにする。
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