第2話
礼の言葉を口にしようとしたところで先にそう言われてしまい、サンディーは隣にいるマディンと顔を見合わせた。
宿もなにもここは街道であり、しかもそれに沿って作られた町や村との丁度中間付近にあたる。また、主要街道とはいってもこの先は人の手の及ばない深い森があるばかりだ。
他に比べて利用するものが圧倒的に少なく、当然宿泊できるような簡易の施設もない。そのため彼女たちの追手もそれまでとは打って変わって大規模で人目を憚らない行動に出たのである。
もっとも、そのお陰で追手の存在に気が付くことができたのは皮肉というより他はなかった。
「その顔を見ると特に決まっていない、それどころか泊まる場所自体がない、そんなところかな?それじゃあ、うちに泊まってみてはどうだい?」
「泊まるというのは、その……竜たちが引いている箱車のことか?」
前部の幌車と比べて異様に豪華で趣がある。言われてみると移動型の宿泊施設に見えなくもない。
ただ、そんなものがあるなどという話は聞いたこともなかった。
「うん?あ、ああ。まあそんなところかな。おっと、そういえばまだ名前も言っていなかった。俺はジクウ。うちの宿屋の宣伝をして回るついでに行商をやっている」
何やらあやふやな答えだが、名乗られたからには名乗り返さない訳にはいかない。
サンディーはマディンが自分の紹介をしているのを聞きながら、ジクウと名乗った男を観察していた。
体格は中肉中背で服の上から見る限り、それほど鍛えてはいなさそうだ。筋肉がない訳ではないが、毎日農作業で体を酷使している農民たちよりもひ弱そうに見える。騎士や兵士などとは比べるまでもないだろう。
その服であるが、絹とは違った不思議な光沢を纏っていた。それなりに上質な品々に囲まれて過ごしてきたので、魔道具はともかく一般の物であるならば大まかな質や価値は分かるつもりだ。
そんな自分の目をもってしても彼の服の素材を見極めることはできなかった。
髪と瞳が黒い、というのも特徴的だ。この辺りでは貴族、平民問わずブロンドからダークブラウンまでの茶色い髪が主流である。瞳の色も茶系統か青系統となる。
どちらも黒というのは遠い異国の地に住む者だとされている。
なるほど先ほど出された水の入っていた筒に、着ている服と確かに珍しい物ばかりだ。行商をしているというのもあながち嘘ではないのだろう。
そんなことをしていると、視線を感じたのか件の男がこちらを向く。いくら自分がこっそりと観察していたとはいっても、気付くのが遅すぎるだろう。
視線に疎いというのはこの世界においてどんな職業であっても致命的な弱点となる。
例えば彼のような商人の場合、いくら珍しい商品を仕入れてきても、金に換えられない、つまりは盗まれてしまっては意味がないのである。
これが兵士や冒険者といった敵と対峙する職になると、死に直結してしまうため更に敏感になっていく。上級者となるには視線を扱う技術の習得が必須といわれる所以である。
これらのことからジクウなる人物は遠い異国から来た行商人であり、移動型宿舎の宣伝を兼務していると考えられる。
しかしながら行商人としての経験は浅く、おそらくは親か師の財産であるこの竜車一式を急遽引き継いだ新米なのではないだろうか。そうならば仮に夜間に襲われたとしても自分かマディンの二人がいれば対処は可能だ。
サンディーは素早くマディンと視線を交わすと、上機嫌で動物たちの紹介をしている彼に話しかけた。
「ジクウと言ったか?せっかくの機会だし、この箱車に泊めてもらいたいのだが」
「本当かい?いやあ良かった。最近泊まってくれる人に会えなくて弱っていたんだ」
「移動式の宿舎など聞いたこともないからな。警戒するのも仕方がなかろう。……それで、金額の方はいくらだ?」
後で揉めることがないように料金は先払いであることが多い。
「それなんだけど、うちはお客さんに自由に値段を付けてもらうようにしているんだ。満足したと思える分だけ支払ってくれればいいよ。流石にタダって訳にはいかないけどな」
それを聞いてやはりこの男は商売には向いていないと思うサンディーであったが、客である自分を試そうとするかのような態度に自尊心が疼いていた。
そういうことならばしっかりと審査してやろうではないか。下手な自信ならば木っ端微塵に砕いてやるつもりだ。
「それは面白い。どんなもてなしが出てくるか、楽しみにしていよう」
狙ったものであるのかは分からないが、結果として見事に乗せられている姿にマディンは小さく溜め息を吐くのであった。
「そうと決まれば、早速中に入ってくれ」
二人を箱車の後ろに案内したジクウは、そこにあった扉をガチャリと開けて
階段脇には腰までの高さの扉の付いた箱が置かれており、その隣のベッドの足もと側は服や物が置けるスペースとなっている。
思った以上に明るいと天井を見上げると、シンプルながら温かみを感じさせる模様が刻まれた磨りガラスがはめ込まれていた。
「少し移動させるからしばらくはゆっくりしていて。後、その箱の中に飲み物が入っているから好きに飲んで構わない。それほど長い距離を移動するつもりはないけれど、気分が悪くなったら、そっちの窓を開けて声をかけてくれ。それじゃ、また後で」
伝えるだけ伝えると、ジクウはさっさと扉を閉めて行ってしまった。そしてその言葉通り竜車を動かし始めたのか、すぐに極小さな振動を感じるようになる。
「どう思う?」
「怪しいか怪しくないかで言えば、間違いなく怪しいでしょう」
「奴らと繋がっている可能性は?」
「そちらの方は低いかと。連中に捕らえる意思がないことは明白でしたので、このように生かす必要がありません」
「閉じ込めたうえで焼き殺す算段かもしれぬぞ?」
「殺すためにだけ造られたにしてはこの箱車は出来が良すぎます。これを使い捨てるとなると、例え向こうの計画通りにいったとしても相当の赤字になりますし、それだけの金を動かしたとなると、簡単には隠し通せるものではないでしょう」
マディンの言うことはサンディーも気にかかっていたことだった。箱車自体に施された装飾もそうだが、部屋の中に置かれた調度品の類いもまた丁寧に作られた逸品揃いであったからだ。
これだけ箱車が棺桶になるならば、喜んで殺されてもいいと言いだす酔狂者は後を絶たないだろう。
「それに何よりこの扉ですが、外から鍵を掛けても、こうして内側からは開けられるようになっているようです」
「何だと!?」
扉へと近づいてみると、確かに鍵の開け閉めができるようになっていた。
「一体何なのだ、これは……」
呆れたような彼女の呟きに答える者はいなかった。
〇〇△△□□〇〇△△□□〇〇△△□□〇〇△△□□〇〇△△□□
一方その頃、御者台ではジクウがスマホのような物を取りだして、どこかに連絡を取っていた。
『はい、こちら〈宿屋しんせかい〉でございます』
「もしもーし、こちらジクウです。……あれ?その声はアカミネさん?」
『そうよ。なあに、私が出たらいけないの?』
「違う違う。今日は一日料理の研究をするって言っていたから、予想外だっただけ」
スマホの向こうから聞こえる声に険がこもるのが分かり、急いで弁解する。
『それなら許す。それで、誰かに用事なの?』
「お客を二人捕まえたからその連絡。もう少ししたら連れていくから、準備の方をよろしく」
『え?もうすぐ?』
「何?問題でも起きた?」
『そういう訳じゃないのだけれど、できるならもう少し時間をずらせないかな?実は今、作った料理の試食会をしていて、他の皆の手が離せないのよね……』
「……ダメです。今すぐ準備を始めるように皆に言って下さい」
いくらなんでも試食に夢中になっているからお客を受け入れられない、なんてことを認める訳にはいかない。それに何よりこちらは営業としての職務を果たしているのだ。向こうの連中に楽をさせたくはない。
『ですよねー……』
「それとそのお客と入れ替わりで団体さんを送ることになるかもしれないから、心積もりだけはしておいて」
『団体?本当に!?それ何人くらいになりそうなの!?』
「まだ本決まりじゃないけれど、多分二十人前後じゃないかな」
ちらりと森の方を見て答える。
『……捌ききれるかな?』
「きっと大丈夫ですよ。でもその前に今日のお客さんの方が大切です。一時間以内にはそちらに向かいますから、ちゃんと準備して待っていて下さいね」
『はあい。急いで皆に伝えておくわね』
「それじゃあ、また後で。……シュウ、まだ付いて来ているかい?」
スマホを仕舞いながら幌の上に陣取る小鳥に尋ねてみる。
「チチチ」
「いる、か……。皆、さっきの二人のことは気付かれていると思うかい?」
ジクウの言葉に反応したのか「がう」「ギュオ」「チッチ」「うなー」「ググ」と五匹がそれぞれ声を上げる。
「オウとハクはノーだけど、他の皆はイエス、か。これはまた見事に別れたな。……とりあえずは知られていることを前提に動くようにしておこうか。最悪仲間だと思われていきなり襲われる可能性もある、ということでよろしくな」
軽い口調で告げるジクウに動物――動物?――たちは一様にやれやれという表情を浮かべるのだった。
それからしばらく道なりに進むと、道幅が広くなっている箇所が見えてくる。馬車の休憩などに使われる退避所だ。
「お、あそこがいいな。オウ、セイ、あの広くなった所に停めてくれ」
指示に従って二頭の竜は退避所へと車を引いていく。
「さて、俺は二人と一緒に行くけれど、皆はどうする?」
車と二頭を繋ぐ綱を外してやりながら尋ねると、動物たちはそれぞれ一声鳴いてどこかへ消えてしまった。
「おいおい、せめて幌の前後を閉じてから行ってくれよ」
御者台の後ろから幌車へと上げると、天井付近に丸められていた厚手の布を下ろしてテントのようにファスナーで閉じていく。同様に後方の布も下ろした後、荷物を見やる。
「空になった水筒は持って帰るとして、後は置いたままでもいいか」
幌車の中の四分の一ほどを占めている大きな木箱の蓋を開けると、サンディーたちに分け与えて空になった水筒を入れる。
再び蓋を閉めて忘れ物がないか確認する。後方から幌の外に出て、こちら側もファスナーで閉じていく。
そして幌車から少し離れるとスマホを取りだして、
「結界、起動っと」
と言いながら操作し始めた。すると幌車の周囲が少しだけ光る。彼の言う結界とやらに覆われたらしい。
「何度見てもこの魔法とかいうのは意味分からんな。まあ、便利だからいいんだけど」
余り深くこだわらない性質であるのか、ジクウは魔法による結界も、それをスマホで操作できていることにも特に気にしてはいないようだ。
今度はサンディーたちのいる箱馬車に向かうと後方の扉をノックして声をかける。
つけられているだの、気付かれているだの話しあっていた割にそれらを一切無視するような行動である。
「入らせてもらいたいんだけれど、平気かい?」
「……少し待ってくれ」
という答えが返って来てからきっかり一分後、扉が開かれた。
「何の用だ?」
「中に入ってから話すよ」
不信感をあらわにするマディンを押し込むようにして箱車の中へと入っていく。
上がり込む直前に道の向こう側にある森の方を見てニヤリと笑うと、後ろ手に扉を閉じて早速スマホで結界を起動させたのだった。
「どういうつもりだ?」
見ると、マディンだけではなくサンディーまで腰の剣に手を掛けている。
「すとっぷストップ!ちゃんと説明するから剣を抜くのは止めて!後、俺はそっちのお兄さんに殴られるだけで死んじゃうから、そういうのも止めて!」
両手を上げて無抵抗であることを示すと、二人は視線を交わして先を促してきた。警戒を解くことはなかったが、話は聞いてくれるようだ。
「あんた達はここに泊るつもりだったようだけど、俺が連れて行きたいのはこの先だよ」
上げたままの右手でパチンと指を鳴らすとジクウの背後に門のようなものが浮かび上がり、サンディーたちの「なっ!?」と驚く声が重なる。
「結界の魔法を掛けているからこの中でも安全だけど、このゲートの先の方が遥かに快適に過ごしてもらえることは間違いないよ。無理強いはしないけれど、来てみないかい?」
再度視線を交わらせる二人。
「その先に行って戻って来られるという保証は?」
「それは俺を信用してもらう他ないなあ。でも、どうせ二人とも追われているんだろう?それならここでいるよりも、向こうに行った方が落ち着けると思うけれど」
「……いつから気付いていた?」
「最初からだよ。まあ、森の中を走る趣味のある人たちなのかな、とも考えたけれどさ」
「そんな趣味はない」
ジクウの軽口にサンディーが苦い顔で返す。そして少しでも目を逸らせたら叩き斬ってやるつもりで、じっと見つめる。
一分、二分、どれほどそうしていただろうか、結局先に折れたのは彼女の方だった。
「分かった。お前の提案を受け入れよう」
「……良いのですか?」
「ああ。どうせもう事態は最悪の所まで落ち切っている。何をどうした所でこれ以上は悪くなりようがないだろう。……そういう訳だ。ジクウ、案内してくれ」
「了解。と言ってもこのゲートを潜るだけなんだけれどな。さあ、付いて来てくれ」
何となく後ろ歩きのまま足を進めるジクウに続いて、サンディーたちもゲートへと向かった。
次の瞬間、三人は明るい日差しが照りつける場所へと立っていた。
「ここは一体……?」
混乱する二人を余所に、ジクウは振り返った先に大きな建物があるのを確認してこう言った。
「改めまして、〈宿屋しんせかい〉へようこそ!」
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