〈宿屋しんせかい〉にようこそ!

京高

第1話

 その馬車は色々と変わっていた。


 まず一番に目に付くのがその馬車を引く生き物である。馬ではないそれらは二頭。

 片方は陽の当たり方によっては金色にも見える輝かんばかりの黄色の鱗を持つ竜であり、もう片方も負けずと劣らない澄んだ空を宿したかのように鮮やかな青い鱗を持つ竜だった。

 仔馬ほどの大きさの二頭によって馬車は引かれていたのだ。

 いや、馬ではないのだから馬車と呼ぶのは適切ではない。竜車とでも呼ぶべきか。


 その竜車もまたおかしな形をしていた。御者台のすぐ後ろには幌で覆われた部分がある。ここまではいい。

 問題はその後ろ、まるで王侯貴族が乗るような立派な箱車が付いていたのである。

 装飾自体はさほど多いわけではないが、とても細やかに描かれて要所要所に的確に飾られていた。


 更におかしな部分がある。

 車輪だ。

 外縁部は謎の黒い素材で覆われていて、ほとんど音を立てておらず、側面は飾りが施されている。竜車にはそれらの車輪が四対八輪付いていた。


 そしてよく見ていると、竜車本体は不思議なほどに揺れていないことに気が付く。

確かにここは王都へと続く主要な街道の一つであり、多くの車が行き交ったのだろう、道には深い轍が刻まれている。

 辺境の農村部と比べることなどできないほど道は良い。


 しかし、それでも偉大な帝国の名を継ぐ彼の国へとつながる道ように石畳で覆われている訳ではない。むき出しの地面であり、小石も転がっているのだ。

 事実、時折車輪は窪みに落ちたり、小石に乗り上げたりしている。にもかかわらず、驚くほどの安定性を誇っていた。


「ふわああぁぁ。これだけ天気がいいと眠くなってくるなぁ」


 御者台に座り、フードを深く被っている男が大欠伸をする。

 その動きに彼の膝の上で丸くなっていた白地に黒の虎縞の子猫が身じろぎをしていた。


「お前は何にもしないでいいから楽だよな……」

「チチチチチ!」


 男の言葉に抗議するように幌の上に止まっていた真赤な鳥が鳴き声を上げる。


「へいへい。悪うございました。確かに俺もなんにもしていませんよ」


 まるでその鳴き声が分かるかのように男が答える。よく見るとその手には本来握られていなければならない手綱がどこにも見当たらなかった。


「チチチ」


 分かればいいのだと言わんばかりにその鳥は小さく鳴くと、きょろきょろとあたりを見回し始めた。その姿はさながら周囲を警戒しているようである。


「そんなに気にしなくてもいいと思うんだけどな。どんな奴らに襲われたって、あいつがいるんだから問題ないって」


 そう言って男は幌の中を覗き込む。そこには荷物に紛れて一匹の亀が転がっていた。


「って、オイオイ、何やっているんだよ!」


 先程少し大きめの石に乗り上げてしまったようで、珍しく竜車本体に大きめの揺れが走った。恐らくその時にひっくり返ってしまっていたのだろう、亀は必死に起き上がろうともがいていたのだ。

 子猫を脇にどかして急いで幌の中に入ると、そっと亀を持ちあげる。


「全くお前って奴は……。手に負えないことがあったらすぐに助けを呼べって、いつも言っているだろ」


 顔の正面にまで持ち上げると説教をすと、亀はどことなく申し訳なさそうな顔をしているように見えたのだった。

 そんな彼らに、御者台に移動させられ昼寝を中断させられて子猫が「ニャ!ニャ!」と抗議している。


「ピーーー!」


 幌の上の鳥が甲高い声で鳴き出したのはそんな時だった。いつの間にか二頭の竜たちも歩みを止めて周囲を伺い始めている。


「何だ何だ?悪戯好きのゴブリンたちか?」


 亀を置いて男も外へと出てくる。

 ゴブリンというのは妖精族の一種でいたる所に住んでいる。薄い緑色をした人間の子どものような姿で友好的な者が多い。

 特に町に住む者はホブゴブリンと呼ばれていて、彼らの協力によって成り立っている職種は数えきれないほどだ。いわば縁の下の力持ち的な種族なのである。


 しかし、彼らもまた妖精族によく見られる悪戯好きという特徴があり、主に人里から離れた森や山に住む一族は、通る者たちを脅かして楽しむという厄介な癖を持っていた。


 ちなみにそうした悪戯が度を超えて悪事すら行うようになった者たちがダークゴブリンであり、濃灰色の邪悪な外見へと変貌した忌むべき連中だ。


 そして彼らが進んでいる――今は止まっているが――道は深い森に沿っていて、ゴブリンたちがいたずらを仕掛けている可能性は非常に高い。じりじりと緊迫した時間だけが過ぎて行く。

 そして突如、ガサガサと大きな葉ずれの音がしたかと思うと、そこから一組の男女が飛び出して来たのだった。



〇〇△△□□〇〇△△□□〇〇△△□□〇〇△△□□〇〇△△□□



 失敗だった。そう男性は思っていた。

 追手を巻くために森の中に入ったのだが、運の悪いことにそこはゴブリンたちの領域であり、遊びに来たと勘違いした彼らにまで追いかけられる羽目となったのである。

 手を引いている女性はとうの昔に体力の限界を超えている。急いで休ませないと命にかかわってくるだろう。


 仕方なく彼は森から出ることを選択する。


「これ以上は御身に障ります。一度休憩を入れましょう」


 さすがの彼女もここまで疲れ果ててしまっては否やはないようだ。無言であることを肯定の意思表示だと強引に解釈すると、木々の切れ目へと足の向きを変える。


「ピーーー!」


 鳥のような甲高い鳴き声が聞こえたのはそんな時だった。

 木々の間隔が広がり、外が見えるようになると、不思議な物体が停まっているのが見えた。


「何だ何だ?悪戯好きのゴブリンたちか?」


 一瞬警戒を強めるが、人の声が聞こえたことで意を決して速度を上げる。


(魔が出るか、それとも邪が出るか)


 心の内でそう呟きながら、行く手を阻む最後の枝を掻き分けたのだった。



〇〇△△□□〇〇△△□□〇〇△△□□〇〇△△□□〇〇△△□□



 森から出て来た男性は大きく息を吐いており、女性にいたっては疲れ果ててしまったのか地面にうずくまって咳き込んでいた。

 二人とも重そうな鎧を着て腰には剣まで佩いているのだ。そんな恰好で森の中を走れば息も切れて当然である。


「これはまずいな。ハク、荷台からタブレットの飴と水筒を持ってきて」

「ニャッ!」


 男、ジクウが指示を出すと、子猫はそれに一声鳴いて答える。そして幌の中へと向かうと、すぐに大きめの魔法瓶の水筒とタブレットキャンディーの入った袋を持って戻ってきた。


「さんきゅ。おい、あんたたち。水を持ってきたぞ。飲めるか?」

「……ハア、ハア。わ、私の方はいいから先に彼女に飲ませてやってくれ」


 自身も相当水分を失っているはずだが、男性は女性を気遣ってそう答えた。


「分かった。だけど水はたくさんあるから後であんたにも渡すよ。もしも唾液がまだ出ているなら、これを舐めて待っていてくれ」


 時空はタブレットキャンディーを一つ渡すと、女性の方に振り返った。


「ほい、水。咽ないようにゆっくりな」


 蓋を開けて中の容器に水筒の中身を注いで差し出すと、女性は引っ手繰る様に掴むと勢いよく飲み始めた。


「んっ、んっ、んぐ、ごほっ、げほっ……」

「だから言わんこっちゃない。ほら、大丈夫か」


 急いで飲み過ぎて案の定咽返った彼女の背を優しくなでる。

 そしてこぼれてしまった分の代わりを容器に注いで渡す。先程の失敗で懲りたのか今度は慌てずに口を付けて、ゆっくり味わうように飲み干していく。


「うん。大丈夫みたいだな。あんたの相方にも水を飲まさなきゃいけないから、これを舐めて待っていてくれ」


 呆然とする女性にもタブレットキャンディーを渡すと今度は男性の方に向き直った。


「遅くなって悪かった。あんたも水を飲むといいぜ」

「すまない、恩にきる」


 男はそう言うと一気に水を飲む。女性と違って余力が残っていたのと、タブレットキャンディーを舐めて口の中が濡れていたからだろう、咽ることもなかった。

 しかしその勢いを見て、


「これは水筒一つじゃ足りないな。ハク、悪いけどもう一本大きいやつを取ってきてくれ」


 と再度指示を出すのだった。


 二人が落ち着いたのはそれぞれ水筒を一本ずつ空にした後だった。

 あまり冷やし過ぎないでいて良かった。もしも冷蔵庫でキンキンに冷やしたものであったなら、確実に腹を下しているところだ。

 ジクウは出かける前の自分の選択を褒めてやりたい気分になっていた。

 そしてフードを下ろして改めて森から出てきた二人組に向き合って、こう尋ねたのだった。


「さて、お二人さん。今日の宿はもう決まっているかい?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る