隠しもの
日々人
隠しもの
…どういうことでしょうか、娘がクリーニングに出したのだと。
この数日間、ずっと、そう思っていたのでした。
ぼんくらな私。
こんな語り口調では、何に臨んでも誠意が感じられない、覇気など皆無、アナタは誰かを一瞬たりとも愛したことがないのでしょう、冷たく冷めた人間と同じ漢字を二回繰り返し使われても仕方がありませんし、実際に面と向かって言われたことが多々ある経験から鑑みると、私は妻を愛していたと他人に口にすることは憚られることであり、この先の人生においても口にすることは一切ないでしょう。
「人に認められないことを恐れ、その内枠で気づかないふりしてね。自分を騙して生きているのがキミだよ」
薄い笑みを浮かべた、出会った当初の妻にそう言われて安堵した日のことを度々思い出す。
そして結婚してからというもの家のことは全て妻に、いや、結婚する前からも、そのずっと前からも、なんなら出会った瞬間からといっても過言ではないくらいに、生きることを任せっきりにしたその妻は、数年前にこの世を去ったのですが。
代わりとして、その瞬間から私の生活を支えてくれているのがまだ小学生の娘です。
妻は余命宣告を受けてからこの世を去るまでの数か月間の命を賭して、娘を自身の生き写しのように育て上げていました。
掃除洗濯、料理、家のこと。すべてがこの小さな娘の身の内にふしぎなほどの知識、経験として蓄えられていきました。
それは妻が亡くなった後も、生活のリズムが一切淀むことはなく。
娘はそのまま妻の友人関係も会社仲間も親類関係、地域社会での立ち位置まで継承していたのです。
私はそんな娘の姿を誇らしく、大変頼もしく思っておりました。
ですが、ぼんくらな私です。
私の為に娘をそうしたのではないことに気づくのに、私は大変な時間を要しました。
娘は妻の生き写しとなるために教わり、そしてその教訓を鑑にして今を生きています。
ー ー ー ー
不思議なものです。
あちら側の親族が亡くなった時も、自分には妻からみてどういう関係で、どこのどなただったかさっぱりわからなかったのに、娘は何もかも知っていて。
まだ娘がこの世に姿かたちもない年代を上げて「一度会ったことがあるでしょ?」なんて叱られたりして。
私はただ、会釈をしてその場でありがちな言葉を発して、いや、その言葉も娘に教わったのでしたか。
そして、今。その葬儀の際、着ていた喪服が見当たらないのです。
夏場に着たこともあり、クリーニングに出そうと思い、ハンガーにかけたまま居間に放っておいたのですが、翌週には消えていた。
娘がクリーニングに出したのだと思っていました。私はとくに汗かきですから。
それが、今日になって娘にあの服どうしたの?と聞かれたのだった。
だって先ほど、…と口にしたとたん急に黙り込み、目をつぶったまま何かに促されるようにしてぶつぶつと喋りだしたのだ。
「…誰なのかな。誰かが喪服を奪い去りました。
未来に対するそういう畏怖行為が流れを忘却曲線に熨せるのを、その人はとっさに思いついた。
これからもこの世界に、この先の世界に抗い、これまでのように姿をみせるでしょう。
その人はもう、死んでいるのに」
どういうことなの?と咄嗟に返したものの、娘は何事もなかったかのように振り返り、妻によく似た大きな瞳をぱしぱしと瞬きしながら、テーブルに広げていた宿題に戻ったのでした。
「どういうことなのかな?畏怖?忘却曲線って?何のことなのかな?」
娘にもう一度、ゆっくりとした口調で聞いてみたものの、ん?と首をかしげ、あたりを見回すのです。
私は縋るようにしていつもそこにあるはずの妻の遺影寫眞をたどったのですが、何故でしょうか。
それも無くなっていたので…す?
…いえ、消えたと思った瞬間、妻の遺影の横に、私の寫眞が飾られています。
「アナタは、アナタらしく居て。ずっとね」
その瞬間、妻がよく私に言ってくれていた言葉が急に降ってきたのでした。
ー ー ー ー
…妄想話でした。
隠しもの 日々人 @fudepen
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