第16話 襲撃事件 1
クロコディウスの嗅覚を頼りに馬車は進みます。
冗談を言う者はいません。特に、アリゲイト博士の表情は厳しいものでした。
草原を突っ切るようにして街道へ出ます。やがて、前方になにかが見えてきました。耳障りな声も聞こえてきます。
距離を詰めると、状況が明らかになりました。
真っ黒の大型馬車が、横倒しになっています。馬車というよりも馬車の残骸と呼んだほうがいいくらい、ひどく破壊されていました。地面には、四頭の馬と王国正規兵の鎧を身につけた四人の兵士、それに一体のモンスターが倒れています。
そして、馬車を取り囲み、戦利品を漁っている者が四体。人間と同じくらいのがっしりした体型に、赤褐色の肌。顔は豚によく似ています。
「だめだ、全員やられてる。手遅れだったんだ」
「あのブタ
「レッド・オークじゃ。手強いぞ、気をつけろ」
荷台から飛び降りたクロコディウスに、博士が注意をうながします。
この世界には二種類のオークが存在し、肌の色で、グリーン・オークとレッド・オークとして区別されています。目の前にいるレッド・オークは、より凶暴で腕力のあるほうの種族でした。
経験を積んだ戦士でも苦戦することがある、やっかいな敵です。
クロコディウスが一歩近づくと、気づいたオークたちはいっせいにこちらを振り向き、ギャーギャーとなにか叫びはじめました。
「なにか言ってるみてえだな」
「ダーティ・コモン、異種族のモンスター同士が交流するときに使う言語じゃ。クロコディウスをモンスターと間違えておるのだろう」
「面白い、通訳してみてくれよ」
「それは構わんが、ロクなことにならんぞ」
博士は通訳をはじめます。
「おいテメエ、なに見てんだよコノヤロウ」(訳:博士)
「なんだと?」
「わしじゃない、オークが言っとるのだ」
「ああ、そうだったな」
「なんとか言えよワニ野郎、ムカツクんだよ」(訳:博士)
「エルフや人間と仲良くするなんてサイテーだぜ」(訳:博士)
「博士よぉ、アンタ俺にケンカ売ってんのか?」
「だから、わしじゃないって」
「チッ」
「さっさと消えろゴミワニが! それともブッ殺されてえのか!」(訳:博士)
「……通訳はもういいぜ博士。タノシイオハナシの時間は終了だ」
「だから言わんこっちゃない」
クロコディウスは背中の大剣を引き抜きました。両刃の直剣です。異世界の金属で造られているというその刀身は、トパーズのような黄褐色をしていました。
抜刀を合図にしたかのように、オークたちはゆっくりと近づいてきます。博士とバーナードは、そそくさと馬車の陰に隠れました。
「博士、すごいですね。モンスターの言葉、ペラペラじゃないですか」
隠れて余裕ができたのか、バーナードが感嘆します。
「ダーティ・コモンは罵声表現と脅迫表現が豊富な言語なのじゃ。わしはダーティ・コモンについての論文を書いたこともあるぞ」
「初めて知りましたよ。世の中にそんなバカバカしくて無駄な知識があるなんて。しかも、そんなものを真面目に研究してる人がいるなんて呆れますねえ」
「本人を目の前にして、そういう言い方はやめてほしいのう……」
クロコディウスは抜き身の剣を右手に持ったまま、構えるでもなく自然に歩いていきます。
ある程度、オークたちとの距離が詰まったときでした。
突然、クロコディウスが飛び跳ねるような動きで先頭のオークに斬りつけました。普通なら剣が届かない距離です。しかし、強靭な尻尾も使った跳躍力で、やすやすと間合いに飛び込みました。
不意を突かれたオークは、棒立ちのまま剣の一撃を浴び、恐ろしい叫び声をあげました。血煙が上がり、むっとするような血の匂いがあたりに立ちこめます。
さらに、二匹目のオークも同じように倒されます。あっという間の早業でした。
「ウギャアアアッ!」
「うぎゃあああっ!」
「グエエエエッ!」
「ぐええええっ!」
なぜか、こだまのように二重に聞こえるオークたちの絶叫。バーナードは、そっと博士に耳打ちします。
「博士、オークの断末魔の叫び声まで通訳しなくていいでしょうが。それに、クロコディウスは戦いに夢中でもう聞いてないですよ」
「……ん? おう、そうじゃな。つい、同時通訳にのめり込んでしまったわい」
二重に聞こえたのは、博士の迫真の通訳術のせいだったようです。
クロコディウスは三匹目のオークを切り伏せます。
「ねえ博士、クロコディウスって……本当に強かったんですねえ」
「……うん。わしもな、ここまでとは思っておらんかったのう」
博士にとって、クロコディウスが戦う姿を見るのは今日が初めてでした。
クロコディウスの戦い方は、技よりも力、です。抜群の身体能力を生かした、飛び跳ね、踊りかかるような動きで敵に近づき、叩き斬るのです。
その身体能力や動きはワニ型獣人特有のもので、おそらく他種族には真似ることはできないでしょう。
これは、大当たりだったかも知れぬ。
博士は思いました。ワニ型という時点で、好戦的だろうと想像はしていましたが、これほどとは。
ただ同時に、一抹の不安めいたものも感じていました。博士の目には、クロコディウスの戦いぶりはまるで、命知らずの危うい狂戦士のようにも映ったのです。
そして、狂戦士のように戦いに心を狂わせて死んでほしくはない、博士は強くそう思ったのでした。
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