第14話 湖の女神 2

 馬車は街道をしばらく走った後、街道を外れて草原を横切り、いまは森の中の道を進んでいます。木々の間を同じ景色が続いていましたが、やがて急に前方の視界が開けました。目の前に、静かに佇む湖が現れます。ここがネッス湖でした。


「狼なんか出ねえじゃねえか」

「そりゃまあ、狼だって人間が来るのを待ってるわけじゃないから」

「根性のねえ狼だぜ。帰りに期待するか」

「これこれ、そんなもの期待するでない」


 クロコディウスは面白くなさそうです。


 ネッス湖は、静かで美しい湖でした。水は澄み、湖面は周囲の木々の姿を映しています。ときおり吹く風に応えるかのように、湖はさざ波を立てます。


 バーナードと博士が、それぞれクワと杖を降ろしてきました。


「よーし始めよう。言い伝えによると、まずアイテムを湖に投げ入れる」

「すると女神が現れ、欲しい品物を選べるのじゃな」

「へっ、虫のいい話だぜ」

「まずは俺だ。そりゃっ!」


 バーナードは、古びたクワを思いきり湖へと投げつけました。クワはバシャンと音を立て、水面に輪状の水紋を残して沈んでいきました。


「おい、見ろ!」


 しばらくすると、湖面に泡が浮きはじめました。そして、その泡の後から、金髪碧眼の美しい女性がゆっくりと浮かび上がってきたのです。女性は青い衣を着て、両手には金のクワ、銀のクワ、古びたクワを抱えていました。


「やった! これで借金は女房にバレずに済むぞ!」

「まさか本当だったとはのう」

「まったくだぜ。良かったなバーナード」


 狂喜するバーナードに、女神が問いかけました。


「あなたが落としたのは、金のクワですか? 銀のクワですか? それとも古びたクワですか?」

「金! 金! 金キンきーんっっ!」


 間髪を入れず、ありったけの大声で力強く答えるバーナード。しかし答えを聞くと、女神はとても悲しそうな顔をしました。


「あなたは嘘つきで欲深い人ですね。さようなら」


 そう言い残すと、女神は沈んでいってしまいました。


「ちょっ、ちょっと! なんなんだこれは!」


 狼狽するバーナードに、考え込んでいた博士が言いました。


「どうやら、答え方が間違っているようじゃな。クロコディウスの世界の言い伝えを参考にするなら、実際に落としたものを選ぶのが正解のようじゃ」

「そんな、いまさらそんなこと言われたって」

「まだチャンスはある。次はわしがやってみよう。ポーカーの負けのぶんは分けてやるから安心せい」

「よ、よし、頼むよ博士!」


 博士は杖を投げ込みました。しかし何も起きません。もう一本投げ込みましたが、やはり女神は現れません。


「おかしい。なぜじゃ?」


 結局、すべての杖を投げ込んでも女神は現れませんでした。湖面に浮いていた杖は、波に揺られて岸辺から湖の中央へと流されていき、見えなくなってしまいました。


「だから言ったじゃねえか。おとぎ話なんてそんなもんよ」


 クロコディウスは笑いころげています。

 しかし、博士とバーナードは笑いごとでは済みません。憤懣ふんまんやるかたないといった表情です。人は一度貰えると思ったものが実際には貰えなかったとき、とても損をしたように感じるものですが、二人はいま、まさにその心理状態でした。


「こんなのイカサマだ! 答え方が決まってるなんて聞いてないぞ!」

「わしのときに現れないのもおかしい! 冷静に考えると、わしがエルフだからじゃ! エルフの血統や知性に嫉妬しての嫌がらせに違いないわい!」

「冷静に考えたら、そんな結論は出てこねえだろうよ」

「博士、抗議しよう」

「うむ!」


 二人の不満は収まりません。湖に向かって怒鳴りはじめました。


「女神、出てこーい! ちゃんと説明責任を果たせー!」

「エルフ・ハラスメント、略してエルハラ断固はんたーい!」


 しばらく悪口雑言を浴びせていると、湖面が泡立ち、女神が再び現れました。罵声が聞こえていたらしく、不機嫌そうです。


「なんなんですか貴方たちは。下品な振る舞いはやめなさい」


 バーナードが、さっそくイチャモンをつけました。


「おかしいじゃないか。伝説では、金のアイテムが貰えるはずなんだぞ」

「それは貴方たちの先祖が伝説を正しく伝えようとせず、自分たちに都合の良い部分だけを強調したからでしょう。元の伝説は、正直者が報われる話だったはず。私のせいではありませんよ」

「そんな……」


 次は博士の番です。


「わしのときはなぜ出てこなかったのじゃ?」

「私は湖の底に沈んできた品に対して行動するのです。貴方が何を落としたのか知りませんが、湖の底にはなにも沈んできていません」

「むう……たしかに沈んではおらんが……」


「まったく。私は女神ですよ? 呼びかけるときは、「様」ぐらいつけてもいいと思いますけどね。わかったら、妙な言いがかりはよしなさい」


 機嫌の悪いまま、女神は湖の底へ帰ってしまいました。


 バーナードは頭を抱えて、その場にへたり込んでしまいました。しばらくの間、動こうともしません。


「のう、バーナード。諦めよう。奥さんにはわしからも口添えしてやるから、ここは正直に謝って……」


 博士がフォローしようと声をかけたときです。バーナードはゆらりと立ち上がると、博士とクロコディウスのほうへ向き直りました。目つきが、ちょっとイっちゃってる感じです。


「へへへ。いいこと思いついたよ。俺が湖に飛び込めばいいんだ。俺は泳げないから、確実に底にたどりつける。そしたら二人は上手くやって、金の俺と銀の俺と農夫の俺を貰ってくれよ。そんで、三人で山分けしようや」


 どうやら、金銀が手に入らなかった失望と、奥さんに内緒の賭け事がバレたときの恐怖心で、軽く錯乱しているようです。

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