第20話 老夫婦の願い

 それから、吉田は前より精力的に仕事に取り組んだ。

 現状、6000ドゥカードの借金相手が王から金貸しに変わっただけだ。返済までの猶予が伸びたことだけはありがたいが。


 王への支払いが済んだと言って戻って来た吉田に、ヨシュアたちは幽霊でも見たかのような顔をしていた。借金奴隷になると言って出て行き、そのまま王に面会したと知らされ、金を払う算段がつかず今度こそ処刑されたと思われていたようだ。


 そこでサルバシュに金を借りたと告げたところ、家人たちは蒼白になり、夫人は失神した。以前、借金をした知人が家財を没収され、身ぐるみ剥がされて家を追い出されたらしい。

 彼は終始紳士的に対応してくれたが、絶対に期限に遅れないように返済しよう、と吉田は心に誓った。





 さて。本日のウェイターたちは経験の浅い者も多い。ディナーの前に彼らを集め、吉田は皿の運び方を指導していた。


「皿を運ぶときは親指と小指を皿の上に、残りの三本指で皿を支え、挟むようにすると安定します」


 ウェイターたちは現代日本のカフェでよく見かけるような白のシャツに黒のベストを羽織り、下は黒のエプロンとズボン。見慣れない格好だが洒落ていると従業員にも好評だし、揃いの衣服だと従業員と宿泊客の区別がつくので客側にもメリットがある。但しズボン姿、つまり男ばかりだ。以前ヨシュアの言った通り、そもそも社会に出て働こうと言う女性はとても少数のようだ。


「なるほど。……って、ヨシダさん、肘の上にも皿乗っけてすげーっすね」

「慣れない内は真似しないでね。それと、お客様の前では敬語」

「リョーカイっす」


 若干不安を感じながらも、晩餐の開始を知らせるラッパは鳴ってしまった。ラッパを聞いた宿泊客たちが続々とやって来る。吉田は気持ちを切り替え席に案内を始める。


「本日の前菜は季節の野菜のグリルマリネ、フォアグラのテリーヌ、キノコのアヒージョです」


 今日の宿泊客は十五人くらいだろうか。全員に皿が行き渡ったのを見て、後は各テーブルのキャプテンに任せつつ、自身は客の反応を見ながら飲み物を注いで回る。


 そこで一組の客が前菜に手をつけてないのを発見した。老夫婦が銀のナイフとフォークを見ながら固まっている。

 吉田はこの老夫婦を覚えていた。今日始めてチェックインした客なのだが、バチェット銀貨だけでなく銅貨混じりで会計したのだ。しかも文字が書けず、吉田が代筆したのだった。そう言う客は珍しくないが、印象には残っていた。


「大変申し訳ありません。当ホテルは異国のテーブルマナーを採用しておりまして、お客様が戸惑うのも当然です。勿論、食べやすい方法でお召し上がりになっていただきたいのですが、よろしければ異国の方式を説明させていただいても?」


 この世界ではナイフやフォークは一般的ではなく、手掴みが主流なのだった。上流階級は使うこともあるらしいが、形が大分違うし、フォークを使うのは外国だけらしく、テーブルマナーの大半は吉田が持ち込んだものだ。

 サルバシュあたりは平気な顔をして操っていたが、フォークの形から検討をつけて食べていただけで、内心は戸惑っていたと言う。


 そう言うわけで、常連客や一部の異国からの客以外は道具の扱い方に困る者が多い。

 かと言って「これが洗練されたマナーですよ」と上から目線で言われても腹が立つだけだ。別に手掴みでも良いが、ホテル側としては手が汚れるのでなるべくなら使ってほしい。吉田はひたすら下手に出ながら、空いている席で食べ方を実演してみせ、その真似をしながら老夫婦はぎこちなくフォークを使い始めた。


「始めてお使いになられるのですか? なんとお上手なんでしょうか。実はランクあたりの王族の血が流れているのでは?」

「はははは。あんた面白いね。わしらはただの一般市民さ」


 嫌な気分にさせまいと褒めちぎる吉田に、旦那が吹き出した。


「実は今晩のホテル代、三人の息子たちが出し合ってくれたの。結婚三十周年の御祝いにって」

「素敵な息子さんたちですね」


 そうか、あの銀貨や銅貨は息子たちのカンパだったのかと微笑ましかった。


「わしは貧しい生まれだったがね、一生懸命働いて三人の息子たちは立派に一人前にできた。それだけは誇りだよ。ただ……」


 旦那の方は何か言いかけ、すぐに何でもないと首を振った。

 

 気になりはしたが、ナイフとフォークも扱えるようになったし、他のテーブルでトラブルが起こったようなので、吉田は席を離れた。


                *


「失礼します」


 ディナーの後で吉田は二人の部屋を訪れた。

 カートにはワインボトルとケーキ、それからささやかな花束があった。


「菓子なんて頼んでないわ」

「他の部屋と間違えたんじゃ……」


 老夫婦は慌てていた。余分に代金を請求されては困ると思ったのかもしれなかった。


「ご安心ください、サービスです。ささやかですが私共から記念日の御祝いです」


 ホテルとしてはよくあるサービスではあるが、思いの他喜んでもらえたらしく、妻の方は「ここまでしてもらえるなんて」と涙目だった。


 その後、頃合いを見計らってケーキの皿を下げに行くと、夫婦に「今日はありがとう」と声をかけられた。


「いいえ。喜んでいただけて幸いです」


 吉田は本心から言った。やはりホテリエとして、自分のサービスが客の笑顔につながるのが一番嬉しいものだ。


「ところで、ヨシダさん。一つ聞きたいことがあるんだが」

「あなた。こんな親切な人に良しなさいよ」

「しかしお前」


 言い合いが始まったので、思わず「何でしょう?」と続きを促す。

 夫婦は顔を見合わせ、やがて意を決したように吉田を見据えた。


「ヨシダさん、ここは食事だけ食べることはできないのか?」


 たちまち吉田の顔が強張る。


「宿泊面に何か不備がございましたか?」

「そう言うわけじゃないんだ。この部屋にもベッドにも満足している」

「ただ、私たちには高くてねぇ。息子たち三人分、払うことができないの」


 何故息子たちが出てくるのかと思ったが、この夫婦は記念日の宿泊代のお礼に、息子たちに何かしてやりたくなったらしい。


「わしらは一生懸命働いて小金を稼ぎ、息子たちを食わせることはできた。でも、学がない。文字も読めず、息子たちに教養と言うものを教えてやることができなかった。それで馬鹿にされたり嫌な思いをすることも多いらしくて……。

今日、食べ方を教えてくれただろ。あれを息子たちに教えてやって欲しいんだ。息子たちはこれからだ。お大臣の家に招かれることもある。そう言う時、恥をかいたりしないように」

「あのテーブルマナーは殆どここだけで通用するものです。参考になるとは思えませんが」


 買いかぶりだと吉田は急いで否定する。しかし夫妻はそんなことないと思っているらしかった。


「このホテルとか言う宿は大変な評判よ。美味しい料理に上級階級の人ばかりが来るって」

「このホテルの料理の出し方とか使用人の振る舞いが裕福な商人や職人の基準になっている。みんなこぞって真似ているんだ」


 そんなことになっていたのか、と吉田は目を見開く。夫妻は二人して頭を下げた。


「今日の宿泊費の三分の一、せめて半分なら今まで貯めたお金で出せるから、料理だけ出すようにしてくれないか?」

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