青春・不要論
どろぬま
青春・不要論
『青春とは、生きる者全てに訪れる気の迷い又は気の狂いのことを指す』
ぼくの辞書には、そう記されていた。この世には、青春に関する格言・名言が星の数ほど存在する。しかし、僕にとって、それらの言葉は全て戯言にしか聞こえなかった。みんな青い春を求めて、狂っているのである。僕に、それは必要ない。蝉の音を流し聞きしながら、心の中で独自の考えを展開していた。
「あぁ、めんどくさいな」
ふと、そんな言葉が口からこぼれ落ちていた。僕は、愚痴を垂らしながらも、絵を描き続けた。
「違う。これじゃ、ダメだ」
僕は、約三十分ほど費やして描いた絵を消しゴムの角で、まっさらにした。これほど、勿体ないことはないと思う。なんとなく、罪悪感と虚無感に心をさらわれた。結局、僕三十分という貴重な時間を無駄に消費した。泥団子を作っている方がまだ有益だな。それにしても、アイツは何しているんだ――その時、部室のドアがガタンと大きく音を鳴らした。やっときたか。
「いやー悪い悪い。少し遅れたわ」
ケンジは、約一時間ほど遅刻して、この場に来た。息が途切れ途切れだった。よほど、焦っていたのだろう。
「よく来たな。褒めてつかわす」
「ありがたき幸せ」
彼は、僕の変なノリによく付き合ってくれる。そのノリの良さが彼がみんなから愛される所以であろう。
「てか、オレらしか来てねぇな」
「みんなやることがあるんだろうな」
僕の夏休みの予定は白紙であった。心の片隅で、ほんの少しだけみんなのことを羨ましいと思ってしまった。
「あぁそういえば、レイ。今度の大会に出すイラストできたか?」
「見ての通り何もできてないよ。ああ、超絶美少女が、目の前に現れてくれたらやる気でるのになぁ」
僕は、自分自身の言動が矛盾していることに気づいた。ぼくに、青い春なんかいらない。俗に言う建前と本音である。
「超絶美少女ってオレがいるだろ?」
ケンジは自信満々な表情で自分のことを指した。
「へいへい」
僕は、彼のボケを淡々と受け流した。
「なんか、冷たくない?」
「今、僕はとても忙しい」
「あっそ。お前が、その気ならオレにも考えがあるもんね」
低い声でそう言い、ケンジは部室のドアを開け、どこかへ行った。
「おい、ケンジどこに行くんだよ」
呼び止めようとしたが、その声はケンジには届かなかった。絵の方が上手くいっていないからといって、ケンジに冷たくしすぎていたかもしれない。ケンジが、戻ってきたら謝ろう。
僕は、再び席に着き、憂鬱に苛まれた。
「あぁ、もう全然ダメ」
ケンジがいなくなって二十分ほど経過していた。その間、イラストの構図をずっと考えていたが、結局何も思い浮かばなかった。また、時間を無駄にしてしまった。こうして、僕はいずれ灰となり、《世界》からいなくなるのだろうな。
椅子から立ちあがり、部室の窓際へたどり着いた。部室のカーテンをこじ開け、太陽の日をたくさん浴びた。光合成しそうだ。僕は、現実がどうしても上手くいかない時は、空を眺めるという癖がある。ぼくにとって、空というのは、理想なのだ。そのため、空を眺めるという行為は僕にとっての慰めであり、壮大な現実逃避でもあった。
僕は雄大な空を眺めた。ただ、そこには奇妙な形をした雲が浮いていた。
「なんだ、あの雲は。鯨の形をしている」
はじめて鯨雲というのを見た。何故だろう。なんだか懐かしい気持ちになった。故郷に帰ってきたようだ。折角だ、クジラ雲を笑顔してみよう。勢いよく席に着く。空を眺めながら鉛筆でクジラ雲のシルエットを描く。注目してみると、鯨雲は笑っていた。何を笑っているのだろうか。次はペン入れ。ここは、慎重に。色鉛筆を持ち替え鯨をピンク色に染めた。最後に背景だ。これは、残酷な青に染めてやろう。この時間、およそ三分。カップラーメンでも食べてやりたい気分だ。一息入れるため僕は、席から立ちあがり、腕を大きく天へと伸ばした。その時、ガタンという音が部室に響く。音が鳴る方を向くと汗まみれになったケンジがいた。それともう一人いた。
「レイ! やべぇ!」
ケンジは慌てた声で、ぼくに言う。ケンジは誰かをおんぶしていた。
「ケンジが抱えているその子、誰?」
顔はケンジの背中で、隠れていて見えなかったが、服装や体格から予想して女の子だろう。
「あァ、この子が道端で突っ伏して倒れていたんだ」
「それで?」
「だから、ここに急いで連れてきた」
犯罪手前なのではないかと思ったが、そういう事情があるのならギリギリ許容範囲だ。
「なんで倒れてたの?」
「俺も詳しくは分からんが、体調悪そうだった」
おいおい、なら保健室に連れて行けよ。そう思った。まぁ、文句言ってる暇はない。急いで、応急処置をしよう。
「ケンジ、その子をこの布団の上で、寝かせて」
部室に泊まりこむ用の布団を、広げる。まさか、こんな形でこの布団使うことになるとは、思わなかった。ケンジを軽々と腰を低くし、僕は女の子の上半身の部分を支え、ゆっくりと布団の上に彼女を添えた。
「熱中症とか?」
ケンジか不安そうな声でぼくに言う。彼女の腕に指先を当て脈を確認する。しっかりと脈を打っていた。僕は、胸を撫で下ろす。って、待てよ? この子、単純に寝ているだけなのではないか。そう思い彼女の声を聴くと、なんと寝息を立てていた。
「なぁ、ケンジ。この子、体調が悪いとかじゃなく、ただ寝ているだけだぞ」
「マジかよ」
「マジだよ」
ケンジは、足から崩れ落ちた。そして、大きく息を吐く。
「良かった」
純粋無垢な声が聞こえる。
「でも、ケンジ。普通は、人倒れてたら脈測るとか、声を掛かたりするだろ?」
「頭では分かってはずなんだけど、いざその状況になるとどうにも出来ないもんだな」
ケンジは、すこし低めの声でそう言った。仮に熱中症なら、かなり危なかったが実際はそうじゃなかったので、結果オーライである。
「てか、この子どーすんの?」
ケンジが、ここに連れてきたのは良いが、彼女を無理矢理起こして帰らせるのは気が引ける。
「とりあえず、起きるまで待ってみるか」
「おっけー」
僕は、寝ている彼女の方を向いた。彼女は、制服からしてこの高校の生徒だと思われる。ただ、ぼくはこの子を校内で見かけたことはなかった。いや、僕が世間知らずなだけか。
「ケンジ、君は彼女のことを知っているかい?」
「いや、見たことがないな」
まさか、あのケンジですら知らないとは。一体何者なのだろう。まぁそれは彼女が目覚めたときに問えばよい。そういえば、僕はケンジに謝らなければいけない。僕は、決意を固めたら、それは絶対に捻じ曲げることはない。鋼の精神を持つ男だ。
「ケンジごめん。さっきは冷たい反応しっちゃって」
「ん? なんの事?」
ケンジは、そこまで気にしていない様子だった。
「ほら、ケンジが部室から出ていく前」
「あ、あのことね。いや、そこまで怒ってたわけじゃないけど……」
そうだったのか。僕は勘違いをしていたようだ。では、なぜ部室から外へ走りだしたのか気になる。
「じゃなんで外に行ったの?」
「いや、なんか走り回りたくなったから」
いや、そんな神妙な顔でこっちを見つめないでほしい。まぁケンジが、怒ってないならそれで良いか。どちらせよ、ぼくがケンジに冷たい態度をとったのは紛れもない事実だ。そのお礼として、あのでっけークジラ雲を見せつけてやろう。
「ケンジ、君に見せたいものがある」
「ん? 何?」
僕は、机の上に置いていた絵をケンジに意気揚々と見せつけた。
「クジラ? どうして?」
僕は、空を指さした。このクジラ雲が見えないのか、ケンジ!
「空だけど、どうしたの?」
「ほら、雲に注目してよ」
なぜ、世界を飲み込んでしまそうなほど巨大なクジラ雲に気づかないんだ。
「雲? いや、そんなのいつもと変わらないよ」
「クジラみたいなの浮いてない?」
「何もないけど……」
そんな馬鹿な。ぼくは、空の方へと視線を送る。ケンジの言うとおり、そこには何も無かった。ぼくは、がっかりした。堕落した。失望した。ついには、自身の顔が床に張り付いてた。
「でも、この絵すげぇ良く描けてるな。でも、何かが足りない気がする……」
「何が足りないんだ?」
ケンジが僕のスケッチを見て、意見をいった。何が足りないのだろう。
「この絵から、レイが見えてこないんだ。この絵の中では、お前が主人公なはずなのに」
僕がいないか。なぜだろう。彼の言葉に納得してしまった。説得力があった。僕は完全に言い負かされた。すると、横になって寝ていた彼女の方から、「ん〜」といった、背伸びしたような声が聞こえてきた。
「なぁ、レイ? 起きたんじゃないか?」
「かもな」
僕たちは、彼女の動向を観察してみることにした。彼女は、僕たちに気づいている様子はなく布団から上半を起こし大きく口をあけ、あくびをしていた。女の子はあくびをしないものだと思っていたが、そんなことはないらしい。彼女は、気だるそうに目を擦りながら、僕らの方を向いた。まだ、寝ぼけているのか僕達を視認をしても何も反応は無かった。少し間が開いて、ようやく反応をしてくれた。彼女の頬はみるみる赤くなり、成熟したリンゴのように、深い紅色と変色していった。
「あなた達は一体誰なんですか?もしかして……この変態!」
彼女は、自身の体の様子を確認した後ぼくたちに、向けて罵倒してきた。最初の会話が、罵りだとは思わなかった。まぁ、存外悪い気持ちではない。
「いえ、僕達は倒れていた君を救ってあげたんです。いわば、命の恩人ですよ。もっと、感謝すべきでは?」
少しだけ、話を盛ってみる。
「はえ? そうですか。すみません。私の勘違いでした」
思ってたよりも、冷静で落ち着いていた。
「それで、ここはどこですか?」
「ここは、美術部だよ」
ケンジは、柔らかい声で彼女に言った。
「なるほど。やっと、状況が呑み込めてきました」
「理解が早くて助かります。それで、ひとつ聞きたいのですが、君はこの学校の生徒なんですか」
ぼくは、彼女に問いかけた。
「いいえ。それは私にも分からないのです」
彼女の「分からない」の意味が僕には分からなかった。ケンジは、僕の方を向きなんとも言い難い表情を浮かべていた。
「それでは、今日はありがとうございました」
彼女は、ゆっくりと立ち上がり、この場から立ち去ろうとした。
「ちょっと待って欲しいです。まだ、君に聞きたいことがあるんです」
彼女は、首をかしげた。僕は、ここで彼女を手放したら一生の不可解を心に残すことになると、思った。
「聞きたいことは、たくさんあります。まず、君が何者なのか。それと、さっきの言葉の意味が僕には分かりかねます。最後に君は《クジラ雲》について何か知っていますか」
彼女は、クジラ雲という単語を聞いた瞬間、眉がつり上がった。その後、その眉は段々と下がっていった。
「分かりました。助けてくれたお礼として、良いモノを見せてあげます」
先程の態度とは一変し、随分と粋な計らいではないか。
「それでは、よく見ていてくださいね」
彼女は、両手を上にあげて、目を瞑った。一体何が起きるのだろう。内心、期待している自分がいた。
「なぁ、レイ何だあれ」
段々と彼女の身体が発光し始めた。ケンジは、驚きを隠せない様子だった。そんなケンジ瞳の奥底は、まるでダイヤモンドの原石ように輝いていた。
「おい、次はなんだ」
発光した彼女の周りに何かが浮いて存在している。結構な大きな球体である。それは、虹色に輝いていた。その物体は赤・橙・黃・緑・青・藍 ・紫の順に変色していく。その物体は、どんどん増殖していった。数多の球体が彼女を覆い、彼女の姿がはっきりと視認することはできなくなっていた。今から、何が起きるのだろう。僕は、彼女に釘づけになっている。その球体は、互いに反発しあう。
「ここからが本番です」
球体に囲まれた奥から彼女の声が聞こえる。すると、先程まで反発しあっていた球体は、今度は互いに引き寄せ合っていた。そして、徐々にその球体は一つに重なっていく。それが起こると同時に彼女の姿が見え始めた。彼女は発光していなかった。球体は、伸縮を繰り返している。また、球体では無くなる瞬間があった。円筒になったり、円錐になったりと忙しい球体だなと思う。多分、今その物体は不安定な状態なのであろうと推測した。その球体は彼女の手の平の上に集約する。ついに、その物体は伸縮を辞め、形も安定していった。
「良し。これで完成」
彼女は、掌の上には小さなビー玉が一つぽつりとのっていた。
「ビー玉?」
ケンジは、不思議そうにそう口ずさんだ。
「はい。でも、ただのビー玉ではないですよ」
彼女は、息を切らしながら、そう言った。考えるに、彼女の身に起きた発光の現象は体内のエネルギーを外部に放出していたことが要因だと思う。そのため、莫大な体内エネルギーを消費していたために、疲労がやってくるのだろう。
「おーい、何を考えこんでるんだ」
ケンジが、僕の視界に介入してきた。
「いや、悪い。ところで、まだ僕達は君の名前を聞いていなかったですね」
話の順序がおかしいかもしれないが、彼女の名前を知りたいと本能が訴えていた。
「え? そうですね。まだ、あなた達の事全然知らなかったですね」
彼女は、そういって、笑った。今まで堅苦しかった彼女の表情が初めて崩壊した瞬間だった。なぜだか、胸の奥が締めつけらた気分になった。笑った彼女は何処か儚げで、今にも消えてしまいそうだった。
「俺はケンジ。まぁなんでも呼んでくれ」
「レイです。よろしくお願いします」
僕たちの自己紹介は済んだ。次は彼女の番である。
「私の名前は……スバルでお願いします」
スバル。漢字でどう書くのだろうか。
「よろしく。スバル!」
ケンジは、彼女に手を差し出し、握手をしていた。本当に、その積極さは尊敬する。
「改めてよろしくね。スバルさん」
僕は、スバルさんのほうを向き、笑顔を描いた。彼女はそっと僕に笑いかけた。
「それにしても、このビー玉何に使えるんだ」
ケンジは、スバルさんからもらったビー玉を覗き込んだ。
「そのビー玉は、持ち主の心を映し出すんです。穏やかな心を持っていれば、明るい色になり、荒んだ心を持っている人は暗い色になります」
占いみたいだな。役に立つのか? このビー玉。
「へぇー、じゃ俺のはどんな色になるのかな」
「ビー玉に、出来るだけ意識を向けてください。そうすれば、変化が起きるはずです」
ケンジは、掌の上にビー玉を置き、呼吸を整えていた。すぐさま、ビー玉に変化が起きた。ビー玉は、赤と橙色が混じったような色になった。
「確かに、ケンジに似合う色合いだな」
「やっぱ、俺って太陽のように明るい人間だからな」
確かに、ケンジは明るすぎる。明るすぎて胸焼けしそうなくらいだ。僕の場合は、きっと黒とかになるだろうなと予想する。
「僕もやってみるよ」
僕は、ケンジの方に手を差し伸べた。
「お、いいぜ」
ケンジは、ぼくの掌の上にビー玉をそっと置いた。僕は、ゆっくりと呼吸をし、精神を統一した。ただ、ぼくの掌の上にぽつりと存在しているビー玉だけに意識を集約した。段々と色が変化していく。それは、赤・橙・黃・緑・青・藍 ・紫の順に変化する。最後に、黒色に変化する。やっぱり、黒だったか。予想通りかと思われた。その時、ビー玉が最後の力を振り絞って変化を示した。それは無色だった。
「無色なんてあんのか!」
不意を突かれたような声が聞こえる。ぼく自身も驚きだった。
「スバルさん。これはどういう?」
「無色。恐らく、レイさんには《何もない》ということだと思います」
何もない。すなわち、平凡であるということだ。僕は、それが嫌で仕方なかった。なぜなら、自身の人生を否定されているような気がしたからだ。空っぽで平坦な人生。ビー玉にそう言われていた気がする。黒色の方がよっぽどマシなくらいだ。僕は、ビー玉割ってしまいそうなほど強い力で握る。ただ、ぼくにはそんな力は何も持っていなかった。
「無色っていいな!」
ぼくが、考えもしなかったことを口に言う。
「どうしてそう思うの?」
「だって、これから何色にもなれるってことじゃん! 俺らの可能性は無限大なのさ!」
彼の言葉のせいで、空虚だったぼくの心が少しだけ救われたような気がした。
「ところで、スバルはどんな色になるの」
「えっ。私は……」
彼女は、声を詰まらせた。ケンジは、ビー玉を渡してくれと手の動きで指示してきた。
そっと、ビー玉を渡す。
「ほら」
ケンジは、彼女にビー玉を優しく渡した。彼女は、渡されたビー玉を優しく握っていた。息を整えながら、彼女は目をそっと瞑る。まつげを傷つけないように。ビー玉は、青色に変化する。そこに白色が加わり、淡い水色になった。とても綺麗だった。ビー玉が喜んでいるように見えた。あまりの美しさに言葉が無い。ケンジは顎が外れるほど大きく口を開けていた。本当に言葉が無いのはケンジの方だったらしい。
「どうでしたか」
艶やかで、風によく靡きそうな黒い髪をいじりながら、恥ずかしそうに彼女はそう言った。
「凄かったです」
「とてもよかったです」
ぼくたちは、小学生のような感想しか言えなかった。
「そうですか。それは良かったです。それにしてもこの部室暑いですね」
彼女は、大きな胸を張りながら満足気に言う。
「まぁ、暑いけど、俺らは慣れたもんよ」
この部室には、エアコンがないが、ケンジの言う通り慣れた。仮に砂漠に放りだされても、何とか生きていけるだろう。
「じゃ、こういうのはどうです?」
彼女は、親指と中指を合わせた。ビー玉を作りだしたときと、同じように指先が白く発光し始めた。またもや、球体が彼女にまとわりつく。彼女は親指と中指を勢いよく滑らせた。
「うおー涼しい!」
彼女が指を鳴らした途端、部屋がひんやりしてきた。なんて便利な能力なのだろう。
「レイ! なんかペンギンみたいなやつがいるぞ! すげぇ」
ケンジが、言ったようにペンギンもどきがぼくたちの目の前にいた。トサカみたいなのが、生えていた。かわいいけど、少し歪なペンギンだと思った。
「なんで、ここにペンギンがいるんですか」
僕は、彼女に問いかけた。ケンジは、ペンギンを抱えていた。頭をくちばしでつつかれ痛っと声を漏らしていた。
「いや、本当は生み出すつもりは無かったんです。でも、気が散ってしまって」
彼女の能力は失敗する可能性もあるのか。
「スバルさんのその能力を詳しく教えていただけませんか」
あの《クジラ雲》と彼女には関係がある。彼女の正体をつきとめれば、ぼくは《クジラ雲》の謎を解明することができるはずだ。
「分かりました。ある時を境に私はこの能力を発現しました。私は、この能力を《青春》と名付けました」
能力というのは、突然発現するものなのか。そんな都合がよい話があってたまるか。彼女に少しイラつきを覚えた。
「じゃあ俺もスバルみたいに魔法使えるかな」
ケンジは、身体を勢いよく飛び出した。ペンギンはケンジのまねをし、小さな翼を大きく広げていた。
「私の見解では、それは不可能に近いと思います。なぜなら、私がこの世で特別な存在だからです。あと、この《青春》はロクな能力じゃありません」
そんなはずがないだろう。彼女の傲慢さに噛みつきたくなった。だが、今は《クジラ雲》の究明が最優先だ。僕が彼女に干渉して、そっぽを向かれては困る。
「ところで、なんで《青春》なんですか?」
名前の由来から、《クジラ雲》の起源を知ることが出来るかもしない。
「それは、この能力こそが《生命の希望》だからです」
彼女は、唇を震わせていた。
「《生命の希望》ですか……」
《青春》のことを《生命の希望》だというのは、言いすぎだ。この能力は確かに便利だと思う。しかし、《青春》があっても無くても、僕やケンジの生命維持活動に影響があるわけではない。ましてや、鳥類であるペンギンには、もってのほかだ。いや、待て。これは直接的な意味ではないのかもしれない。この世の生きとし生ける者たちは、青春を求めて狂っているのだ。つまり、《青春》という生きるための希望が無ければ、生物は目的を見失い、やがて死に至る。少し無理矢理な解釈だが、これで妥協するとしよう。
「ええ。《生命の希望》と言っても過言ではないのです。なんせ、《ヤツ》を倒す術はこの力しかないのですから」
《ヤツ》とは一体なんだろう。あの《クジラ雲》のことだろうか。だとすれば、彼女はなぜ《クジラ雲》を仕留める必要があるのだ。
「《ヤツ》とは、《クジラ雲》のことですか」
彼女は、眉を下げ、あからさまに。
「少し、おしゃべりが過ぎました。あなた達に話しても、意味がないことは、分かっていたはずなのに」
「意味がない? 違います。必ず僕がその行動に価値をもたらしましょう」
彼女は、頭を抱えていた。ため息も漏らしていた。
「あのですね、この問題はあなた達のような一般人が関わっていいものではないのですよ。むしろ、足手まといになるだけです」
「なら、なんで僕たちにその事を話したんだ。本当は、君は心の奥底で救いの手を待っているんじゃないのか。なんで、僕たちを頼ろうとしないんだ。僕たち《友達》じゃないのか」
強く彼女に訴えてかけていた。きっと僕は彼女の傲慢さに耐えられなくなっていたのだ。沈黙が続いた。ケンジとペンギンは大きく口を開けていた。この空気を切り裂くような大きな笑い声が聞こえる。
「アハハ! なんだかあなたらしくないですね。《友達》だなんて。一番君が嫌いそうな言葉ではないですか」
言われてみればそうだ。《友情》を語るなんて、ボクはどうかしてしまったのだろうか。少年漫画の主人公でも、ここまで露骨には言わないだろう。
「スバルさんの言う通り、僕はどうにか……」
「レイ! スバルの様子がおかしい」
ケンジがあまりにも大きな声で叫ぶので、鼓膜が破けそうだ。彼女は、膝を床につき、涙をこぼしていた。
「私は、どうすればいいのでしょうか……」
僕は知らず知らずのうちに彼女を傷つけてしまっていたのだろうか。
「どうして……」
こういうとき、なんて言葉をかければいいか分からなかった。
「もう、分からない。何が正解か。私はこの世界を何度も救おうとしたのに……」
「世界?」「世界!」
僕とケンジの声が混ざり合った。綺麗なハーモニーだったと思う。世界とは、なんだろう? 何かの隠語であろうか。でも、そんなことはどうでも良くなっていた。彼女にどうしても伝えたいことがある。
「僕は、その世界ってやつ、救わなくていいと思いますよ」
「へ?」
そうだ。なぜ、彼女が苦しむ必要があるんだ。《世界》と《彼女》を天秤にかけた結果、《彼女》を選択しただけにすぎない。僕の助言に、彼女は唇を締めていた。床に落とした膝を、ゆっくりと上げる。
「でも、それじゃダメなんです。私は、世界を救う義務があります。決して、目的ではないのですよ。あと、世界を救った後に、私はこの世から存在が無くなる。そう、確信してます」
世界を救ったのに、その世界から彼女が追放される。なんて皮肉な話だ。彼女は世界を救わなければならない。だけど、彼女が救世主になった場合、彼女は消える。これぞ、詰み。どこに行きついても、バッドエンド。まるで将棋じゃないか。
「その確信とやらの根拠が分からないです」
「あなた達になら……《クジラ雲》と《私》の関係が根拠と言えます。《クジラ雲》は、常に何かに飢えているのです。本能の赴くまま、《世界》を侵食していく……」
彼女の声が段々小さくなっていった。そんな怪物を放っていいわけがない。一つ疑問に思う。なぜ、そんなヤツが今まで野放しされていたのだろう。でも、
「《クジラ雲》の発生源は?」
「ヤツが生じた原因。それは、《人の混沌なる欲望》です。すなわち、《人間の負のエネルギー》といったところでしょうか」
混沌なる欲望か。狂気、迷走、期待、嫌悪、不安、嫉妬、憎悪、馬刺しなど。欲望というのは、これらの感情を混ぜ合わせ生じるものである。ボクはそう考えている。いや、もっと複雑かもしれない。人の欲望による業は深すぎる。深すぎてマリアナ海溝も驚いているだろう。それと《クジラ雲》は急に現れたのではない。僕らが、気づかぬ内に徐々に僕らを侵食していたのだ。みんな、闇や狂気を抱えながら生きている。僕だってそうだ。ケンジですら抱えているかもしれない。段々と生きづらい世の中になっていたのだ。それが、形となり《世界》を滅ぼそうとしても何もおかしい話ではない。だが、僕はヤツを許すことができない。なぜなら、ヤツが僕の《青春》を奪ったからだ。 僕にもヤツを倒す義務が出来たようだ。まぁ、ケンジとペンギンはそんな事関係なく呑気に戯れていた。
「なら、改めて聞きます。君は誰だ?」
最初、彼女はこの問に分からないと答えた。だが、次はどうだろう。
「私は、誰でもない。そう、この《世界》の誰でもない。名前すらない、ただの生物です。ただ、一つ明確に分かることがあります。それは、《生命の希望》、すなわち《クジラ雲》の《対極》にいる存在ということ」
《クジラ雲》の対極にいるか。《クジラ雲》は、《世界》を滅ぼすと彼女は言っていた。ならば、彼女の使命はやはり、《世界》を救うこと。つまり、《クジラ雲》の討伐ということか。
「ところでケンジさん、レイさん。あなた達は《今日》という一日をどう思いますか」
彼女が、僕達の瞳を覗き込んできた。ケンジはあたふたしながら、こちらに視線を合わせてきた。ペンギンも、ボク達のまねをし、首をかしげていた。
「どうって、《今日》は今日、《明日》は明日だ!」
なんというかケンジらしい答えだな。彼女は、緊張感のない返答に思わず、口に手を添えクスッと笑っていた。ペンギンもくちばしに小さな羽を添え、声をもらしていた。
「では、もうそろそろお別れです。あなた達には心の底から感謝しています。また、《明日》会えるといいですね!」
彼女の身体が、目が痛くなるくらい光り出した。僕は光を遮断するため、反射的に瞼を閉じていた。
「ちょっと待って!」
「スバル!」
僕は、ゆっくりと瞼を開く。そこには、ケンジとペンギンしかいなかった。あの儚げで、透明感のある少女はそこにはいなかった。
「マジかよ。本当にどっか行きやがった」
「あぁ」
彼女に勝ち逃げされた。ボクたちは、彼女の行方を追うことは不可能だ。《青春》の能力は、恐らく彼女の想像した事象を実際に具現化させるもの。ならば、瞬間移動だって容易いだろう。このペンギンが生じた理由も、彼女が想像した《涼しい》の副産物であろう。畜生。最後に、スバルさんのどんな顔をしていたのか見たかった。僕は歯を食いしばった。
「なぁ、レイ。スバルのやつ、何するつもりなんだろうな」
それは、僕にも分からない。ケンジはペンギンを抱えながら、話しかけていた。ペンギンは、周りを見ながら、大きくくちばしをあけ、甲高い声を上げていた。なんというか、挙動不審だ。余程、ケンジに抱っこされるのが嫌だったのか。
「ケンジ、それは僕にも、分からないよ」
悔しい。何もできない自分が。《ビー玉》が示したとおり、ボクは《無》だ。《ゼロ》なんだ。一人の女の子を救うことすらできない無力な人間なんだ。舌を強く噛み、血の香りが口の中に広がる。意外と香ばしいんだな。
「あれ、なんだ。なんかすげぇデカい雲。レイ、見ろよあれ」
ケンジは、窓の外を観察していた。雲……もしかしたらヤツなのか。ケンジから言われた通りにする。
「あ……あれが《クジラ雲》だ」
先程、見た時よりも、大きくなっていた。富士山を、一つ丸々呑み込むくらいにデカくなっていた。空は漆黒に包まれていた。
「あれが《クジラ雲》か! 思ったよりも、グロテスクなんだな。でもかっこいい!」
ケンジは、目をキラキラ輝やかせていた。いや、ケンジを観察する暇はない。どうして、このタイミングでヤツは現れた? 彼女がいなくなった直後にヤツは現れた。見計らったように。このままでは、《世界》がまずい事になる。ただ、僕の小さな手の平じゃ、《クジラ雲》には決して届くことはない。その小さな拳を握りしめた。
「よっしゃ! じゃ、やってみるか《ペンタ》! レイ一緒にも行くぞ!」
「え? ちょ、何処行くの?」
ケンジが、気合を入れ彼自身の頬を引っ張たく。彼の目つきは、女の勘よりも鋭くなっていた。
「どこってそりゃ、空に決まってんだろ」
いや、突拍子もなさ過ぎる。ボクたちが飛べるわけないだろう。
「どうやって飛ぶんだよ」
「ふふふ。飛べないペンギンはただのペンギンなのだよ」
ドヤ顔をしながら、ペンギンと一緒に決めポーズをとっていた。多分、僕とスバルさんが質疑応答している間に、打ち合わせをしていたのだろう。あんまり、口出ししてこなかったのは、そのせいか。
「ペンタ頼む!」
ペンギンケンジの掛け声に応えるように、甲高く鳴いた。そして、ペンギンの身体が、段々と肥大化していた。教室が窮屈になるくらいでかくなる。
「いけっペンタ! お前の真のパワーを見せてやれ」
肥大化したペンギンの身体が、コンパクトに収納され飛行機みたいな形に変わっていった。カカシだったはずの羽が大きくなり、立派な翼へと変貌した。
「よし、乗るぞレイ」
ケンジはペンギンの翼にしがみついていた。 シートベルトとかないの? 危なすぎるだろ、このアトラクション。
「ほら、はやーく」
ケンジは、大きな翼を手で小刻みに手の平で叩いていた。
「しょうがねぇな」
もし、この手を離したら、僕らは死んでしまう。なのに、心の底がワクワクした。無邪気な子供になった気分だ。
「出発進行!」
ペンギンは、助走を付け、教室の外へ走り出そうとした。おい、ちょっと待て、この大きさじゃ窓から飛び出すことは不可能だ。
「教室の壁ごと、突き破れ!」
ケンジの指示を支持するかのように、ペンギンは大きく叫ぶ。鈍い音が耳に響く。そうして、僕らは教室の壁にぶつかろうとしていた。
「楽しい! 最高!」
ぶつかる寸前、ボクは怖くて目を瞑る。コンクリートが、細胞レベルで破壊される音が聞こえた。とても鈍くそして爽やかな音色だった。はぁ、壁の修理代どうしよ。
「おぉ、すげぇ! オレら飛んでる!」
僕は真っ暗な視界を、カラフルに染めた。おぉ、すげぇ。空気の圧を感じながら、ボクらは着実に《クジラ雲》に近づいていた。振り返ると僕らの住む街が米粒のように小さくなっていた。視線を前に戻し、《クジラ雲》を観察する。《クジラ雲》の鱗って意外と繊細で気持ちが悪い。てか、このペンギン、滑空してるのではなく脚で空気の層を蹴りながら空を飛んでいるではないか。どんだけチートなんだ。どんどん《クジラ雲》に近づく。近くなるにつれ、邪悪な空気感が漂い始めている。空気も薄くなるしで、最悪だ。意識も飛んでしまいそうだ。でも、僕の小さな手のひらがヤツに届く可能性が生じてきた。これもケンジやペンギン……。いやペンタのおかげだな。その時だった。僕らの前に《虹》色に輝く閃光が走った。
「なんだ? この光は」
一秒後、二秒後、三秒後。光速に音速が追いついた。その音は、まるで《世界》の終焉を感じさせるような音だった。それと、同時に《クジラ雲》の叫び声が聞こえる。これは、《クジラ雲》に攻撃を与えたものがいるということか。そんな事をできるのは、たった一人の少女しかいないだろう。僕の口角は自然と上がっていた。
「ケンジ! ペンタ! 僕らもあの《虹》に続くぞ!」
「ノッてきたな、レイ! お前らしくねぇが、そんなレイも嫌いじゃないぜ!」
余裕があまりないため、ケンジの方を向くことは出来なかった。だけど、ウィンクしながら、決め台詞を言ってる事だけは何となく分かった。
「あぁ、《今日》の《僕達》は一味違うってとこ、アイツに見せつけてやる」
ペンタは、僕の期待に応えるように超加速する。指先に全神経を研ぎ澄まし、落ちないようにする。あぁ、もう少しで僕の手がヤツに届く。距離的にはあとペンタが一回、二回空気の層を蹴れば届く。
「よし! ペンタ! すてみタックルだ」
ケンジがペンタに命令した。なるほど、先制攻撃ってわけか。いやでも、すてみタックルってまずくないか?
「すてみタックルって反動ダメージえげつないよな?」
「あ。ペンタ! やっぱりお手だ」
声からケンジが焦っていることが分かる。ペンタは、既に超スピードで《クジラ雲》に突撃しようとしていたため、ブレーキをかけても、時すでにお寿司という事である。畜生。僕達はこんところで終わるのか? いや、この一撃に僕らの命、いや《世界》を駆けよう。
「ケンジ。僕らの全部をこの一発にのせよう」
「なるほど。ヤツをワンパンすれば結果オーライってことだな。いいね、ロマンがあるじゃないか。乗った、その作戦!」
《クジラ雲》は僕の《青春》を奪った。その罪、万死に値するぞ。ペンタの動きが洗練されていく。より鋭く、緻密になっていく。既に、光速を超えているかもしれない。この勢いをヤツにぶつければ、きっと勝てる。
「もう、そろそろだ。行くぞ! レイ! 捕鯨の時間だ」
「ほげー」
あぁ、死が近づいてくる気がする。だが、何だろう。この胸の昂ぶりは。絶叫マシンに好んで乗る人の気持ちが少し理解できた気がする。ついに、その時間は訪れた。ペンタと《クジラ雲》が衝突する。その衝撃は、地球と隕石がぶつかり、月が誕生した時、以来だ。いや、それ以上の規模だ。宇宙の始まり、《ビックバン》以来だった。破滅的な演奏が耳に広がる。これこそ、《世界滅亡》にふさわしい音楽だった。ただ、そんな力に巻き込まれたら、生身の人間が受け止めれるわけがない。そのため、僕とケンジはペンタからの羽から飛び降り、手を繋ぎながら空中落下していた。もちろん、パラシュートなどない。だが、僕には確信があった。
「スカイダイビングゥ……」
ケンジは、言葉を途切れさせた。ケンジ? まさか、意識が飛んでいる? マジかよ。
「ケンジ! しっかりしろ!」
返答は無かった。あれをやるしかない。とてつもない速度で地に堕ちる。
「スバルさーん! たーすーけーて!」
助けを呼ぶ。喉仏が口から飛び出そうなくらい叫ぶ。
「スバルさーん! たーすーけーて!」
僕は彼女が、来るまで何度も助けを呼ぶ。身体が地に堕ちる。死が近づいてくる。
「スバルさん! 助けて!」
彼女が来ない。このままでは…。最後の一声を振り絞る。
「ス……バ……ル」
もう、声が出ない。死が目の前にいた。あ、もう終わりだ。来世に期待しよう。その時は、またケンジと会えるといいな。
「全く。叫びすぎですよ」
柔らかくて、暖かい感触があった。死などは無く、むしろその真逆、極楽浄土だった。彼女に、抱っこされながら地上に降ろされていた。
「ヒール!」
一度、死んだはずの喉仏が生き返った。ひんやりして気持ちがいい」
「流石ですね。察しが早い」
「あそこまで、叫べばれちゃ、喉が心配ですから。あと、あんなに名前を呼ばれると、恥ずかしいですよ。別に嫌って訳じゃないですけど……」
段々と声が小さくなり、最後なんて言ったのか分からなかった。僕達は、地に足を付く。
スバルは、ケンジを草むらの上にそっと添えた。そうだ。ケンジをヒールで治してもらわないと。
「ケンジ、意識がないんです。早くヒールをしてくれませんか」
「分かりました。ヒール!」
だが、ケンジが目を覚ますことは無かった。
「どういうこと?」
「遅かった。どうやら、《クジラ雲》の邪悪な気を吸いすぎてしまったようです。《クジラ雲》を倒さない限り、目を覚ますことはないです」
その事なら大丈夫だ。ペンタが倒してくれたはずだ。
「それなら、大丈夫。君が生み出したペンギンが、倒したんだ! 《クジラ雲》を!」
そうだ。きっと、倒してくれたんだ。スバルは、拳を丸めて、唇と強く噛み締めてした。
「ペンギンは、《世界》から存在を消しました。《青春》を使い切ってしまった」
嘘だ。そんなわけがない。僕は空を見上げる。《クジラ雲》がいた。しかも、さっきよりも大きさが増している。もう既に、《世界》を覆い尽くしていた。僕はふかふかな野原に膝をつく。アイツが煽るように笑っていたのは、僕の情けない姿だったんだ。こんなはずじゃ、無かった。ケンジもペンタも……。どうせ、なら僕を殺して欲しかった。《クジラ雲》ふざけるな。いや元々、言えば《青春》のせいだ。《青春》という概念が人々を狂気的にさせ、迷わせる。そして、いらぬ期待を生じさせる。《青春》なんて無ければ、スバルが《救世主》という、退屈なもの縛られずに済んだのに。でも、何より憎いのは僕自身だ。こうやって、直ぐに何かのせいにするんだ。僕は直ぐに《何者》かに、成れたのかと調子にのる。さっきもそうだ。《何者》でもないのにな。情けぇねヤツだよ、お前は。一番悪かったのは、僕が《無力》なせいなんだ。涙が肌をつたる。なんて安っぽい涙なのだろうか。ぼくは、ボクは、僕は……
「どうすれば、良かったんだ……」
僕が、うずくまってそこそこ時間が過ぎたくらいに息を吸う音が聞こえる。
「笑えばいいと思うよ……なんてね。こういう時、なんて声をかければいいか、分からないんだけど、でも、一つ言えることがあるんだ。《友達》なってくれてありがとうってね」
彼女は、今までの敬語口調変えて、砕けた話し方で僕にそう言った。恥ずかしさを誤魔化すため、彼女は急ぎながら、僕に背を向けた。
「私、この《世界》を何度も再生してきました。《クジラ雲》が世界を滅ぼす度に。だから《今日》という一日を何度も繰り返してきた。それも何千万回も」
タイムリープか。彼女の力なら容易であろう。だから、同じ一日を繰り返している気がしていたんだ。山手線のように終着駅ないんだ。《今日》という日々を廻り続ける。
「言っておきますが、私もヤツと同じ《世界》が生んだ《化物》です。この《青春》の力はそれぐらいとてつもないのです。それでもヤツには敵わなかったですけどね」
笑いながら、彼女は言う。きっと彼女自身もたくさんの葛藤があったのだろうな。もちろん、彼女の言ったことは知っていた。その力が、どれだけ恐ろしいか。やろうと思えば、《世界》を滅ぼす事だって簡単だろうな。
「それ故に、私はたくさんの人から避けられて来ました。もちろん、《青春》の事を隠し続ければ良かったのですが、そういう訳にはいきません。なんせ、私にはヤツを倒す義務がありますからね。その内、私も人と関わることを自然と拒んでいきました」
だから、僕の質問を真剣に応えていたのか。僕なら、そんな義務を既に放棄しているだろうな。でも、彼女にとっての《本能》なのかもしれない。
「でも、君達は違った。私を《一人の人間》として扱ってくれた。それも《友達》として。それが、どれだけ嬉しかったか」
彼女は、声を弾ませながら言う。その一言一言が生きているように感じた。僕は彼女の全てを理解した。彼女は《化物》なんかではない。《人間》に憧れた、たった一人の《少女》なのだ。だが、《青春》が彼女の全てを狂わせた。
「今まで、私は人の醜い感情を見てきました。怒りだったり、嫉妬だったり。でも、レイさん、君の怒りには醜さなんて無かった。清々しい程に。それほど、私に向き合ってくれてたんだなって」
そんな事は無い。僕は私利私欲の塊だ。 幸せそう表情でそう言う。本気で説教されて、喜ぶやつなんて始めてだ。もしかしたら、スバルってアホなのかな。
「だから、私、今から怒ります」
彼女は、優しそうな表情で言った。本当に今から怒るのかってくらいだ。彼女は大きく息を吸った。
「なんで、そんな無茶するんですか! ケンジさんもレイさんも!」
先程とは一変、彼女は顔を真っ赤に染めて、本気で怒っていた。怒った経験がないためか、怒り方が変だ。声のトーンが三オクターブぐらい高い。何だろう、その健気な態度が愛おしいくらい、可愛かった。ケンジの方を向く。意識がないにも関わらず、アイツの表情は喜んでいるように見えた。全く、バカなやつだな。僕はこの可愛らしい生物たちを眺めていたら、口角が上がっていた。僕はどうやら、アンポンタンらしい。
「ちょっと! 話聞いてますか?」
「アハハ!」
僕は、うずくった身体と腕を大きく広げ、素早く立ち上がった。
「何がおかしいのですか!」
彼女は顔を真っ赤に染めながら、強めな声でそう言った。
「スバルさん。いいや、スバル。君ってヤツはかわいいな」
「え」
今度は、違う意味で顔を真っ赤に染めた。不意打ち成功。 僕は、寝ているケンジの方に近づき、彼の大きな手の平を触った。
「ごめんな、ケンジ。俺のせいで。だから全て終わらせる」
「ちょっと! どういう事か説明してください」
彼女は、先程の不意打ちを誤魔化すようにそういった。
「全て丸く収まる方法を見つけた」
「へ?」
彼女は、ど肝を抜かれた表情をした。僕は覚悟を決める。この時だけは僕の手の平はケンジ並みに大きく見えた。《青春》と共に僕もこの《世界》から滅びよう。
「《青春》の力のみ、僕にくれないか?」
「はえ? でも、それは出来ません」
いや、ここはどうしても押し切る必要がある。これだけ譲れない。
「頼む。スバル」
「嫌です! レイさんのような、一般人には《青春》を使えば、死に至りますよ!
仮に、使えたとしても、あなたは無茶をしてしまう! だから、絶対に嫌です」
おっと。これだからは愛され者は困るなぁ。彼女は、眉間にシワを寄せながら、言った。
「大丈夫。僕は《青春》を死ぬほど憎い。憎くてしょうがない。でも皮肉かなぁ。憎いや嫌いという《負の力》は理解から最も近い。だから大丈夫。無茶もしないよ。説教されたからね」
僕は、渾身のドヤ顔で言った。彼女には《青春》似合わない。
「本当ですか?」
「あぁ本当。じゃ指切りげんまんする?」
その上目遣いは、メンタルに来る。裏切る前提で指切りげんまんするのは、気が引けるがこれしかないんだ。ごめんよ。そして、僕の小指をスバルに差し出す。そして、スバルは僕の小指に彼女の小指を絡めてきた。
「指切りげんまん! 嘘ついたら針千本のます! 指きった!」
彼女のひんやりした指が僕の小指から離れた。少し悲しいな。
「それでは、《青春》の力を譲渡します」
彼女は、そう言いながら僕の胸に手を押し当てた。彼女の身体から虹色の力が溢れだす。あっ、キタキタ! この胸の高鳴り。流石は《青春》。とてつもない力だ。しかし、時間が経つにすれ痛みが増してくる。それには、正義や狂気、嫉妬や情熱、迷いや馬刺し、たくさんの感情が混ざり合い反発しあっていた。まさに《混沌なる感情》そのものだ。
「あと少しで、《青春》の全てを……」
我慢しろ、この痛みを。乗り越えるんだ。彼女に、嫌な表情を見せるな。でなければ、彼女は《青春》の譲渡を辞めてしまう。さぁ、天空で高をくくってる《クジラ雲》よ。今に見とけ。その気持ちの悪い笑いを引き剥がしてやる。身体中に電撃が走る。痛すぎる。この世の全ての痛みをかき混ぜたような痛みだ。ヤバイ、死ぬ。
「終わりました。大丈夫ですか?」
この言葉を待っていた。まだ、身体は死ぬほど痛いが、今は我慢だ。痩せ我慢どころではない、激痩せ我慢だ。
「もちろん!」
僕には、似合わない面を彼女に見せた。だが、《今日》の僕にはピッタリな面だ。幸い、痛みが徐々に引いてきた。これならイケる。力が溢れる。《クジラ雲》は僕の強烈な力を感じ取ったのか、急いで僕達の方に向かってくる。僕は、ポッケに入っていた《ビー玉》を取り出す。僕が《何者》になれたか、確認するために。もう、過ちを繰り返さないために。《ビー玉》は虹色に光だす。彼女が驚いた声を出した。
「凄いですよ! こんなにキレイなの初めてです!」
だが、そんな期待は直ぐに打ち砕かれた。なんと、《無色》に戻っていた。これは、計算外だった。溢れる力も無くなっていく。所詮僕の思い込みだったんだ。強がりだった。ペンタもケンジも僕のせいで。
「ごめん。僕は《何者》にもなれなかったよ」
結局、いつもそうだ。僕は思い上がった、失敗する。《青春》の力も過ぎ去った。《世界》も終わる。そういう事だ。《クジラ雲》に侵食されて終わりだ。
「何言ってるんですか。もう既に貴方は《何者》になっていますよ。その答えは、私の大事な《友達》です。《友達》と一緒なら、《世界の終わり》なんて、へっちゃらです!」
その時の、彼女の笑顔はどんな鉱石や光よりも美しかった。あぁ、これが《青春》なのかもな。ほんの微かに春の匂いがした。そして、《世界》は幕を閉じた。
と、思われた。そこは真っ黒な《世界》だ。僕は、《クジラ雲》のスケッチを思い出した。ケンジから言われた言葉を。僕が見つからない絵の事だ。やっと、今僕を見つけたよ。いや、既に見つかっていたんだ。僕は零だ。つまり、《ゼロ》だ。《無》だ。見つからなくて当然だったんだ、僕は《無》だから。そして、《クジラ雲》の正体は全てを呑み込む《負のエネルギー》。つまりマイナスだ。負という数字は最強だ。正の数をもいとも簡単に呑み込んでしまう。しかし、掛け算においてそれよりも強い数字がある。それが《ゼロ》である。《負》掛ける《ゼロ》。そう、答えは《ゼロ》。《クジラ雲》の対極である存在スバルの正体は《正のエネルギー》。掛け算において、正が負に勝つことはありえない。だから、ペンタやスバルの攻撃力を吸収し、肥大化していった。逆に、僕が《青春》の能力が使えなかったのは僕が《無》であったから。やはり僕に《青春》は必要なかった。
僕は全ての《負のエネルギー》を吸い込む。狂気、迷走、期待、嫌悪、不安、嫉妬、憎悪、刺身などを感じた。だが、僕にそんなもん効かん! 《青春》の方が凶悪だった。全てを《無》にした。おっ! 黒だった背景にカラフルな色彩が付いてきた。どうやら《クジラ雲》は完全にいなくなったらしい。先ほどの野原だ。心地良い夏の風が僕の髪の毛を揺らした。周りを見渡すと、スバルとケンジがいた。
「どうやら、僕の春は過ぎてしまったらしいな。そうだろ、過春?」
寝ている彼女に話しかけた。
「ん? また、タイムリープしてしまったのでしょうか?」
寝ぼけているな。だが、そんな彼女も悪くない!
「いいや、君はもう《化物》なんかじゃない。普通の《人間》。ただの《少女》にすぎない」
彼女は、目を擦りながらこちらを向く。彼女はうさぎのように飛びあがり、僕に近づいてきた。
「レイ! 《クジラ雲》どうしたの?」
彼女が僕に抱きついてきた。すげぇ柔らかい。温もりを感じた。何より、針千本飲まされずに済んだ安堵感は、彼女の体温と同じくらい暖かく感じた。
「《クジラ雲》食べた」
「はえ?」
まぁ、あながち間違いではないがな。少しふざけた。すると、ケンジがもぞもぞ仕出した。そして、声を上げる。
「アハハ! やっぱ耐えられんわ」
もしかして、コイツ寝たフリしてやがったな。いつからだろうか。
「ケンジ! いい雰囲気ぶち壊すなよ! てか、いつから寝たフリしてたんだよ!」
「いつからだろうな〜」
ケンジはスカスカな音の口笛を鳴らし、誤魔化していた。僕はケンジに近づき、耳を引っ張る。
「レイ。ごめん。謝るからやめて!」
笑い混じりに、そう言った。僕はもっと力を込める。
「いててぇ! 過春さーん、たーすーけーて!」
「おい、それ僕の真似じゃないか。やっぱり、コイツ。ずっと寝たフリしてやがったな!」
僕は、彼女の方を見る。彼女は必死に笑いを堪えていた。彼女が幸せそうで何よりだ。僕は手の力を緩めてしまっていた。ケンジは既に、学校の方へ走り出していた。だが、急に立ち止まった。どうした?
「レイ、過春、あれペンタじゃねぇか?」
ケンジは空を指差した。夕日に《虹》が掛かっていた。そして、その上を《ペンギン雲》が泳いでいた。君はただのペンギンじゃなかったな。ペンタ。ケンジは、目を擦りながらも、
止めていた足を再び前に歩みだしていた。
「なぁ、二人とも、それと一匹! 僕言いたい事があるんだ」
二人と一匹は、僕の方へ注目した。みんな首を傾げ、訳が分からない様子だった。
「僕ら、これからもずっと《友達》だよな!」
どうやら、皆答えは決まっているみたいな表情をしていた。
「当たり前だろ!」「当たり前じゃないですか!」
みんなの声がハモリ合い、綺麗なハーモニーが生まれた。天にも、きっとペンタにもこの美しい音楽が届いてる事だろう。奇跡的なタイミングでハモったため、思わず皆吹き出した。笑い声は夕日に溶け込んでいった。
「じゃ、帰るか!」
「「「うん!」」」
ケンジが、そう言い、僕らは、大穴の空いた部室へ戻るため、歩を進める。《今日》いや、《明日》いや、もっとだ。《来世》も僕らの《友情》はこの夕日にように、色褪せないだろうな。僕はポケットから《ビー玉》取り出した。僕は《ビー玉》に天に掲げ、《無色》に《虹色》を足し合わせた。コレで僕も《何者》か、に成れたか? でも、《何者》になる必要無い。
「レイ! 何してるの?」
その答えはすぐ目の前にあった。僕は《無色透明》な《ビー玉》を野原に投げ捨てた。
「いいや。何にも無いよ」
僕は急いで、皆の所に追いつく。その歩みには一切の狂いも迷いもなかった。
《完》
青春・不要論 どろぬま @2021bungei6
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