今日も世界は平和である

@kks0909

第1話

扉。

扉といったらなにを思い浮かぶだろうか。

玄関の扉。部屋の扉。外との仕切り。外部の遮断。

彼女にとって扉とは、きっと自己を守るためのものだったのだろう。




「いない」

独り言が虚しく落ちる。

六畳分のフローリングの部屋。きっちりとカーテンが閉められた窓辺の下では、ぼんやりと朝日が射しこんでいた。

壁の照明スイッチを押し、灯りを点ける。痛いほどの部屋の白さに瞬きを繰り返す。視界が慣れると、四隅にある変哲のない小さな菓子箱がやけに目に付いた。

視線を脇へ逸らす。視線の先は収納扉。

扉を開き、収納スペースの中へ無遠慮に声をかけた。

「時間だぞ」

収納スペースには、ハンガーに掛けられた数多くの衣服。黒色ばかりの衣類の下に、こんもりとした黄色い塊があった。

「聞こえてないのか」

収納スペースには入らず前に座り込み、黄色い塊を見つめる。

ヒヨコ柄の毛布。何度も洗濯したせいで布の周りがほつれてきている。

「ううっ……」

しばらくすると小さなうめき声が聞こえた。

覆い隠している人物に鼓動し、まるでヒヨコが震えているように小刻みに揺れた。

「またっ、またっ」

掠れた幼い声がヒヨコの中から繰り返し聞こえる。

「わたしのせいで……、しんじゃった」

「……時間だ」

僕は悲痛な声に答えない。淡々と急かす言葉を告げた。

不満たっぷりに大きくため息を吐いてると、恐るおそるといった風に、彼女は毛布の中から顔を出した。

ぼさぼさの墨のような黒髪。静電気を帯び毛布に毛先が引っ張られ、艶やかな髪が台無しだ。

長い前髪から怯えた瞳を向けられる。顔の中心に皺を寄せ、今にも泣いてしまいそうだな表情をしていた。

だが、金木犀色の瞳は乾いていた。猫のように瞳孔が開き、まるで睨まれているようだ。

「涙(ルイ)、早く着替えて」

泣けない彼女につけられた皮肉めいた名前。

いや、名前に涙を奪われたのかもしれない。

ルイは乾いた目元を擦ると、クローゼットから四つん這いで這い出てきた。

「おい、制服で寝るなっていっただろ」

唇を噛み締めているルイは制服を着ていた。

黒いブラウスに、赤黒色のチェック柄の膝までのプリーツスカートを身に着けていた。ブラウスの胸元のボタンは開けられ素肌が見え、スカートからは生白いほっそりとした裸足が。

皺だらけのスカートに気づきげんなりとする。

「おい、制服で寝るなっていっただろう」

昨日別れた時と変わらない服装に、叱るように語尾を強める。

「……おなかすいた」

「はいはい」

先程の泣きそうな顔はなんだったのかと思うほど、彼女はすとんと表情を無くし俯いている。

僕は一時間は遅刻決定だと、すぐさまポケットからデバイスを取り出し上司に連絡を入れた。くいっと裾を引っ張られた。

「ごはん」

「上のボタンを閉めて、スカートを着替えてからな」

「うん」

「あ?」

立ち上がったと思ったら、すとんとスカートが床に落ちた。

目の前には絹のようにすべらかな太腿。着替えるためにクローゼットへ戻るルイ。

僕は頭を抱える。だからそういうのをやめろって。



「ん」

朝食を頬張ったルイを洗顔へ促し、身なりを整えさせるとルイは僕に櫛をつき出した。

「髪ぐらい自分で出来るだろ」

「できない」

「キメ顔するところか」

きっぱりと断言したルイは、櫛を手渡すと前を向いた。微動だにしないつむじを見下ろす。

慎重に手のひらで髪を掬い上げた。細い首筋が露になる。

殺されるとは考えないのだろうか。

勘違いしてはいけない。僕に安心しているからとか、信頼して体を預けているわけでは決してない。

彼女には触れてはいけない。

無菌でなければならないからだ。髪も体の一部で触れてはいけないはずだが、何故か許可が下りていた。

まさか彼女が申請したのか?

例え彼女の仕業としても許可が下りた理由がわからない。

たった一度櫛を通しただけでほつれは無くなり美しくなる。まるで作り物のように決められた形に。

「前髪切らないのか?」

後ろ髪が終わり、正面で向き合った僕は、鼻まで伸びている前髪について指摘する。

しまった。すぐさま失言したと気がついたが前言撤回なんてできない。

「……」

ルイはなにも答えなかった。

後ろ髪より慎重に、指先で前髪を摘まみ櫛を通す。櫛を通し終わると、頭を傾けていたルイは前髪を耳にかけ、耳に掛けられなかった髪は顔に落ちてこないようにヘアピンで止めた。

前髪が分けられたことで綺麗で端正な顔が現れる。

汚れを知らない真っ白な肌。すっと真っ直ぐ通った鼻筋。上品な整った形の唇は血色のよい色。黄色い瞳はけぶるような長い睫毛で覆われ、瞬きするたび金木犀の香りがするかのように錯覚する。

「今日の予定は?」

「研究所」

「違う。ラボだ」

「ラボ」

「よし行くぞ」

僕が立ち上がると、釣られるように彼女も立ち上がった。

部屋のドア横のプレートに右手を押し当てる。

小さな電子音の後、施錠が解除され扉が自動でスライドした。二歩ほど歩くと再びドアがあり、横のプレートに先程と同じ動作を繰り返す。同様に電子音の後スライドし、直線の廊下に出る。四方の壁は病的なほど真っ白だった。

「僕は上に呼ばれてるから、ラボには後で行く」

「うん」

突き当りの壁の前に立つ。音もなく壁が中央から割れた。壁の先はエレベータだった。

エレベータに乗ると背後の扉が閉まる。身体の向きを変え、背後にあった文字盤にラボの数字を入力する。僅かな振動をさせエレベータが動き始めた。

「よく眠れたか?」

「……」

よく眠れなかったのか返事はない。

クローゼットに籠っていた時点で、眠れていないと察してはいた。

僅かな振動が止まる。ラボに到着したのだ。

隣にいるルイは相変わらず感情が抜け落ちたように無表情だ。エレベータが開くと無言で歩いていった。



「今日は一時間の遅刻か。最近の“アレ”は不安定だな」

ルイの部屋や廊下とは裏腹に、色とりどりの部長室に僕は呼び出されていた。

コウノ部長は不機嫌だ。不機嫌さをぶつけるように机を指先で叩く。

人生の半分過ぎ白髪混じ髪には苦労が窺える。皺だらけの顔に、より皺を寄せていた。

「原因に心当たりはないのか?」

「上になにか言われたんですか」

直立不動の姿勢をとっている僕は、部長の机に置かれたタブレットを見下ろしながら質問する。タブレットには文字列が羅列されていた。

「質問しているのはこっちだ。答えろ」

余裕がないように睨みつける部長は、僕がタブレットを見ていると気づき画面を机に伏せた。

「わかりません」

「そうか……」

部長は明らかに安堵し、険しい表情を緩めた。

コウノ部長は温厚な方だ。隠せないほどの不機嫌さは、相当上に追及されたのだろう。

「わかりません。が、死亡者が増えていることに関係しているのではないでしょうか」

「どういうことだ? まさか“アレ”が悲しんでいるとでも言うつもりか」

ありえないと部長は首を振る。

「“アレ”に不要な感情は備わっていない。忘れているわけじゃないよな、キヌカワ」

「わかっていますよ」

背中に組んだ手にジワリと汗が滲む。緊張からではない。嫌な会話をこれからしなくてはいけないのかと思いからだ。両手を固く握りしめる。

「どう接している?」

「命令通りに」

「具体的には」

「……命令が監督指導とのことでしたので、15歳ぐらいの子供に接するように」

「15歳か……」

考えるように腕を組んでいた部長は、僕をじっと見つめた。

「“アレ”は15歳ではない」

「存じています」

「子供を育てたことはあるか」

「……ありません」

答えなくとも部長は知っていることだろう。

「“アレ”は子供ではない。私達と同じではない。情を抱くな。いいな?」

念を押す部長に僕は。

「はい……」

忠実な僕はただ頷く。



ある日、世界は終末へ向かい始めた。

広い世界として全体に目を向けると、昔から決して平和ではなかった。

常にどこかで戦争が起こっている。それでも平和な国は、場所は、あった。

始めは小規模の戦争。衝突での爆発。その結果、生まれてしまった“キレツ“と呼ばれるモノ。

誰も、それが世界崩壊への足音になるとは思いもしなかった。

世界の半分の土地が死に、多くの死者が出た。

じわじわと末端を侵食される恐怖に、僕らの平和機関は禁忌を犯した。

数十年間もの時間を費やし僕らは創った。生み出すことが出来てしまった。

現在、ひとりの少女を犠牲にして、平和は保たれている。




「また再検査だってな」

「先輩……」

イケメンのドアップは心臓に悪いというが、誰だろうと至近距離で顔を覗き込まれたら驚くことだろう。

僕は廊下のイスにぼんやりと座っていた。

イケメンの先輩こと、ミネウラ先輩は今日もバシッと決めたスーツ姿だ。

先輩は僕の隣に腰かけると、励ますように持っていた缶を差し出した。

「ブラック飲めるだろ」

「ありがとうございます」

「あの子の世話係ってそんなに大変?」

「そんなことないですよ……」

「疲労で再検査じゃねえの?」

「耳鳴りが治まらなくて」

「だから疲労だろ」

足を組んだ先輩は茶髪を搔き上げる。先輩はワックスで髪型を固めているが、呆れた時によくやる仕草だ。

「疲労は神経からやられるっていうだろ」

「……そんなに疲れているように見えます?」

「いや見えないな」

おかしそうに先輩は目を細めて笑うと、僕の背中を叩いた。缶を開けていたらきっと、壮大に黒い液体をまき散らしていたと思うほど、体が大きく揺れた。

「痛いです……」

「わるいわるい。それよりお前って、前任の世話係知っているか?」

「亡くなったから僕に変わったと聞いていますが」

内緒話をするように先輩は身を寄せると、意味ありげな顔をした。

「あの子を殺そうとしたから始末されたって」

「……」

「その顔信じてねえな? そいつ俺の同期でさ、そいつが死ぬ前に他の同期に溢してたらしい。あの子がいるから人が死ぬ、あの子は化け物だ。だから早く俺が殺さなきゃなんねぇって、何かに憑りつかれたような顔で」

「そうですか」

「ん?反論しないのか。キヌカワってそういうの嫌いだろ」

「ノーコメントで」

「そうかい」

「もしかして今の忠告ですか」

「んー」

先輩は笑みを浮かべたまま首をかしげた。

「俺はあの子に会ったことがないから、なにもいえない。けどまぁ、お前に死んで欲しくないってのは本音」

「……これからなにか起こるんですか」

「ノーコメントで」

先輩は僕を真似るようにそういうと、腕時計に視線を落とし「時間だ」と立ち上がった。

「あの子って美人?」

「会ったことなくても、顔は知ってますよね」

「ほんっとお前は真面目だな。こういう時は美人ですって答えるもんだぜ?」

じゃあな。とミネウラ先輩は手を振り去っていた。

入れ替わるように白衣姿の女性がこちらに歩いているのが見えた。目が合うと眉を寄せ、その女性は足早に近づいてきた。

「具合でも悪いんですか?」

「大丈夫です」

女性はネギシ先生だった。フレームの細い眼鏡を押し上げた。

「そうですか……ミネウラさんと何かお話なさっていたのですか?」

「再検査の話を」

「ああ、またですか……」

「ええまあ」

曖昧に頷く。

睨んでいるわけではないだろうが、ネギシ先生は鋭い目つきをしている。美人なのだが、心配している時の表情が一番怖かったりする。なので、今は心配させているということだ。

「休まれたらどうですか?」

「え、有給ってことですか?」

「ええ……」

肯定したネギシ先生は何かに思い当たったのか、すぐに首を振った。

「事情を知っていながら無神経なことを言ってしまいましたね。すみません」

「大丈夫ですよ」

「あの子を数日預かりましょうか?」

「そういうことって出来るんですか?」

ルイに規則正しい生活を送る規則がある。主任のネギシ先生が知らないはずがない。

「日常の変化が、あの子に与える影響を知る機会にもなりますし、いつかは“外”に実地研修させるつもりですよ。まあ、頭の固い上の人達が許可をくれるとは到底思いませんけど」

上層部の一員でもあるネギシ先生は、他の上層部の人たちを毛嫌いしているらしく、よく悪態をついている。僕もあまり好きではない。

「決めるのはあなたですので、いつでも言ってください」

忙しいのに立ち止まって話をしてくれるあたり、他の上層部の人達と明らかに違う。

ネギシ先生は白衣を翻し、きっと行先はラボだろう。ヒールの音をさせながら去って行った。

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