第一章 周回勇者の異世界考察

 鳴神隼人は都内の高校に通う学生である。


 もう三年生、しかも最後の夏休み前だというのにも拘わらず、全くもって勉学に勤しまない彼は今日も授業を寝て過ごし、帰宅後に訪れる激戦に備えて睡眠を貯蓄して来た。


 若者に有るまじき枯れた精神から来る面倒くさがり屋で、髪も黒髪のまま適当に伸ばし、後ろで適当にヘアゴムで止めている。太ってこそいないが中肉中背を絵に書いた体型で、運動部とも縁がない。


 そんな彼が唯一の趣味としているのが―――。


「よっしゃよっしゃ、ダウンロード終わってる」


 ゲームである。


 割りと雑食で、ネトゲからソシャゲ、コンシューマー、はてまたアダルトゲームからTRPGやボードゲームととにかくゲームであれば何でも良いとばかりに飛び付いてきた。


 今日も目についたゲームを登校前にダウンロードだけ指示しておいたのだ。そして学校でしっかり六時間は睡眠を取って、帰って来たので心ゆくまで遊び倒す所存だった。


「さぁてと、まずは飯食って………」


 腹が減っては戦はできぬと言うし、まずは食事の準備をしようと台所へ向かったその時だった。


「―――あ?」


 彼の足元に、紫色に輝く光の魔法陣が展開した。


「おいコラちょっと待て………!」


 その理由とこれから起こる事象に対し彼は嘆く。


「またかよ………!」




 ●




「っ………!」


 ふと気がつくと、鳴神は白い空間にいた。ともすれば上下左右すらあやふやになるような、霧のように霞みがかった白い空間だ。彼にとっては馴染みのある、よく知った場所であった。


「あ、目覚めましたか?」


 振り返ると桃色の長髪の女性―――リフィールが鳴神を見つめていた。


「ここは………」

「ここは天界です。私は初級限定神のリフィール。貴方は私が呼び出して―――って、何処行くんですか!?」


 そんな説明を無視して背を向ける鳴神に、リフィールは思わず声を大にして呼び止めた。しかし鳴神は胡乱げに振り返って。


「何って、帰るんだよ。取り敢えず爺さんぶん殴れば帰してくれるだろ」

「いきなりバイオレンス!?爺さんって誰ですか!?敬老精神は何処へ!?」

「最高管理神だよ。あの爺さん俺が殴ったぐらいじゃコリが取れていいってマッサージ感覚だから別に非道な行いじゃないだろ?」

「ヤバいこの人会話が成り立っているようで成り立ってない!」

「いやどうでもいいし」

「ちょ、ちょっと待って下さい!話を、話を聞いてください!」


 適当に会話を切り上げてずんずん歩き始める鳴神にリフィールはしがみついてズルズル引きづられながら嘆願した。


「何だよもう。俺は帰ってゲームやりたいの。早くしてくんない?」

「な、何だろう。なんで私怒られてるんだろう。初級で限定だけど管理神なのに………」


 そのお願いが通じたのか、鳴神は面倒くさそうに先を促したが、リフィールはどうにも釈然としないままであった。


「で、何?」

「え、えっと。コホン。実はですね。私が管理している世界の魔王が………」

「邪神化したので何度か世界救ってる帰還勇者に救ってくれとか言うならパス」

「な、なんで分かるんですか!?読心術!?」


 驚愕するリフィールに、鳴神はそんなこったろうと思ったと嘆息すると。


「お前ら管理神がわざわざ帰還勇者を呼び出す理由なんかそれしかないだろうが。こちとら10回は異世界救ってるんだ。いい加減慣れるわ」

「慣れるんだ………」

「じゃ、そういうことで」

「ま、待って待って待ってー!行かないでー!私を捨てないでー!!」


 しゅたっと手を上げて去ろうとする彼にリフィールは再度子泣き爺のごとくしがみついて引き止めた。


「人聞きの悪い事言うなよ。管理神ならちょっとは威厳のある所見せろって、な?」

「あ、意外に優しい?」

「頑張れ頑張れできるできる絶対できる頑張れもっとやれるってやれる気持ちの問題だ頑張れ頑張れそこだ!そこで諦めるな絶対に頑張れ積極的にポジティブに頑張る頑張る蟻ん子だって頑張ってるんだから!」

「あ、コレ応援するふりで適当にあしらってるヤツ」

「チッ」

「舌打ち!?この人神に舌打ちしましたよ!?」

「あー、もう何だよ。大体なんだよ、わざわざ俺じゃなくても他にも帰還勇者はいるだろう?」

「えっと、先輩からの紹介でして」

「先輩?」


 鳴神は一瞬きょとんとした顔をしたが、何か思い当たる節でもあったのか顔をしかめた後で深く吐息して先を促した。


「で、何?」

「お話、聞いてくれるんですか?」

「聞くだけな」

「え、えっとですね!」


 説得するにはここしかねぇ、とばかりにリフィールは事情をまくし立てた。


 魔王が邪神化したこと。神としての権能を使って手を尽くしたがどうにもならなかったこと。最後の望みで先輩女神に話したら鳴神を紹介されたこと。鳴神ならば邪神を倒せると聞いたこと。


「成程。それで邪神を倒してほしいと」

「はい。それで」

「だが断る」

「何で!?」

「そりゃそうだろうが。それってつまり、お前の不手際だろ?毎回毎回思うが、部下でも何でも無い俺が何で尻拭いしなきゃならんのだ」

「そ、それはそうですけど………!そ、そうだ報酬!タダではないですよ!?豪華報酬が色々付きます!」

「例えば?」

「チートなスキルです!」

「自前のがあるからもういいよ」

「えっとえっと、世界救ったら王様になれるかも!?」

「為政者とか超面倒じゃん」

「お金持ちになって世界を買おう!」

「異世界にゲーム無いしなぁ………」

「世界救ったらモテモテでハーレムが………!」

「よしいいか?お前に説教すべきことが出来た。座れ」

「え?」

「座れ」

「あ、はい」


 何だか急に威圧感が増して、リフィールはその場に座った。何故か正座で。


 それを満足気に見た鳴神は、淡々と彼女に尋ねる。


「お前さ、異世界がさも良い所のように言うけれど、行ったことはあんの?」

「あ、ありますよ!社会科見学で!」

「因みに今回の世界の文明レベルは?」

「えっと、中世ぐらいで、貴方の世界で言うならヨーロッパぽくって………」

「暮らしたことある?」

「ない、ですけど………」


 そうだよな神だから無いよな、と鳴神はうんうんと頷いた後でこう続けた。


「いいか?俺が暮らしている世界の文明レベルに慣れているとな、中世ヨーロッパぐらいの文明レベルはな、割と地獄だぞ」

「え?」

「何を先にしてもまず衛生面。マジで最悪。トイレなんぞ立ちション野糞が基本だし、トイレットペーパーなんて上等なモン無いから葉っぱやら藁やらでケツを拭く。水が貴重だから、その後手も洗えない」

「やだ下品」

「風呂だって入れない。贅沢品だからな。だから身体を濡れ布なんかで拭くのがデフォで、汚れは当然疲れも取れない。気候次第だが、多湿の所だとどいつもこいつも体臭がキツイ」

「それは………嫌ですね………」

「俺もな。最初の時は浮かれポンチになってたんだが」

「浮かれポンチ」

「そうだ浮かれポンチだ。よっしゃ異世界転生だー無双だーハーレムだーってさ。今から見たらバカジャネーノとぶん殴りたくなるが」


 鳴神は遠い目をして語りだす。


 最初の世界で、着の身着のまま草原に放り出された彼は託されたスキルを確かめた後、鼻歌を歌いながら第一現地人と出会う。


「野盗に襲われている美少女と出会ってな。運命的な出会いだよ。賊を退治してムフフな展開があるかなと夢と股間を膨らませて助けてみるとだな」

「セクハラ!セクハラですよ!?」

「うっせーバカ。俺がセクハラ野郎だって言うならお前は拉致事件実行者じゃねぇか」


 痛烈なツッコミにリフィールは目を逸して口笛を吹いた。


 周回勇者は大きくため息を付いて、かく語る。


「―――臭いんだよ。美少女が」

「えっと………?」

「風呂に入れなくてもな、人間の生命活動は止まらないわけだ。動けば汗をかくし、垢だってたまる。ましてその子、行商人でな。旅をしている最中だった訳だ。当然、そんな状況でそうそう身奇麗になんか出来るわけねーよな?」

「あー………」


 つまり数日、あるいは一週間単位で水浴びすら出来なかったのかもしれない。


 例え見てくれが美少女でも、異臭を放っていたら―――後は言わずもがなである。少なくとも、鳴神は特殊な性癖は持っていなかったのでそのスメルがご褒美とは思えなかったのだ。


「その時は偶々だ、と思ったんだ。だけど、な?」


 行く先々の街や村、異世界の様々な文化に触れた鳴神はこう結論した。


「異世界人は日本人と衛生観念が乖離しすぎててちょっと………」

「か、環境を変えれば良いんですよ!知識チートです!」

「お前、俺の住んでる世界を見たことは?」

「ありますけど。何なら行ったことありますけど日本」

「世界中の衛生観念が最高水準で一律だと思う?」

「えっと………?」

「別に馬鹿にする訳じゃないけどな、日本を一歩でも外に出ると色々雑で汚いと実感するぞ。それを文化の違いだと受け入れられる度量があるなら良いが、俺は無いな。所詮引き籠もりの小物だから。だから海外旅行とかマジ勘弁。修学旅行で外国行ったが、もう二度と行きたくない。同じ世界でさえそれだ。異世界の環境を変えようと思えばそれこそ数十年掛かりになるだろう。俺は嫌だ。少なくともそんな根気無いし義理もないわ」


 日本の衛生環境は世界でも有数である。


 つまり、そこで生まれて育った鳴神にとって、それ以下の環境というのはとても耐え難いものだった。


「言っておくがコレはほんの一例だ。他にも道徳、言語、風習、慣例慣習に風土病―――諸々引っ括めたら、そりゃ今までの世界でいいやってなるだろうさ」

「夢!夢がないんですか!」

「その他でもない異世界に夢ぶっ壊されてきたんだが」


 鳴神とて最初は異世界に夢を見ていたのだ。まるで自分が物語の主役になったようだと。しかし、現実というのはかくも厳しいものだった。


「他の勇者達はきっと、今までの人生に絶望してて、新しい環境で一新してやり直したいって思ったから居残ることを選んだんだろうが、少なくとも俺や他の帰還勇者は元々そんな絶望なんかしてなくて、暮らしにくい異世界よりは慣れた現代日本でいいやと思って帰った訳だ。自前のスキルもあるし」


 今年高校3年生である鳴神がゲームにうつつを抜かしていられる理由がそれだ。


 異世界を周回することによって身に着けた超常の異能であるスキルは、鳴神の世界でも使える。であるならば、それを使って一儲けすればいいだけで、実際に小銭稼ぎはしているのだ。


 楽して食っていくだけの能力がすでにあるのならば、別に大学にまで行く必要性はないし、気楽なキャンパスライフをしたいなら真っ当に勉強しなくてもスキル使って受験すれば良い。


「で、既に何度も世界を救って、後はダラダラ余生を過ごすだけの勇者を引っ張り出して何をやらせようって?」

「そ、それは………」


 事ここに至ってアレ?これは不味いのでは………?とリフィールは手持ちの札が無いことに気づいた。と言うか、こちらが提示できる条件のほぼ全てを相手は持っているのだから交渉の余地がない。


「やっぱりこうなったか。全く、しょうがないねぇ………」


 手詰まった………!と脂汗をリフィールがだらだら流していると、彼女の後ろから先輩女神が現れた。


「げぇっ!クソ女神………!」

「せ、先輩!」


 それに対する反応は2つ。


 まるで関羽に慄く曹操のような声を上げる鳴神と、救いの女神のように崇めるリフィールだ。


「やぁ久しぶり隼人。また今回も頼むわね。ついでにアンタも行ってきな」

「え?」

「あ、こら待て!」


 先輩女神は手早く挨拶すると、指を軽く振って魔法陣を展開。


「いってらっしゃーい!」


 有無を言わさずに二人を異世界へと送り出した。

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