第2話

 その家は、目の前で見ると、改めてボロかった。

 ぶっちゃけ、お爺さんの代に建てたと言われる我が家の納屋の方が、築年数が浅そうだ。


 グレーの石とモルタルで組み立てられたその家は、とても小さく車一台留めたら一杯になるくらいの大きさだ。

 自家用車に軽トラ、耕運機にレタス収穫機械、それと収穫したレタスの段ボール詰めをしてもまだまだ余裕のある我が家の納屋とは比べ物にならない。


 私は思わずつぶやいた。


「人……住んでる……よね」


 私は声を出して改めて驚いた。これ、何語?

 頭の中では確かに日本語でしゃべっている気がするのに、発したそれは日本語とは程遠い。なにより語順が日本語の正反対だ。


 気持ちわるぅ! 異世界、気持ちわるぅ!!


 ひゅーーーーーーーーー。


 って、だめだだめだ。そんなこと考えている暇は無い。このままでは寒さでおかしくなってしまう。

 周囲の落葉樹は葉を落とし、見上げる空は気が滅入るような灰色の曇天どんてんだ。

 季節は冬の終わりなのだろう。北風が肌着だけの身体に容赦なく突き刺さる。


 とりあえず、このままでは死んでしまう。

 私は急いで古びた木製のドアを叩いた。


 ドンドンドン!!


「すみません! だれかいませんか!!

 (えーっと……そうだ……)道に迷ってしまって!!」


 誰か居てくれ!

 私はありったけのチカラを込めてドアを叩いた。


 すると、家の奥からガタガタと物音がしてドアが開いた。

 そしてその家主の返事は予想外の言葉だった。


「ナスカ! なに馬鹿なこと言ってるのよ!!

 道に迷った? 自分の家に戻ってきたら『ただいま』でしょう!!」


 私の事をナスカと呼んだその女性は、(中年だったころの)私よりも一回り下くらい、三十代後半の女性だった。

 そばかすだらけのその顔は、私と似ている。

 明らかに肉親だ。母親と考えて間違いない。


「ちょっと? あんた! なんでずぶ濡れなの?」

「あ……その、えっと……ちょっと考え事してたら川に落っこちちゃって」

「なんだい、まだあの紙束を売るのに未練があるのかい? 紙なんてここじゃ腹の足しになんてなりゃしないよ!!」

「え……紙??」

「はぁ……中央の大学で写本した紙を売れば金になるって言ったのはあんたでしょう!! もう、小麦粉もつきかけてるんだよ! さっさと売っぱらいな!!

 ああ、その前に早く暖炉にあたるんだね! 風邪をひかれちゃたまったもんじゃない!!」



 写本の紙束を……売る?

 なんだか事態が読み込めないが、とりあえず、服をすべて脱ぎ去ると、手渡されたシーツに身体をくるんで言われるがまま暖炉で温まる。


「はぁ……あの人は本当に馬鹿だよ。

 あんたの学習意欲を買って大学に行かせるために寝る間を惜しんで狩りをして、そのままおっ死んでしまうんだもの。

 おかげで手元には何ものこっちゃいない!

 残ったのはなんだかよくわからない紙束と、家事もろくにできない娘ひとりときたもんだ……あ、肌着はそこおいとくから、服は自分で干したら食事にするわよ!」


 母さんは、ぶつくさ言いつつも、てきぱきと配膳をすます。

 と言っても、固そうなバンをナイフでちぎって、暖炉にかけてあるスープらしきものをよそっただけだけど。


 ……とにかく。


「主よ、今日の糧に感謝いたします」

「感謝いたします」


 私は見様見真似で母さんの祈りのしぐさの真似をして、見様見真似で食事をすすめる。


 カブとカブの葉と茎が入ったスープは、とてもとても薄味で、よくよく味わうと、その向こう側にほのかにベーコンのような塩気を感じる……ような気がする。でも、スープの中には肉片らしきものはどこにも見当たらない。

 パンは固くとても酸っぱく、そしてこれでもかと口の中の水分をうばいとる。


 私は、母さんにならってスープにパンを浸しながら口に運ぶ。

 なるほど。スープにひたすと幾分か酸味が抑えられる。


 これが、この世界の一般的な食生活なのだろうか……いや、母さんの愚痴を聞く限り、家はかなり貧乏な気がする。そしてその貧乏のなか、父さんは私を中央の大学とやらに通わせてくれていたらしい。


「はぁ……こんなことなら、早いとこナスカに婿をめとらせて、猟師を継がせるんだった……」


 私は、だまって母さんの愚痴を聞きながら、もそもそと食事をした。


「ごちそうさま」


 私は食器をかたずけると、相も変わらず愚痴を言い続けている母さんに気になったことを聞いてみた。


「あの……私が売ろうとしてた紙束ってどこにあるの?」

「はあ? 何を言ってるんだいこの子は?

 川に落ちたついでに頭まで打ったのかい??」


 母さんは、ぶつくさ言いながら、だけど私に乾いた服を手渡してくれると、そのまま粗末なベッドにうずたかく積まれた紙束を指さした。 

 私は、紙束を一枚とって眺める。


「あ……これ、羊皮紙だ」


 なるほど、私はナスカが言ったことを理解した。

 確かに、羊皮紙に需要がある世界となれば、紙は削いで再利用が常識だ。

 売ればお金になるかもしれない。でも……。


 私はなぜだか読めるそのアルファベットに近い横文字を読んで納得した。

 うん。確かにこれはお金になる。


 これ、この国の歴史と政治について書いてある。しかもかなり詳しい。ナスカ、かなりの博学だ。

 多分だけどこれ、再利用するより製本して売った方が価値がある。

(どの文献に価値があるのかは、もう少しこの世界のことを学ぶ必要があるけれど)


「母さん、食料はいつまで持つの?」

「小麦粉ならあと二週間は持つわよ。ただパン屋に手間賃を渡すのが惜しい。しばらくはで我慢するんだね」

「わかった。だったら、紙を売るのはもう少しだけ待ってくれない? 売る紙を厳選したいから」

「ああ、構わないよ。にしたって、紙に良し悪しなんてあるのかね? ま、字が読めない私が聞いた所でしょうがないがね」

「……ありがとう」


 私は母への感謝とともに、ナスカに感謝した。この世界で生き抜く知恵、そうしてを残してくれたんだから。

 そして、ナスカを大学に行かしてくれた父親に感謝した。顔も知らない人だけど。


 それから一週間、家事を手伝いながら、ナスカの遺した羊皮紙を読みふけった。母さんは、


「あら、あんたいつのまに料理なんてできるようになったんだい?」


 と驚かれたけど、私が作ったのは、小麦粉を練ってつくったすいとんと、畑に遭った株を引っこ抜いてきて洗ってナイフで刻んだだけだ。


 ナスカ、オッサンの私より家事ができないなんて……いや、それだけ勉強熱心だったってことだよね。


 私はナスカの残した紙を読み進めた。そしてその中の一枚に驚愕した。


 それは、預言書だった。


 いや、正確には気象予報だ。ナスカは大学で天文学、並びに気象学を専攻していたようだ。そしてその観測の結果、むこう数年間、この地域で歴史的寒波が訪れると記されてあった。しかもその寒波で、麦が壊滅的打撃を受けるとある。


 そして、その預言書の最後の一文には、もっととんでもないことが書かれてあった。


『農業の神にこの身をささげ、救世主に飢饉を救ってもらおう』

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