第109話 赤い糸は結ばれる
アンバーリッター連隊の参謀であるオリオンは崩落したモノリスの塔へと急いでいた。
矢を射た後で、ルナアルテミスがふいに走りだしたからだ。オリオンがこれを追いかけてみれば、ルナアルテミスから歯切れの悪い返事がある。
「手応えがあった」
それはオリオンも見ていた通りのことで、ルナアルテミスは遠いモノリスの塔で怪物を操っていた敵を射たはずだった。
「わかっている。お前がこの距離を外すとは考えられない。何か他に気になることでもあったか?」
オリオンは自分の目では見えないところでルナアルテミスを走らせた事件があったことを察した。気になるのはその内容だ。
「あの手応えは、敵ではない」
「敵じゃないってことは味方だったか? やっちまったな」
「人違いだ」
ルナアルテミスは道を遮っていた瓦礫の山を右から周り込んでいく。
「おい、そっちは――」
オリオンは思わず手を伸ばしていた。彼女が行こうとしている場所は間違いなくモノリスの塔があった場所だろう。だが、そこに行ったところで何の意味があるのか。
「人違いだったんだろう?」
オリオンはルナアルテミスを止めるつもりだった。
「間違いだ」
彼女は矢を射た後でそう呟いた。「あの弦の震え、風が囁いた」それが彼女に真実を教えたと言う。
「気にするな、こんな状況だ。それよりも残っている怪物を処理するほうが先だ」
「塔の上に居た者は、怪物を操っていたのではない。暴れる怪物をなだめようとしていた」
「それがわかったからと言って、いまさらどうしようもない」
「だとしたら、私が射たのは誰だ?」
ルナアルテミスは険しい顔をしていた。「あれは私の間違いだった。そして死んだ。間違いで死んだのに、その理由を知らないままでは相手もいたたまれないだろう」それが懸念だと彼女は言う。
「こんな場所で納得して死んでいく奴なんかいない。相手が納得できないからって気を遣う必要があったか。それに、間違って殺しましたって出て行く奴がいるか?」
「黙っているのは気分が悪いんだ」
ルナアルテミスはそれを言うと瓦礫の山を飛び越えていた。火のくすぶる街の中を駆け抜けた。
「おい待ってくれ。今出て行くと、収拾がつかなくなる。向こうに仲間が居れば、そいつらはきっと俺たちのことを恨んでいるだろう。こういうのは、手順を踏む必要がある」
オリオンは叫んだ。
間違って殺したと告白したところで、納得するのはルナアルテミスくらいなもので、殺された者の友人たちはその結果に納得できるだろうか。友人が殺されてそんな顔ができる人間をオリオンは知らない。
だからこそ、ルナアルテミスを止めなければならなかった。
「お互い間違いだってある。話をするのはいいが、それは落ち着いてからだ。俺に任せろ。交渉は俺がやる」
オリオンはルナアルテミスの背中に叫んでいた。
「その交渉はいつのことだ。このまま、私に黙っていろと言うのか」
ルナアルテミスは燃えさかる炎を踏みながら一度だけ振り返ってくれた。これは参謀であるオリオンに配慮してのことだろう。だが彼女自身が決断を変えることはない。彼女の目がそう言っていた。
「話すには時と場所を選ぶ必要がある」
「死者に時間はない」
「死んでいるなら、どっちみち話をしても無駄だしなくてもいい戦闘をするはめになる。俺たちは怪物を狩りに来ているんだ。地元の連中と戦いに来ているわけじゃない」
「話した後で殺し合いになるなら、そうなってもいい」
彼女は背中で語った。罪のない者を一方的に殺して知らない顔をする。それだけは彼女のプライドが許さないのだろう。
「殺し合いは困る」
「お互いが理由を知って殺し合うのなら、私が勝つ」
「そうじゃない。お前が戦えば、相手を皆殺しにするしかなくなると言っている。俺からすれば、死者から利益を得ることが難しくなる。生かしておいてもらったほうが何かと利用できていいと言いたい」
「まだ殺し合いになると決まったわけじゃないだろう」
「ったく……」
オリオンは頭を抱えることになった。
彼女は、その時はそうするだけだ。
ルナアルテミスは怒りの形相で見返してくる相手を殺すだろう。
殺し尽くすだろう。
「ちょっと待て、俺は連隊参謀だぞ。俺の言うことくらい聞いてくれ」
それを言った時には、もうルナアルテミスの姿は視界にはなかった。だからこれはオリオンの独り言にしかならなかった。
オリオンは足を止めて、焼け跡に立つ。風に乗って火の粉が舞い落ちてくる酷い世界の匂いを嗅げば、首筋が縮む思いがする。だが連隊制服の襟を立てれば少しは姿勢が正せた。
「まったく酷い世の中だ」
ため息しかでなかった。
改めてオリオンは思う。
見渡す限りが破壊されて、焼かれた世界。この何処に助けるべき民がいるだろう。頑張って生き残った民が居たとしても、それはモノリスの塔周辺に集まっている彼らだけかもしれない。今頃ルナアルテミスと戦争になって、オリオンが合流したときにはやはり一人もいなくなっていることが予想された。
これでは次の吐息も自然にため息に変わるばかりだった。
いつの間にかモノリスの塔が見えなくなっていたが、場所を間違えるオリオンではない。地形は把握していた。
だから崩れた石が転がるその場所に辿り着けば、オリオンは慎重になった。
トラブルを危惧するからだ。
オリオンが大粒の砂利を踏むと、それがオリオンの足元で滑って別の砂利に埋まり込み音が鳴る。家屋が焼ける音は四方から聞こえてくるが、それらは戦闘の騒ぎと比べると静かなものだった。この感覚がオリオンの足を鈍くさせていた。
「やけに静かだな」
と思うのは、同時に次の不安にもなる。「この場所に集まっていた怪物どもはどこだ? そいつらが襲っていた人間がいたはずだが、みんな怪物にやられたか。まさか連隊長が片づけたわけじゃないだろうな」最悪の事態は、「誰かが敵となって俺たちから隠れているとしたら、面倒くさいことになる」そんな状況。
結局のところ、考察はここまでだった。
半壊したモノリスの塔を周り込んだところで、ルナアルテミスの姿を見ればそれがひとつの英雄譚の終わりだった。
「なんとか間に合ってよかった。というべきか?」
オリオンは彼女が見る景色の中に人間の死体がないことを確認した。人間同士のトラブルには発展していないらしい。
そして彼女を見れば、ルナアルテミスは身長ほどある剣を引きずったまま立ち尽くしていただけ。
彼女の目の前にあるのは、巨大な人間のようだったが頭が牛となった怪物の死骸だ。
「やったのか?」
ここから推測できることはひとつだが、オリオンは死骸を観察して次の考察に至る。
「こいつはお前がやったわけじゃないな。お前がやればもっと潰れたような傷ができる。だが致命傷になっただろうこの傷は雷にでも割かれたような鋭利な傷。お前の太刀筋じゃない」
これだけの怪物を倒した別の剣士がさっきまでここに居たということだ。「よく見りゃ、ここら周辺に怪物の死骸がわんさかあるな」怪物の死骸の周囲には潰れた剣や盾、折れた槍も多く見られた。これは相当な数の戦士たちが居たという証拠だろう。
だからこそ、ルナアルテミスは追いかけなかったのかもしれない。
「これ以上はやめてくれ」
オリオンは念を押していた。
いや、彼女が動かなかったのは、せめて彼女が間違って殺した誰かを弔うためだったのかもしれない。
オリオンは動かない彼女の足元に小さな墓があるのを見てとった。
石を立てただけの粗末のもので灰を被った状態だが、パンや水が供えてあれば誰にでもそれとわかるものだ。
だからオリオンは言葉を言い換えた。
「気が済むまで話はできたか?」
死者と話なんてできるはずもないが、ルナアルテミスの気は済んだだろうか。
彼女は墓から目を逸らす時にひとこと呟いただけ。それはアリアドネへの最後のひとことだった。
「先に眠っていろ。どのみちここから先、眠るのが早いか遅いかの違いがあるだけだ」
戦争の時代を予感させる言葉だった。
オリオンにもまた同じ予感があった。
「俺はその墓の下で眠る奴よりも、これを作った奴に興味がある。この時代にこんな状況で、のんきに墓なんて作るなんて酔狂な奴がいたもんだ。感心するね」
「そいつらのことだが、並の剣士じゃない」
「怪物の残骸を見れば、相手の実力くらいはわかる」
「こんなことが出来る連中がヒルデダイトの外にいると聞いたことがないが、一体誰だ?」
「気になるのは俺も同じだ。わかっている。だが今は追うな。それは今じゃない。相手もそういうつもりなんじゃないか? 俺たちが来る前に墓だけを残して退散してしまっている。今日のところは死者を弔うためにお互いに沈黙が必要だということだろう。少なくとも俺にはそう感じられるし、彼らに同意したい」
そしてオリオンは腕を組んで墓を睨んだ。
「誰が怪物を倒したかなんて後になれば判る」
だから焦る必要はないと思った。
「なぜ判る? お前には相手が見えているのか」
ルナアルテミスは次の狩りの獲物でも探しているような目つきだった。彼女はどんな時代でもどのような状況でも同じ目をする。それは時代を超えて語り継がれる神の目だったか。
「見なくてもこの状況だ。墓を作った奴と怪物を葬った奴は同一人物だろうさ。犯人って奴は、犯行に特徴を残すものさ」
オリオンはただひとつのことを指摘していた。
「犯行とはこの鋭利な切り口のことか?」
「俺が気になるのはむしろこっちだな――」
それをルナアルテミスは血の臭いの中で聞いただろう。
彼女の表情は変わらない。
墓の前でルナアルテミスの思うことがあるとすれば、
「ここから先は永遠の迷宮と言う名の地獄だ」ということだ。
だから、彼女はアリアドネに許せとは言わない。
「ならば問おう」
オリオンは風を肩で切るようにして続けた。
誰が怪物を倒したかを詮索してもいいが、
こういう言い方もできる。
「誰が赤い糸を結んだんだ? この墓に結びつけてある赤い糸だ。俺たちはこの赤い糸を現場に残した犯人を探せばいい。どうせ探すなら、こっちのほうがロマンチックじゃないか」
墓には赤い糸が結びつけてあった。
それは縁結びの神の仕業か。
オリオンはそんなふうに思って、
もう一度だけ、
風にそよぐ赤い糸を見た。
それは遠き昔のこと。ルナアルテミスがアリアドネを殺してしまった神話の結末だった。
彼らが赤い糸を手繰る時に出会うのは、はたして人間だろうか。オリオンにはそれが神か悪魔に思えて仕方なかった。これが運命ならば、彼らの出会いは誰にも止められないことだろう。
ため息ひとつ。
オリオンは最後に空を仰いだ。
「アリアドネの赤い糸」おわり
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