第101話 塔の上のふたり

 二人の戦士が塔の上で対峙した。


 その少し前からナタには胸騒ぎがあった。

 その時、ナタはヒルズパリスを待ち構えていた。一応は、「ヘレネブリュンと騎士団長を返せ」と交渉してみるつもりだが、相手の態度次第では逃げられる前にシェズと申し合わせて、その相手を捕まえてしまう算段だ。ナタはボロを纏いその下に剣を持つ。すでの準備が出来ていた。

 ヒルズパリスを捕まえれば、ヘレネブリュンを取り返す好機となるだろう。


 だが、

「誰かヒルズパリスを見たか?」

 強引に入ってくる白薔薇騎士団にナタは戸惑っていた。

「油断した。あいつらラズライトアトリーズの奴らじゃない。あのニスティアトロイスって奴がいい奴だったから、てっきりあいつの仲間かと思って……」

 これがシェズの言い訳だが、それはナタも同じだ。

「どういうつもりだ?」

 何が起きたのかが問題だった。


「火の手があがってり。いいから逃げりゃり」

 とは、リッリだ。すたこらさっさとモノリスの塔を出て行くのは黒い煙が充満し始めたからだった。「あの騎士団がそこら中に放火していりゃ」というのがリッリの説明だった。

 そしてナタは、外に出たところでラズライトアトリーズの背後に隠れるように陣取る白薔薇騎士団を見た。

 モノリスの塔の裏側からも火の手があがっており、煙が風にのってナタに煤をなすりつけていく。

 この状況下でヒルズパリスを捕まることが可能だろうか。


「やられたな」

 ナタはしばらくその火の煽られる場所に立ち尽くした。


 この事件はラズライトアトリーズにとっても予期しないものだっただろう。

「僕たちを利用したか」

 そんな声がラズライトアトリーズのほうからあがっていた。

 犯人はヒルズパリスだ。彼はラズライトアトリーズの交渉に紛れて、勝手に事件を起こして去って行く。これではラズライトアトリーズの信用も損なわれるだろう。神殿騎士たちと交渉した手前で、この話をどう収束させるか、それもラズライトアトリーズにとっては悩ましい問題になる。

 敵が同じ貴族同盟軍であることが話をややこしくしていた。


 ナタはそして振り返った。

 ラズライトアトリーズの騎士と言えば、もうひとり居る。階段をあがっていったあの優しい騎士は無事だろうか。

 塔の屋上にも煙が立ちこめていた。


 その屋上にて、


「おい」

 ふいに呼ばれて、ニスティアトロイスは振り返る。

 それは運命の神の悪戯だったか。


「お前が燃やすことを命令したのか?」

 すでに何人か斬ったのだろう、汚れた剣を持った大男が一人。階段を上ってきた。その瞳に映る男こそ犯人だと言わんばかりだった。

「違う」

「てめえら貴族同盟軍って奴だよな? 俺が欺されると思うか」

「それは……」

 とニスティアトロイスは言うが、貴族連合軍からしてみれば、敵はみな等しく同じ貴族同盟軍だろう。だが、「違う、僕たちは……」ラズライトアトリーズと白薔薇騎士団は同じではない。これを説明すれば相手は理解できただろうか。


「違わないね。お前ら貴族同盟って奴は、口を開くと嘘ばかりつく。聞いたぜ、杖を探しに来たんだってな。だが、これのどこが杖を探しているってんだ。よおくわかったよ」

 階段を上がってきたのはアキという男だ。外から彼の友人が叫ぶ声でその名前が明らかだった。「アキ、無理はするな。焼かれて死ぬ前にあきらめろ」というのがそれだ。これに対して、アキは「うっせーよ」と怒鳴り返していた。

 どのみちアキに睨みつけられているニスティアトロイスは動けない。


「これは、僕たちも知らないことだ――」

 ニスティアトロイスは疑いを晴らす方法を考える。

「あんた、若いが貴族だろ。育ちの良さが顔にでてるぜ」

 アキが剣を構え、さらに近づいた。その剣から滴る血を見れば、どんな言い訳も通用しないことがわかる。彼の前に立つ者が死ぬのに理由などいらないのだろう。


 自衛のために、ニスティアトロイスも剣を抜かなければならなかった。


「いいねえ」

 アキは言った。


「っ——」

 同時に来た。

 ニスティアトロイスの受ける剣が衝撃を伴って火花を散らした。弾き返す斬撃はアキの渾身の振りだ。

 一般の兵士なら吹き飛ぶような力で叩きつけられるが、ニスティアトロイスは綺麗に捌いた。相手の剣の威力を殺して右に流す。毎日の鍛錬がものを言う展開だった。


 これでもニスティアトロイスは最強と噂高い騎士ニスティアヘクタと剣を競ってきた戦士だ。体格差は勝敗を左右しないし、腕力の差もニスティアトロイスにとっては不利にはならない。

 そうならない剣の技を身につけたからこそ、ニスティアトロイスは兄と並ぶ剣士としてラズライトアトリーズの一員を担っている。


「勝負がつかねえ」

 アキが愚痴を言ったのは、一〇回ほど剣を交えた後だった。斬ろうとしても躱される。そればかりか、ニスティアトロイスを一瞬見失う状況が続いていた。

 剣を振るときに上手く死角に入られている。剣の影、肩に隠れて見えない場所——。

 アキが出した結論は、この戦士、

「ちょこまかと動かれちゃたまったもんじゃねえや」と言ったところだ。だがアキはここで諦めるような並の剣士ではなかった。


 さて、

「ここをどこだと思う?」

 アキは空を仰ぎ見た。両手を広げて、想像してみろと催促する。「気分を盛り上げようぜ」というのがアキの十八番だ。

 ニスティアトロイスが黙っていると、アキレスミハイルは続けて言った。

「海だ」と。


「ここは、大海原で、俺たちは船に乗っている。嵐の夜だと思え」

 実際には塔の上。

 それでもアキが言うと、そこに居るニスティアトロイスにはなぜか海のような気がしてくる。

「違う」と言おうとしても、声を被せてくるアキの声が重い。


「甲板は狭いぜ。足を踏みはずせば、海に真っ逆さまだ。大波が船の横面を殴打してきやがる。ひっくり返るんじゃないかってくらい、ほら。また傾いたぜ。そうそう、こういう場所がいいんだ。真剣勝負だからな。決闘の場としてはおあつらえ向きだろうぜ」

 この時代に、英雄と後の世界に名を馳せた男が二人いる。戦場を無人の野を行くがごとく駆け回った騎士をアキと言い、役職名を載せてアキレウスと言う。これは時代の寵児であろうか。


 そんな英雄を相手に、ニスティアトロイスは剣を握り直した。

「面白いですね」

 そんな声が出た。これは船の上だとしても負けるきはないということだ。


「どこからでもかかってきな。なんならこっちから行くぜ?」

 アキにそう言われて、ニスティアトロイスは剣を真横に伸ばした。

 先手を取らなければこの相手には勝てない。

 それを痛感したからこそニスティアトロイスは前に出た。


「なんだそりゃ。見たことのない剣の構えだ」

 アキに言わせれば、それは不思議な間合いの剣だった。

 そして間一髪身体が反射的に動いていなければ、腕が落ちたであろう斬撃があってアキは驚いた。「危ねえ」とは簡単に言うが、

「そんな簡単によけます?」

 それがニスティアトロイスの感想になる。


「さっきから幻みたいなものが見える。俺には幽霊でも見えてんのか?」

 アキのほうでも敵を賞賛していた。

 普通は間合いを詰め、武器が届く範囲でこそ剣を振るものだ。だが、ニスティアトロイスの剣は当たらないと思うところから斬りかかる。

 当たるはずがないと思う瞬間、間合いが消え、その剣はアキを切り裂く間合いにある。つまり剣を振ってから間合いを詰めてくる。そんな常識はずれな動きだった。


 まるで幽霊のようだ。アキはそう思った。思う瞬間楽しくなった。


 ニスティアトロイスのほうでも、不思議に思うことがあった。完全に相手の思惑を越えたところから斬りかかっているはずなのに、アキはその目に剣が映った瞬間には動いている。常人なら見えていても動けないはずだった。


 どんな間合いの技も、出した後で対処される。

 しかもアキはそれで笑っていられるらしい。


「あんた強いぜ」

 アキが賞賛の言葉を贈れば、

「そっちこそ、やりますね」

 ニスティアトロイスも、彼を称えた。


 アキとニスティアトロイスはさらに一〇合は打ち合った。

 力で打ち出す剣と、いなす剣では、力比べにもならない。


 だが時代が英雄を呼ぶ声が勝敗を決したか。

 この時、ニスティアトロイスに不運があった。

「トロイス」

 叫んだのは、階段を駆け上がってきたハイネイアスだった。塔の上まで探しに来て、やっと仲間を探し当てたところだ。しかしそこにアキという敵の戦士もいる。


「おっと」

 反応はアキが早い。

 ニスティアトロイスの剣であっても離れた仲間を守ることはできなかった。アキの剣が突如として仲間を迎えに来たハイネイアスに向きを変えれば、訪れる結果は見えてしまう。動き出した処刑台に不意に上がりこんでしまったようなものだ。ハイネイアスという仲間思いの騎士の首が飛ぶのは一瞬だろう。

「駄目だっ」

 ニスティアトロイスは構えを捨てて、アキを追っていた。


 そうしなければ、仲間が殺されるのを眺めていることになる。「間に合え」と念じるようにニスティアトロイスは剣を伸ばす。


 そこが勝敗の分かれ道だった。

「と見せかけて――」

 振り返ったアキが肩を入れた。

 ニスティアトロイスはそれをまともに受けた。アキの剣が次の斬撃を用意している以上、それに対処する必要があった。だからこそ、肩をまともに受けていた。


 瞬間、ニスティアトロイスの足は宙に浮いた。


 ここが海原であったなら、つまりそれは、「海原へ落ちた」ということだ。


 必死になって船であるモノリスの塔にしがみつこうとするが、手は届かない。その下が海だというのは、この場合本当のことだった。

 ただし水ではなく火の海だ。


「トロイス?」

 ハイネイアスは、勝負の結果を目の当たりにして唖然とした。

 そこはモノリスの塔の上。

 塔の上から消えた人間がどうなるか。最悪の場面の想像してハイネイアスは声をあげただろう。

 ただアキの勝ち誇った声のほうがこの場合は場に残っていた。


「落ちたら終わりだろ。やけに強い奴だったが、これでも一応勝ったことにはなるのか。なんかそんな気は全然しないけどな」

 アキも呆気にとられていた。それがこの結末だった。 


 この時代に二人の英雄がいた。その男の名をアキと言う。運も実力も兼ね揃えたこの男に勝てる男などいただろうか。ニスティアトロイスの運命はアキを相手にした時点で決まっていたのかもしれない。

 ただし、その時代には二人の英雄がいた。

 そのアキの前に立ちはだかり、何度となく剣を交えた男もまた英雄と呼ばれる。ゆえに、英雄は二人だ。

 

「お前、トロイスを」

 ハイネイアスは震えた。それが武者震いか怯えかはわからない。ただ背後からの一声ですべては消えた。

「こいつは俺がやる。だから、ハイネイアス、弟を頼む。探してきてくれ。これくらいのことで死ぬような奴じゃない。ここは俺がやる。目の前の相手はお前では無理だ」

 階段を上がって来たのは、ニスティアヘクタだった。


 火に煽られる双角の青い影こそ、世界最強と噂された騎士であり、イーリア城を守る総大将と詠われるところの騎士。これをニスティアヘクタと言う。


「二人で同時にかかって来てもいいんだぜ?」

 丁度身体が温まってきたところだと、アキは答えた。

「黙れ」

 ニスティアヘクタの轟音を伴う剣の技がモノリスの塔を抉った。それを躱して、アキが横から殴るが、お互いに剣が交錯するだけだ。


「やるねぇ。さっきの奴とはまるで違ってまっすぐな剣だ。身体の底から恐怖がわいて来やがる。こんな楽しいことはねえ」

 嬉しくなってくるぜと、アキは笑っていた。


 ハイネイアスは見ていた。

 それが二人の最初の戦いになる。そしてこの結末はモノリスの塔を包み込む火によって遮られることになった。「団長、逃げてください。火がもうそこまで来ています。全員でトロイスを探しに行きましょう」それはハイネイアスの懇願だった。

 二人の騎士に決着はない。


 それは火に包まれたモノリスの塔での出来事だった。

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