第100話 世界貴族は宣言する

 シェズはいつでも戦えると意気込むが、騎士と眼が合った瞬間やる気がそがれた。ニスティアトロイスは御姫様相手に腰を曲げて姿勢を低くする、騎士の丁寧な挨拶だった。女性を攫うヒルズパリスとは正反対の好青年だ。

 こんなもてなしを受けて、

「とりあえず、スルーで」

 シェズは言った。


「あくまでも、戦うのは最後なりや」

 小声で赤頭巾のリッリもシェズを支持していた。


「こいつらを捕まえても意味ないよな?」

 オレシオが言うまでもなく、

「話がこじれるだけだよ」とピュロスでさえ理解している。


 だから、目の前にニスティアトロイスがやってきて、

「変わった人たちですね。旅人ですか?」と話しかけてくれば、

「俺たちはヒルズパリスという貴族を待っている。少々因縁ある。あんたが知り合いなら、呼んできてほしいんだ。アンドロメダ騎士団が呼んでいると言えばわかるはずだ」

 ナタはこう返すことになる。

 あくまで用事があるのはヒルズパリスのほうだった。


「どのような用事か聞いてもよろしいですか? それとも秘密にさないますか?」

 ニスティアトロイスにとってそれは放っておけない言葉だっただろう。自分の知らないところでトラブルが起きていて、そのトラブルが原因で背後から襲われるのなら、これはたまったものではない。

「あいつらに仲間が攫われている。スパルタの姫とアンドロメダ騎士団の団長だ。俺たちはあの人たちを取り返したい」

「攫われた? 決闘でもしましたか」

「先日地下迷宮に潜ってみたんだが、その時に協力してもらっていた。だがヒルズパリスって奴は途中で態度を変えて、強引に彼女を連れて行ったんだ。そこのパーンはその時に殺されかけて大怪我だ」

「なぜヒルズパリス様が態度を変えられたのです?」

「あいつらは欲しいものはどんな手を使っても手にいれたいだけだろ。迷宮に目当ての宝ないとわかった途端に、標的を女に替えたように見えた」

「なるほど」

「あいつと話し合いが出来るとは思っていないが、一度くらいは話をさせてくれ」

 それがナタの要求だった。


「確かに、ヒルズパリス様がとても美しい客人を迎えられたと聞きました。あれがスパルタの御姫様でしたか。噂では僕も聞いています。あの姫は数多くの求婚をされる絶世の美女だと」

 ニスティアトロイスはそうして、旅人をもう一度見渡した。「となれば、貴方たちは旅人ではなく、スパルタの騎士でしたか?」とはどう見ても武装集団であるナタたちのことだ。

「いや、違うけど」

「そういうことにしておきましょうか」

 そうしてニスティアトロイスは距離を取る。「その話は、僕のほうでも確認してみましょう。スパルタの姫が戻られると言えば、僕たちが彼女を安全にスパルタまで届けます」最後まで礼儀正しい騎士の装いはそのままに、任せてくれとでも言いたげな表情があった。

「いいのか?」

 意外だった。


 ナタにしてみれば、思わぬところで味方ができたようなものだ。

「ヒルズパリスは絶対に姫を離さないかもしれないぞ。あいつらと揉めたとして、あんたたちは大貴族に逆らえるのか」

「僕たちはラズライトアトリーズです。母なる大地を延々と守ってきた騎士の端くれ。不名誉は騎士の汚れ。そして国の乱れ。我々はどのような悪にも屈しません」

 ニスティアトロイスは言った。これが騎士の誇りだと。

「あんたみたいな人がいるなら、もっと早く相談すりゃよかった」

 あっけないとはこの事だった。


「では上の階も見せてもらっていいですか? 僕たちはそれで引き上げます」

 ニスティアトロイスは振り返って笑顔で言う。

「本物だねえ」

 と感心するのはアマリアの神殿騎士たちばかりではない。


 あとになって誰もが彼の戦士のことを噂していた。

「あいつ強くね? なんか隙が無いというか、すごい手を出しづらい雰囲気があったけど。その辺の騎士と全然違うんだけど、こんなの聞いてないっていうか、あいつ敵じゃなくて良かったかもな」

 シェズがぽかんとする。

「お前が尻込みなんて珍しいな」とナタはイザリースの頃を同時に思いだしていた。「考えてみりゃあ、ラズライトアトリーズって昔からヒルデダイト最強だって言われてたけど。あの騎士団、辺境に居てイザリースには来たことないから、俺は直接見たことなかったよ」とはラズライトアトリーズに対する素直な賛辞だ。

「いや、西の最強がラズライトアトリーズなら、東はレッドプラエトリウムだから。王都の護衛のほうが格式あるし」

 震え声でシェズは注釈を入れたが、これは本当のところどうだろうか。ナタにはわからない。


 その後ニスティアトロイスは適当にモノリスの塔を見て回って、貴族たちに報告するつもりだっただろう。

「杖はありませんでした」と言えば、この事件はそこで解決したも同然だ。


 それを考えて「む?」と頭を捻るのは赤頭巾ひとり。

 隣でそんな妖精が居るのでは、ナタもまだ安心はできなかった。

「あの騎士に不自然なところがあったか?」

 と問えば、否だ。


 騎士団が探しものをするのにどんな意味があるだろう。杖が見つかろうと見つかるまいとそこに意味はない。そしてこれがヒルズパリスが依頼したことであったなら、どうなるだろうか。

「あの騎士、ヒルズパリスに言われて杖を探しにきたと言うてりや?」

「ヒルズパリスは部下を殺されているからな。強い騎士団を連れてきただけだろ」

「貴族は杖など探しておりんや。むしろ杖は迷宮にあって、通路が崩れて向こうからは地上に出られなくなっているとでも考えてりゃ。なのになぜ杖を探せと命令しりゃり」

「一応大義名分が必要だからか」

「それで杖がありませんでしたで、誰が納得せりか?」

「誰って……」

 ヒルズパリスも杖が見つかることなど期待はしていないだろう。むしろここに杖がないことを彼は知っている。杖がなかったと報告を受けることに何の意味があっただろうか。


 だから来ていたのだ。


 直後、ニスティアトロイスを追いかけるように貴族同盟の騎士たちがモノリスの塔になだれ込んできた。ラズライトアトリーズではない別の騎士団だった。


 外でニスティアトロイスを待っていたニスティアヘクタも、この異変には気がついた。弟騎士が中に入るのを見計らって、背後に隠れていた別の騎士団がしゃしゃり出てきたのだ。

「この件は我らで解決しなければならない。私の騎士団で調べさせるのが筋というものだ」

 言って、ヒルズパリスが「私の騎士団も中に入れろ」と大声を出す。


 そこにこそヒルズパリスがいた。


 神殿騎士たちが警戒する中、最強の騎士団と名高いラズライトアトリーズにも騎士としての誇りがあった。杖の話は、ラズライトアトリーズが進めているのであって、第三者の勝手な介入を許すつもりはない。

 いつもならここでニスティアトロイスがヒルズパリスに事情を聞くところだったが、ラズライトアトリーズからは、騎士ハイネイアスが出た。


 ハイネイアスは、まっさきに剣に手を構えるような騎士ではなく、小石に彫られたイーリアの神像をお守りにする男だった。右肩の古傷が痛むと言って、鎧越しにお守りを括り付けている。


 そのハイネイアスは言う。

「ここはラズライトアトリーズが交渉をしているところだ。ヒルズパリス殿はどのような用件で、我らの邪魔をするか」

 言われて、逆にヒルズパリスはハイネイアスを睨み返した。

「叔父上の大切な宝が盗まれたのだ。私が取り返さなくてどうする? これは叔父上だけの問題ではない。いまや世界の王となられた叔父上に対する反逆は世界への反逆と同じ」


 涙ながらに訴えるように、ヒルズパリスはハイネイアスに迫った。「イーリアの神が私をここに遣わせたもうたのだ」と言えば、

 ハイネイアスは神に相談するしかない。

 ヒルズパリスの言うことを信じていいのかどうか——。


「我らは、ラズライトアトリーズでは力不足だと言っているのではない。私自らが出向いて、叔父上に貢献したいのだ。まさにこれこそ貴族の誉れ。それを止めることは誰にもできないし、許されるものではない」

 真の貴族であるなら、わかってくれ。

 言われると、ハイネイアスはそれを否定する根拠をどこにも見いだすことができなかった。


 ヒルズパリスはハイネイアスの前に立ちふさがり、部下を走らせた。


 こうなると、神殿騎士でも止められない。

「去れ、我々は許可を出していない」

 言ったところで、

「先に入っていった騎士よりも、我らのほうが正当な騎士である」などと言うわけだ。「彼の騎士に許可を与えたのなら、それは我らに与えたのも同じ」


「行け」

 ヒルズパリスはモノリスの塔を指差した。

「待て」

 このアマリアの神殿騎士の叫びはかき消された。いや、それを受けて走った者もいる。


 この騒ぎを聞きつけて駆けつけてきた戦士がひとり。

「てめえら、勝手に何やってんだ?」


 神殿騎士に呼ばれて、アキが駆けつけたのはこの時だった。「俺が全員叩き出してやる」と、白薔薇騎士団を追って問答無用でモノリスの塔に入るのは、困った表情を浮かべる神殿騎士たるレンテレイシアの手前だからだ。

 ついにアキに活躍の機会が訪れた。

 彼女を魅了するのに、言葉はいらない。


 アキはモノリスの塔の中で敵と戦うだろう。


 本来なら、ヒルズパリスが真っ青になるところだが、

「あの時の戦士か。丁度良い」

 この時のヒルズパリスにとっては笑いが止まらないことだっただろう。彼が追っていったのはラズライトアトリーズの騎士だ。


 モノリスの塔は、混乱していた。

「なぜ笑う?」

 ハイネイアスはそんなことをヒルズパリスに聞いてくるが、

「神にでも聞け」と内心答えて、ヒルズパリスはモノリスの塔を見上げていた。


 モノリスの塔の悠久の年月を経てきた外観は人間の争いがどんなに激化したところで変わらない。ただそれもこの時まで。

「何をしている?」

 塔内部の暗がりでそう返したのは、ニスティアトロイスだった。


 いきなり階段を上ってきた白薔薇騎士たちが部屋に油をまいて火を放ったのだ。白薔薇騎士団と言えば、貴族ヒルズパリスの騎士団であり、ラズライトアトリーズが剣を向ける相手ではない。だからこそ、ニスティアトロイスは迷った。

「兄さん――」

 何が起きているのか。外にいるニスティアヘクタやハイネイアスは何をしているのだろうか。これは許可されたことだろうか。


 ニスティアトロイスに必要なのは情報だった。

 塔の上からなら、周囲を見渡すことができる。

 塔の上から見える全ての景色を確認しなければならない。そこにラズライトアトリーズが居れば、あとは彼らの目を見れば事情がわかるはずだった。


「ははは」

 乾いた笑い声があった。「ははははは」と、

 ヒルズパリスが火を煽るように笑っていた。


「すぐにやめさせろ」

 ニスティアヘクタは剣に手をやって、煙に声を荒げた。弟騎士が煙りにまかれている状況では相手が貴族でも態度を変えなければならない。「中に俺の弟がいる」どっちが敵だがわからない状況だった。


「それはすまない。私も急いでいる。叔父上からすぐに島を離脱しろと言われているが、これだけはやっておく必要があった」

 貴族はひるまない。「これは貢献だよ」と説明した。


「こんなもの」

 モノリスの塔をさして、ヒルズパリスは言った。「こんなものがあると、叔父上が悲しむ。異教の歴史で我ら貴族を愚弄するのが悪いのだ。その歴史を私がこの手で絶った」


 火がモノリスの塔の下部から上がった。

 篝火も倒され、周囲に延焼し始める様子がある。

「これからは貴族の歴史のみが正史になる。そしてこの偉業だ。成した者の名前は永遠になる、私こそがヒルズパリスだ」

 彼はいまだ、ワインに酔っていたのかもしれない。周囲の誰しもがそう思っただろう。

 恍惚の表情があった。

 彼の脳内では、これより貴族を否定する歴史はなく、貴族は人類誕生の瞬間からつまりは選ばれた人間だったことになる。


 ニスティアトロイスが塔の上から見た光景は、こんなものだった。

「さて、僕はどう動きましょう?」

 ニスティアトロイスは少し迷った。


 貴族に興味は持てない。

 同じ気持ちでニスティアヘクタも馬を降りただろう。持っていた兜も放棄して、モノリスの塔へと入ろうとするのは大事な仲間を助けるため。あるいは、逃げ遅れた誰かを救助するためだ。

「弟を連れてくる」

 助け出す。そんな号令だった。


「私も行く。残った者は出口の確保をしてくれ。ここで争いはするな」

 ハイネイアスが騎士団長に続いて走った。


 それを彼らの頭上から垣間見て、

「待つか、それとも——」

 ニスティアトロイスは振り返った。塔の上に何があるわけでもない。だが振り返ったのは偶然ではない。煙を吐き出す洞窟を抜けて飛び出してくる猛獣のようなものの気配があった。

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