Chapter46 潜入
アキラ・プロデュース『カノヱヲ・イザトラム』十一月二十一日(金)公開
壁に貼られたポスターがそう伝えている。ポスターは、ありとあらゆる場所に貼られていた。
俺たちはそのポスターの前で、彼女を待つ。
第二カスミガセキ駅の地下コンコース。
時刻は午後八時半。辺りに人はまばらだ。それもそのはず、今日がまさしくその十一月の二十一日で、午後九時からは全国ネットでこの新作が上映されるのだから。
今回の作品は、珍しくオールレイティング、つまり全てのステータスの国民に広く公開することを推奨されていた。考えるに、約一年ぶりの新作映画であったことから、審議会が政府の要望を受けて、民衆からの支持を目的に、レイティングを緩めたのであろう。
この規模の一斉上映は、そうそうないことから、これはまさに国家の威信をかけた一大イベントと言えた。審議会としても、アキラ二号機の実力を測るため、絶対に失敗は許さないだろう。
「このポスター、どうよ?」
俺は隣に立つリイに尋ねる。リイは相変わらず、いつもの服装だった。
「どうっていうのは……?」
「いやね、このポスター、ウチの部署で発注したんだよ」
ポスターは、主演二人の背中合わせの立ち姿、そのバストショットが使われていた。
「正直微妙だと思うんだが……」
「私には何とも……」
「私も微妙だと思いますよ」
後ろから声がかかる。振り返れば、サングラスとハンチング帽姿の黒髪の女性。
「お待たせしました」
女性はサングラスのフレームを少し下げて、目を見せる。ワダさんだった。
「やあ。一カ月ぶりかな」
「ええ、上映会が最後でしたからね。そんなもんでしょう」
彼女は俺の隣に立つリイを見て、言った。
「お揃いですね」
確かにリイの服装も、帽子にサングラスだった。リイは僅かに口角を上げた。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
俺たちは歩き出した。何気ない風を装っていたが、その実、とても緊張していた。
これから三人で向かう場所、それはあの情報管理局第ゼロ課の入った黒いパルテノン、アキラのいるフロアだった。過去から現在までの模倣品、それらが収められた、あの巨大な空間。
地上に上がると、酷い雨が降っていた。オフィス街を激しい雨が叩きつけている。
周りに建つ高層ビルも、今日は仕事を早々に切り上げて、室内の電灯を消している。
見渡す限り、人影は全くない。俺たちにとっては都合の良い状況と言えた。
それぞれにレインコートを目深にかぶり、か細い街灯が照らすずぶ濡れの通りを歩いていく。誰も何もしゃべらない。聞こえるものは、フードを叩く雨音だけだった。
そのうちに見えてきた真っ黒な大階段を登り、俺たちは、ゼロ課のビルの
「ああ、だから君を休職扱いにしたのか、チャーリーは」
レインコートを脱ぎながら、俺は一人ごちた。
「休職中の職員証が使えなかったら、今日の計画は失敗ってことですけどね」
そう言って、ワダさんは肩にかけた小さなポーチからカードを取り出した。それをコンソールに掲げる。ピッと、高い機械音がして、自動ドアが開いた。ワダさんが振り返って俺たちに微笑む。
リイとワダさんが中へと入る。
俺は二人を呼び止めて、胸ポケットから黒縁の眼鏡とワイヤレスイヤホンを取り出した。眼鏡のフレームにある小さなスイッチを押す。耳に掛けたワイヤレスイヤホンが連動して起動する。
「見えてますか?」と俺は小さな声で言った。
「おー、見えてる、見えてる。音も拾えてるよ」
イヤホンから返事が聞こえてくる。ボーマンの声だった。雨天の影響はほとんどなさそうだった。現在、ビオスコープのメンバーは、賭博特区の白の塔の一室にいて、俺たちの動きを追っていた。
「これからアキラのいるビルに入ります」と俺。
「了解。武運を祈る」
「何かあれば指示をください」
そして、俺たち三人は中へと入った。
非常用の緑の照明に照らされて、エレベーターホールへと向かっていく。途中で一度、警備員と鉢合わせそうになった以外は、順調に進んでいった。
エレベーターに乗り込み、最上階のボタンを押す。
俺は、ビオスコープから預かった映画『カノヱヲ・イザトラム』を、バッグから取り出した。それは、作品データを格納したキューブ型記録媒体だった。しかし、これから向かうあのフロアで、データキューブのまま、再生出来るかどうかは分からない。だから、データキューブにはありとあらゆる変換器が取り付けてあった。
「これだけの種類の変換器をつけておけば、どんな再生機でも接続できるはずだよ」
編集の芹沢さんはそう言って、作品を俺に渡してくれた。黒い箱からは四方にパスタのようなケーブルが何本も伸びていた。
「これをアキラのいるフロアで再生すればいいんですか? そしたら全国に配信されると……?」
ワダさんが俺に尋ねる。
「まあ、簡単に言えば。正確には、フロア内に設置された、再生するための部屋があるから、そこまでいかないといけない」
「……部屋?」
「ああ……娘のための部屋って呼ばれてる部屋があるんだよ」
「何ですか、それ?」
「知らないよ。一回、アキラの見学に行った際に説明されただけで、中がどうなっているかは知らない」
「でも、そこで再生すれば配信されるんでしょう?」
「そういう風に、広報課の奴らは言ってた」
「じゃあ、いつもは誰かが中に入って、再生ボタンを押してるってことですか? それってマズくないですか? 今日もこれから、アキラの作品が流されるわけですけど……」
「分かってるよ。そのために彼がいるんだろう」
俺はリイを見る。
「それにこのエレベーターが到着した先でも、一つ障害がある」
「障害?」
エレベーターの階数表示が、もうすぐ最上階を示す。
リイが狭いエレベーター内で、軽く伸びをする。すみませんと断り、彼はクラウチングスタートの構えを取った。ワダさんはそんな彼の様子に戸惑っている。
エレベーターが到着を告げて、ドアがゆっくりと開いた。
その瞬間、リイはエレベーターを飛び出した。正面の扉、その脇に控えるオードリー・ヘップバーンめがけて。
そして事は一瞬で終わった。
顔に似つかわしくない罵詈雑言を口にして、オードリーはリイに腕を取られて、後ろ手に捕まえられた。イヤホンの奥から、オードリーの複写生命に対する驚きと、リイの動きに対する称賛の声が聞こえてくる。
「やっぱりありましたね、ここに」
リイが、オードリーのいた受付台の下を顎で示す。覗いてみると、赤いボタンがあった。恐らく警備に通報するためのものだろう。
「押されたかな?」
「いえ、エレベーターが開くのと同時に捕まえましたから、押してないでしょう。来たのが我々だと、視認する暇もなかったはずです」
「そうか。まあでものんびりするだけの時間もないな」
俺は腕時計を見る。時刻は、午後九時十分前だった。
「すみません」
そう告げて、リイはオードリーの首を強く殴打した。気が抜けたようにオードリーは倒れ込んでしまう。
「ちょっと! 大丈夫なんですか?」とワダさん。
「大丈夫です。気絶しているだけです」
リイは、彼女の体を抱き起して、右腕を取った。そしてその掌をアーチ状の金属の扉に押し当てた。機械音が鳴り、扉が開錠された。
「急ごう。中に入ります」イヤホンの向こう側にも呼び掛ける。
「了解、アキラの中を見せてもらおうじゃないか」
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