貴族様御用達! 城下町の文具店

渡波 みずき

第1話

 平民は、貴族が魔法を用いて築きあげた町に住まわせていただいている。魔力を持たず、魔法による国への貢献ができない無能なのだから、おとなしくこうべを垂れて服従するべきだ。


 ──という価値観をお持ちの生物学上の父を持ったせいで、俺は成人したての十五の春に家を出た。


 多くの貴族は横暴だ。ひとをひととも思わぬ所業を耳にするたび、平民はだれしもが眉をひそめる。しかし、本心はおくびにも出さない。街中で不平を口にしたが最後、首を刎ねられてもしかたがないからだ。魔力持ちきぞく持たざる者へいみんより尊い。貴族の名誉を損なう発言は、平民には決して許されない。


 俺の母は平民で、とある伯爵家で住み込みの掃除婦をしていた。あるとき、伯爵は母を見初め、いろいろあって母は仕事を辞め、俺が生まれた。平民の下女が貴族のお手つきになり、孕んだとたんに暇を出され、市井で子を産む。よくある話だ。ありふれすぎてクソみたいな話だが、ひとつだけ問題があった。母は、既婚者だったのだ。


 父と伯爵のどちらの子が生まれるかわからないのに、母はからだを壊すことを恐れ、腹の子をおろさなかった。同じ屋敷で侍従をしていた父は、妻を手篭めにされた挙句、職を失って伯爵の屋敷から放り出された。こうして生まれたのが父の子ならよかったが、そうは問屋が卸さない。俺は、明らかに貴族の血を引いていた。


 銀髪は母譲りだっだが、辰砂色バーミリオンの瞳は伯爵とそっくりの色味だった。生まれたばかりの我が子の両目を見て、母は顔を覆って泣いたそうだ。


 色眼鏡をやわらかい布で磨き、陽光にかざす。うちの店先は明るいが、店内は奥に行くにつれて薄暗い。商品が日に焼けるのは困るから、これはこれで構わないものの、こう暗くては色眼鏡をするのが不自然だ。


 肩口で切り揃えた髪を後ろへ払い、一瞬考えたが、やはり色眼鏡は外せない。辰砂色の瞳はめずらしいのだ。俺がいくら出自をごまかそうと、伯爵家と繋げて考える人間が出るのは避けられないほどには、稀少な色味だ。騒動の元は隠すに限る。


 十五で王都に上った俺は、手に職をつけようと、片っ端から工房の戸を叩いた。だが、十五歳は弟子入りの年齢としては遅すぎた。どこの工房でも断られ、流れ着いた先は、人気のない紙漉き師のもとだった。


 俺を内弟子にしてくれた紙漉き師は大層きっぷのいい女性で、十年かけてみっちりと俺に紙づくりを仕込んでくれた。母親のように何くれとなく世話を焼いてくれた彼女も、ついさきごろ、往来で貴族の馬車に轢かれそうになった幼子を助けて代わりに轢かれ、歩けなくなった。


 そしていま俺は、工房を離れ、ふたりいる「母さん」たちを傷つけた貴族を相手に、しがない文具店を営んでいる。


「アルバ! 美味そうな果物を見かけたから、いくつか持ってきたよ!」


 戸口からの声に、帳簿から顔を上げる。麻袋を抱えているのは、製紙工房の兄弟子、ジャンだ。浅黒い肌に金の短髪がよく似合う。白い歯を見せてニカッと笑うと、ジャンはずかずかと店の奥まで来て、広げた帳簿のうえにドンと麻袋を置いた。


「真っ赤なミラがこんなに入って、たったの10ライケール!」

「訳ありの品なんじゃないか? 横流し品とか傷物とか」


 まぜっかえした俺に、ジャンは黙って食えと言わんばかりにひとつの実をさしだした。白く光る皮目に傷はみられない。軸周りや花おさまりのほうまで、隙なく真っ赤だ。ジャンは自分もひとつ掴むと、遠慮なくかじった。美味そうに食うよなあ、コイツ。


 俺も倣って皮ごとかぶりついてみて、その瑞々しさに驚いた。甘い芳香が口のなかに広がる。酸味の少ない品種らしく、皮まで甘い。シャリシャリとした食感も楽しい。


「……美味いな」

「だろ? お貴族様のお屋敷に納品する約束だったらしいんだが、祝い事が中止になったからって突然反故にされたんだとよ。輸送費も仕入れ値もかかってるが、採算が取れる値段じゃ金持ちにしか売れやしないって、青果店のオヤジさんが嘆いてた」

「それでも、安売りする必要まではないだろう」


 まだ、傷むようすもないミラだ。きちんと価値のわかる人間なら、多少値切りこそすれ買いたたくことはないはずだ。貴族相手の料理人など、他でも需要があるのではないか。


「そこでアルバくんの出番なんだな!」


 ジャンが実を食べきったミラの軸を、まるでバケッタのように振って、俺を示す。汚らしいからやめてほしい。


「俺に、仲介しろって言うのか?」

「そういうこと。ちなみに仲介手数料込みで10ライケールだよ!」

「勝手に請け負うなよ!」


 純粋な差し入れかと思いきや、俺のお得意様目当ての訪問か。そうこうする間にも、ジャンは麻袋のミラにまた手を伸ばす。ため息をつき、俺ももう一口、ミラをかじる。…… たぶん上等なミラを安く食ってみたかっただけのジャンのやりくちは気に食わないが、美味いミラに罪はないし、貴族に裏切られたうえにジャンにも騙された青果店のおやじさんも気の毒だ。ここは一肌脱いでやろう。


 納品の予定はないが、ご機嫌伺いに行くなら、どの家が頃合いだろうか。俺はミラの麻袋を脇へ退かし、帳簿をめくった。ファボローゾ家は、前回の納品から間があいている。他の店に取られてはかなわないから、ここらで顔を見せにいくのがいいだろう。主な購入品は、インクと便箋。インクは、青みの強い虫こぶインク派だ。家によっては、昔ながらの煤を使ったビストロを選ぶこともあるらしいが、幸いにして、うちの顧客にはそうした偏屈はいない。


 工房の上質な品を仕入れられるおかげで、紙は主力商品だ。書簡にちょうどいい大きさに切った紙は、透かしがいろいろな部分に出る。透かしは、どの工房で作られたものかを示す。紙漉きの漉き桁に各工房で彫り物をしてあるのだ。俺のいたアネッタ工房の透かしは、紋章と四辺の縁だ。紋章には、丸い縁のなかに麦の穂があしらわれている。工房長である俺の師匠アネッタの名が古語で恵みを意味するところから、神の恵みである麦を工房の紋章に選んだらしい。


 アネッタ工房の紙は仕上げに表面に塗る糊の配合のおかげか、インクのりがよく、文字が滲みにくいと好評だ。そのぶん値が張るが、貴族は価格など気にしないから、ありがたい。

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