第1話

「そこのあなた、異世界に行ってみませんか?」


 風鈴のように澄んだ声で話しかけられた。

 行けるものなら行ってみたかったさ。

 夏の太陽に見下ろされながら、俺は中庭のベンチに座り込んでいた。周りは泣いたり叫んだりと、試験結果のせいで阿鼻叫喚だった。ここだけが静かで落ち着ける場所だった。

 生暖かい汗が首をつたう。


「からかうなら、今はよしてくれ」

「いえいえ、私も仕事でして。話だけでも聞いてくれませんか?」


 どうせ、不合格になった俺を馬鹿にしに来た生徒だろうと思っていたが、顔を上げてみると、明らかに生徒ではない、違和感で体を固めたみたいな少女がそこにはいた。

 美しい刺繍が施された黒のタイツに黒のフリルスカート、その上には男物のスーツを着ていた。宝石みたいな灰色の瞳が整った顔に乗っかっている。髪は白髪? 銀髪?

日光が反射して良く見えない。

 どう考えても日本人でない。それを差し置いて、こんな奇天烈な格好をしている人が校内にいるはずがない。すぐに追い出されるはずだ。諸々の事情で警備が堅いこの学校では特に。

 その女の子は文字が印刷された四角い紙を差し出してきた。文字はピラミッドに刻まれてそうで、読むことは勿論、何語かすら分からない。


「なんだそれ。やっぱりからかってるだろ」

「名刺の、はずですが……。そうでした、文字の方は調整していませんでしたね」

 

 妙に抑揚のない声だった。

 女の子は胸元から、ペンダントを取り出して、握りしめた。透明な宝石に紐を通した簡素なものだ。


「……効果を表せ」

「うおっ!」


 宝石が一瞬すさまじい光を発した。

 

「これで読めるようになったと思いますが」


 読める? 名刺のことか。文字を読んでみると、すらすらと内容が頭に入ってきた。確かに異国の文字だが、読める。


 ココ 異世界転移仲介業者


 と書かれている。ココ、は名前だろうか。どんなトリックを使ったのかは知らないが、冗談にしてはよくでいている。だが、笑えない。異世界へ行けるのは俺の通うここ、西都学院大学附属高等学校––––通称西大附属の生徒だけが受けることのできる、異世界転移者選定試験に合格した者だけだからだ。

 俺は人生の全てを賭けて挑んだその試験に、今しがた不合格になったところなのだ。


「おい、どうやったかは知らないが、今はほっといてくれ。俺以外の不合格になったやつならいくらでもいるだろ」


 地面に生えた雑草を眺めていると、灰色の瞳が覗き込んできた。


「いいえ、あなたじゃなきゃダメなんですよ」

 

 俺は上位十名、つまり合格者に選ばれなかった時点でその資格はないのだ。


「なんで俺なんだ?」

 こんな会話は無意味以外の何物でもない。けれど、聞いてみたくなった。

「えっと、試験の結果はあなたが一位だったからです」

「は?」


 意味がわからない。俺が一位ならばなんで、雑草と仲良くする羽目になっているんだ。

 やっぱり俺を笑いに来ただけなのか。世の中こういうやつらばかりだから、試験を受けたのに。この世の不平等をひっくり返すために、この試験を受けたのに。

 

 今じゃ全部水の泡だ。


「おい、いい加減にしろ。こんなことはもうたくさんだ」


 ふざけた格好をした少女——ココ? が俺から離れるのが分かった。いつもこうだ、ただ周りから遠巻きにされる。からかう方が悪いだろうが。


「あなた、色々勘違いしているみたいなので、とりあえず証拠を見てください」


 顔を上げると、ココは人差し指で空中をなぞった。

 校舎や花壇が見える視界に、バリバリと異音を立てて別の景色が割り込んでいく。幻覚や、錯視を超えたリアリティがあった。こんなにお大きな音を立てれば、人が集まってくるはずだ。ハッとして周りを見渡すが、誰もいない。


「大丈夫ですよ。人払いは済ませておきましたから」


 ココはなぜか寂しそうな顔をしている。


「おいおい、何をするつもりだ」

「簡単な話です。あなたを異世界に歓迎するための扉を開いたんですよ」


 空隙には石造りの、日本のそれとは全く違う建造物が見える。俺が憧れた世界、俺が力を得るために望んだ世界がそこにはあった。

 これだけの摩訶不思議を見せられて、信用しないわけにはいかなかった。いや、今までの努力と、自分の力を信じたかったのかもしれない。


 異世界に招かれるだけの力が自分にはあるのだと。


「わかった。信じる。俺を向こうに連れて行ってくれ」

「承知しました。ではこちらへ」


 簡単に言ってくれるな。事務的な声と自分の心の寒暖差がおかしくなって、思わず吹き出しそうになった。


 ココは俺の手を引っ張って、空間にできた穴に飛び込んだ。

 意外に小さいその手に、その温かさに、俺はなぜか驚いた。

 

 

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