第109話

ローラ視点


ラーチ、教会のナンバーワンの実力者。

もちろん私なんかが敵う訳もない相手。

私は彼の動きを瞬きもせずに見つめる。

僅かでいい、逃げるチャンスが見つかれば!


「お嬢さん、何を心配してるのか分からんけど、俺はあんたを殺す気はないから安心してよ」


意外な言葉に私は拍子抜けしてしまい、膝が緩みそうになる。

私は慌てて自分を叱咤する。

信じるな!嘘に決まっている!


「嘘だって顔してるね。嘘じゃないよ、俺は教会から殺しを禁止されてんのさ。俺が殺していいのは①命令された相手②裏切り者③教会を冒涜した相手、この3つしか許されてないんだよ。まぁ制限されないと誰でも殺しちゃうからね」


そう言ってカラカラと乾いた笑い声を上げる。

その冷たい笑い声を聞いて、背筋がゾッと凍りつく。

しかしそれが本当なら私もヒル君も助かる、そう思ったその時だった。


「さっきの空間転移魔法の魔石、すごいね。あんな高位呪文を封じ込めておくなんて。でもさ……魔石に閉じ込められる魔力の量ってたかが知れてるんだよね。多分そんなに遠くには飛ばされていないんじゃないかな?……うん、気配を追って探せば俺ならすぐに見つけられちゃうね」


そう言ってラーチはニヤリと笑った。


「えっ!?」


「そうか、やはり知らなかったか。おそらくあの魔石の大きさだと、転移できても1、2kmってとこだな。それくらいならすぐに追いつくよ」


1、2km?どこに飛ばされるか分からないから、どうしよもなくなった時にだけ使おうと思ってたけど、そんなに近いの?


「ヒル君を見つけたら殺すつもりなんでしょ?行かせない!」


私は両手を広げて、ラーチの行手を阻む。

ラーチはまたカラカラと笑った。


「勘違いするなよ」


ラーチはそう言うと、一瞬で姿を消した。


「えっ?」


真後ろからボソリと声がする。


「俺がその気になれば、お前の命なんて1秒で刈り取れる」


いつの間にか後ろに回り込んでいたラーチは、私の首元にナイフを当てていた!?


ナイフの冷たい感触に、私の体も心も一瞬で冷え切っていく。体がガクガクと震えた。

一歩でも動いたら本当に殺される。

そんな気がした。


ラーチはそんな私を見て嬉しそうにパッと手を離して私を解放する。


「また怯えているな。だから殺さないって言ってるだろ?俺は教会に所属してからはルールを守っている。これでも敬虔(ケイケン)なアトム教の信者なんだ。ヒルにお前を殺せと言ったのは……お前を殺せばヒルの命が助かると思ったからだ。お前の命一つで……ヒルの命が助かるなら……そう思ったわけだよ。俺は優しい男だからな。あんたに忠告しとくよ。もう教会に関わるな。そうすりゃ明日も美味い飯が食える」


ラーチはそう言ってゆっくりと私から離れていく。


駄目だ!行かせたら駄目だ!震えている場合じゃない!動け身体!

勝てなくても……無謀でも……私は足掻いてみせる!

ヒル君は私が守る!


私はカバンに詰めていた炎の魔法が込められている魔法石をラーチに向かって投げつけた。


魔法石から初級魔法の拳サイズの火球が飛び出す。


ラーチは飛んでくる火球を見てクスリと笑ったかと思うと、

「フッ」


と軽く火球に息を吹きかけた。

炎は一瞬で掻き消え、なくなってしまう。


「嘘でしょ?」


魔法石……高かったのに、足止めにもならないの?


「こんなもので俺をどうにかできると思っているかと思うと、実に面白い。もっとお遊びに付き合ってあげたいのは山々なんだが……俺も中々忙しい身で……残念だがヒルは強いから、他のやつには任せられない。俺が直接殺してあげないといけないんだよね」


私は焦ってカバンにあるありったけの魔法石を投げつける。

氷も水も、岩も雷も!

しかし全ての魔法はラーチにとって遊びにもならない様で、傷ひとつどころか、汚れ一つ付けることもできずに、どれも一瞬で消し去られてしまった。


「終わりかな?じゃあもう行くね」


あくびをして去っていくラーチに、私は狗肉の策で怒鳴りつける。


「逃げるの!臆病者!」


そう言ってもラーチは止まる気配もない。

怒らせて注意を惹こうと思ったのに、手をひらひらと振り何も気にしないと言った様子で歩いていく。


駄目だ。たぶん何を言ってもあいつは激昂したりしないだろう。

……あれ?でももしかして……。

私は、あいつがさっき言っていたことを思い出し、大声を出した。


「アトム教会の大司教は最低最悪のクソ野郎!!!」


今まで私の言葉にも行動にも対して興味がなさそうだったラーチが、突然ぴたりと足を止めた。

くるりと私の方に向き直る。


「聞き間違いだよね?もう一回言ってみ?」


顔は笑っているが、さっきとは比べ物にならない物凄い威圧感だった。

緊張で冷や汗がどっと噴き出す。


「……アトム教会の大司教は、陰でコソコソ動くドブネズミって言ったのよ!」


そう言った瞬間、私はものすごい力で頬を叩かれた。

地面に叩きつけられ泥だらけになる。


「訂正してもらいましょうかね。大司教の冒涜は神への冒涜に等しいですから」


体中が痛い……でもあいつの矛先が私に向いた。これでヒル君が逃げる時間が稼げるはず!


「最低だよね、アトム教会の大司教は……子供を使って……汚い仕事させる……卑怯者……」


地面に倒れ起き上がる事ができない私を、ラーチは思い切り蹴り飛ばした。


「かはっ!」


口から大量の血が出る。


「残念だな。さっきも言ったけど、教会を冒涜した者は殺してもいいって言われてるんだよなぁー。こんな美人殺したくなかった。ああ可哀想だ!よし、もう一度チャンスを上げよう。『アトム教会の大司教様は崇高で聡明な人格者です』ほら言ってみな?……変な意地張るなよ、これ言うだけで命が助かるんだよ」


そう言ってラーチはニンマリと笑った。

痛みで意識が朦朧としていた。


結構時間稼げたかな?ヒル君は遠くまで逃げられたかな?

だとしたら、私、頑張ったよね。

教会も、大司教も、こいつの事も大嫌いだし、あんなセリフ言いたくないけど、私が心に蓋をしてこのセリフを言えば、私もヒル君も命は助かる……。


「大司教様は……」


そこまで言って、ふっとタクトさんの顔が浮かんだ。

タクトさんだったら、こんなピンチの場面……悪に屈したりするだろうか……。


「そうだ、そう。賢いいい子だ。続けろ」


きっとしないよね。

タクトさんの事を考えると、不思議と恐怖は消えて、勇気が湧いてくる。


「……大司教は……卑怯で間抜けな、クソ野郎よ!」


私がそう言って中指を立てると、ラーチのこめかみがヒクヒクと動く。


「分かったよ……そんなに死にたいなら、死ね!消し炭になれ!豪炎!!」


ラーチは巨大な炎魔法を私に向けて放った。

あいつに反抗した時点でこうなるのは分かっていた。

でも最後まであいつに屈しなかった事に後悔なんてない。

私は死を悟り目を瞑った。

その時、


「旋風よぉ!かき消せぇぇ!!!」


聞こえるはずのないヒル君の声が突然響いた。

私は思わず目を見開く。

眼前に迫っていた巨大な炎は凄まじい風魔法の力でかき消えた。


見間違いじゃない!


「な、なんで!なんで戻ってきたの!ヒル君!」


いつの間にかヒル君は足私の前に立っていた。

ラーチは冷たい目で私たちを見る。


「その女の言うとおりだぞヒル。勝てない相手からは速やかに逃げてこい。俺はそう教えたはずだったが?何故わざわざ戻ってきた?マイナス100点だ」


ヒル君は「へっへっへ」と何故か不敵に笑ってみせる。


「何でだろうねぇ。逃げとくべきなんてのは言われなくても分かってっけど、ここで逃げたら俺は一生ダセェ奴だなって思っちまったんだよな」


ラーチは頭を抱えて項垂れた。


「そんな理由で!?飲まず食わずに逃げて国境線まで辿り着けば、生き残る確率は十分にあったものを、お前は間抜けな事に、せっかく命がけでお前を逃がしてくれた女の元に戻ってきた。はぁ……これでお前の生存確率は……0だ」


「ヒル君……今からでも逃げて……」


真剣に言ったつもりだったのだが、ヒル君は笑いながらサラリと返す。


「無理ですね。ローラさん等の所為ですよ。たった1日なのに、今までの価値観ひっくり返されちまった。あんたが俺の為に死ぬのは、自分が死ぬよりもつれぇ」


ラーチは何度目になるだろう。「はぁ」と深いため息をつき、ぶつぶつと微かな声で独りごつ。


「さっきからヒルの言動が妙だ。なぜ俺の呪いと大司教様の洗脳が解けている?高ランクの『破魔』の能力者がいるのか?」


「久しぶりだな、ラーチさん。あんたとやり合うのは!いつもこてんぱんにされてたから、やっとカリを返せるぜ!」


「ヒル、考え直せ。お前の居場所は教会だ。神からの、偉大な仕事の手伝いをして、大司教様からお褒めの言葉をいただく。これ以上に幸せな生活なんてないだろ?」


「大司教からの言葉?へっ!クソだぜそんなもん!ラーチ、あんたはここで、俺が倒す!」


ヒル君の体の周りに、ヒュンヒュンと風の波動が巻き起こる。


「大した魔力だ。ヒル、お前全ての魔力を使い切る気か?仮に俺を倒せたとしても、死んじまうぞ?」


「そ、そんな」


目に涙が溢れ止まらなかった。

そんな私を見て、ヒル君はニコリと笑ってみせる。


「安心して下さいローラさん……俺は死にません。ローラさんと一緒に、ギルドに帰ります」


「残念だよヒル。俺はお前の戦いの全てを知っている。お前の魔法で防げないものはない」


そう言ったラーチに、ヒル君はニヤリと笑い返す。


「あれ、これ教えてくれたのはラーチさんでしたよね?『切り札は誰にも見せるな』って」


ラーチは初めて真剣な顔つきでヒル君を見つめる。


「……なるほど、俺の知らない魔法って訳か……いいぞヒル、100点だ」


ヒル君は構えをとり、大きな声で叫んだ。


「ヒャッハァー!!やっちまうぜ!……風魔法最大奥義……砂塵大烈風!!!!」

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