第十四話 奪われた日常

(よし、いけそうだな……)


 ガラス瓶に入れた紫の液体に浮かぶダークアメジストを見て、俺は安堵する。


 あのちょっとした騒動の後すぐ、持ち帰った魔原液でカトリーヌさんから預けてもらったダークアメジストの割れ目を接合し、ライラに一定量の魔力を供給してもらった。


 一日も立てば、ある程度割れ目が引っ付いて離れなくなったので、それからたっぷりの魔原液に付けてさらに三日。もう亀裂は目立たなくなり始めている。


 後は定期的に魔力を補充しつつ様子見だ。見立てが正しければ、数日で再生し、傷は自然と塞がってくれるはず。後はライラに任せておいて大丈夫だろう。


 俺は屋敷を出て、レティシアさんの花屋を訪ねる。彼女へカトリーヌさんへの経過報告を頼み、ついでに配達も手伝ってさて帰ろうかと通りをぶらついていたところ、妙なざわめきが耳に届いた。


 人だかりが一軒の建物を囲んでいる。


(あれは……《魔物料理店マジロ》のとこか?)


 騒ぎの多い街だと思いながらも、知り合いが働く店なので様子だけでも確認しておくかと人混みを掻い潜った俺は、現れた光景に驚いた。


 店内から、様々なものが運び出されてくる。あれではまるで……。


(この店……閉めちまうのか?)


 多くの人々が行き交い、俺たちも座ったことのあるテーブルや、調理器具などが運び出され、そして……。


(《凍り箱フリーザー》と大鎌……まさか)


 ピピの道具や武器までもが運び出され、嫌な予感が膨れ上がった。

 建物からひとりの少女が、腕を枷を着けられた状態で、押し出されてくる。


「ピピッ!」


 俺は思わず駆け寄り、彼女を乱暴に扱う男に詰め寄っていた。

 

「なにをしてやがる……」


 その男は、奇妙なデスマスクで顔を隠していたが、片方しかない瞳の動きで笑ったのが分かった。


「おや、彼女の知り合いですか? それはそれはご愁傷さまでしたねぇ。この少女は、我々が買い取りました」

「買い……? ふざけるな! んな大っぴらに人身売買なんざ……」


 男が俺の目の前に丸めていた一枚の書状を広げる。

 そこには……王国印と共に、以下の一文が添えられている。


『エルスフェリア王国法第六十二条に基づき、下記の名称の人物の労働力及び身体上の自由を財産と見なし、金銭と引き換えに売買することを許可する――個人名:ピピ・ヨーリー』

(なんだと……)


 俺は頭が真っ白になる。


「よく知らないようですし、教えてあげましょう」

「やめ……!」


 デスマスクの男は、愉快そうに声を響かせナイフを取り出すと、ピピの服の後ろ側を引き裂いた。悲鳴を上げた彼女の背中に表れたのは……うっすらと紫に光る、魔力の刻印だ。

 それが意味するのは……。


「この少女は、ずっと非合法の奴隷だったのですよ……」

「で、でもそれは……あうっ!」


 口を挟もうとしたピピの頬をつかみ、男は強引に黙らせる。


「そう、彼女はつい先日十六歳になり、この国の法律では合法の奴隷となった。持ち主が願えば、彼女の身柄を一般人に戻せたはず。しかし、そうなる前にこの件は明るみに出て、元の持ち主は違法奴隷を所持していたとして捕縛されてしまいました。……マジロ氏には莫大な借金がありましてね。結局その担保として、私がこの店と彼女の身柄を引き継いだというわけです」

(あの時のおっさんの必死な様子はそういうことかよ……)


 男はピピを解放したが、彼女は辛そうに俯いたまま反論もしない。 

 今の話が真実なのか、問いかけるまでもないということか。

 おそらく、魔物料理店の店主マジロは、これをどうにかしようと動き、失敗したのだ……。


「つまり、我々は極めて正当な方法で、彼女やこの店舗を受け取ったいう訳です。さあ、我々も忙しい。立ち話はこれくらいで失礼しますよ。……来い!」


 ピピは奴に、他の道具と同じように、所有物として引っ張られてゆく。


「待て」


 それが見ていられず、俺は奴を引き止めた。

 店は仕方ないにしても彼女の身柄は別だ。ここで見逃せば、リュカたちになんて言えばいい。


 男が肩越しに、視線を強く光らせる。


「なんですか? これ以上は……」

「商談だ。そいつの身柄を売り渡して欲しい。いくらだ」

「ほう……」


 そして楽しそうに喉を鳴らす。


「ククク、これはこれは……楽しそうなことになってまいりましたねぇ。しかしあなた、失礼ながら大して金など持っているようには思えませんが?」

「こう見えて俺は装飾品細工師でな……。手付けだ、とっとけ」


 俺はシエンさんにあの時渡さなかったダークエメラルドを男に投げた。

 奴はそれを日に透かして見ると、納得したように頷く。


「よいでしょう……ですがこの娘、生中な値段ではありませんよ? ではこの場で、商品の説明でもさせていただきましょうか!」


 こういったことに慣れているのか、うって変わって饒舌になる男。

 大仰な身振りで頭を下げると手を拡げ、癇に障る声でまるで、美術品でも売りつけるかのような口上を開始する。


「これこの通り、この娘はなんの変哲もない生娘に見えましょうが……なんと! 実は魔族と人間との間に生まれたハーフ……マガビトという特別な種族なのです! その証拠である、これをご覧くださいッ!」


 奴がピピの顎をつかみ、強引に顔を上げさせた。

 彼女の顔には、なにもおかしなところはなく綺麗なものだ……ただ一か所を除けば。


「この左目です! この透明な水晶のごとき瞳孔を持つ瞳……! これこそが《霊眼》とよばれる、魔力の凝縮体なのです! 通常魔族と人との間にほぼ子供は生まれません。だが、ごく稀に彼女のような特殊な個体が誕生する場合があるッ!」


 ピピほどの冒険者が掴まれた顎を外そうしているのに、ぴくりとも動かせない。デスマスクの男がよほどの力を持っているのか、あるいは……。


「しかし……そう言った者たちは魔族である親から受け継いだはずの膨大な魔力をかけらほども放出することができない。では、それはどこへ隠されてしまっているのか? これが、その答えなのですよ! この瞳は宝石より尊い強力な魔力の塊という訳なのです! ハハッハハハハ!」


 周囲を窺う民衆たちからどよめきが上がった。

 だが、こんなパフォーマンスに付き合うつもりも余裕も無く、俺は怒りを押し殺し、奴に続きを促す。


「御託はいい……さっさと値段を提示しろ」

「……ノリの悪いお客様だ。まあいいでしょう。それでは……ドゥルルルルルルル、ドン!」


 男は太鼓を叩くふりをして口で音を奏でた後、彼女の剥き出しの背中に黒いインクで数字を書きなぐった。


「こちらが、その金額です!」


 野次馬たちが再びどよめいた。

 それもそのはず。0が幾つも連なり、途方もない金額が浮かび上がる。


 【金貨――300000枚】


「30万金貨……だと?」

「そう言うことです……彼女を買おうと言うなら耳を揃えて払っていただきましょうか」


 一等地にデカい屋敷が十個くらい立てられそうな金額に、俺は口をつぐんだ。


 ……どう考えても、普通の人間に払える額ではない。俺の私財をすべて売り払おうと、おそらく金貨五千枚に届くかどうか。


 沈黙する俺に、それを否定ととった男がせせら笑う。


「……やはり、払えませんよねぇ。なにか面白い提案をしてくれると思っていたのですが、期待ハズレ、時間の無駄でしたね。これは返しておきましょう――」

「いや、もうひとつだ」

 

 だが俺は、先程のダークエメラルドに加え、俺個人の全財産――デュゴルさんから買い取ってもらったアクセサリー代金含む――を入れた財布を奴に渡し、交渉を続ける。


「合わせれば、金貨二千枚くらいにはなるはずだ。それを前金として、どこかに売るのはもう少し待ってくれ。その間に金は用意する」

「ほぉう……?」


 それらをじっくり眺め、男は楽しそうに頷いた後、こちらに寄ってきて耳元でささやく。


「前金としては、とても足りるものではありませんが……私はこういったハプニングが大好きでしてねぇ。二月なら待ってあげましょう。その間に残りの金貨を集め、この紙に記された場所まで持ってきていただければ、この娘は晴れてあなたに引き渡します。言っておきますが、銅貨一枚たりともまかりませんので。……さあ、来い!」


 男は二本の指でつまんだ紙片を俺のズボンのポケットへ滑り込ませると、ピピをまた乱暴に引っ張り出す。彼女は泣きそうな顔で俺に首を振り、用意されていた馬車に押し込まれて消えていった。


(30万金貨……か。あ~、どうすっかな)


 それも二月という時間制限の間に集めるなど、そんなことが可能なのか。


 俺は野次馬を押しのけながら帰る足を速める。ともかく一刻も無駄には出来ない。できる限りの手を尽くさないと――。

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