第十一話 上層街《赤傘区》
シーラル生花店に着くと、店の中にはチロルとリュカが働く姿が見える。
レティシアさんは遠慮したが、住まわせてもらうのになにもしないのも悪いと、最近時々店を手伝わせてもらっているのだ。
チロルがピンク、リュカはイエロー。パステルカラーのエプロン姿は可愛らしく、よく似合っている。ライラはたしか、後から合流するはずだ。
目ざとく俺の姿を見つけたリュカの顔が、笑顔に変わった。
「あっ、あにきだ! レティ~あにき来たよ~! あ~にき~!」
奥のレティシアさんへ叫んで出てきたリュカが、俺の腹に向かってどーんと抱きつく。店での仕事が楽しかったのか、尻尾は千切れんばかりに振られている。
「よしよし。よく分かったな、俺が来たって」
「へへ~、あにきの匂いがしたからね」
(なんだそれ……)
リュカが地味に気になることを言ったので俺は自分の体を嗅いだ。
よく分からない。リュカの鼻がいいからとはいえ、遠くからわかるほど俺の身体は特徴的な体臭を発しているのか? なんかすごい嫌なんだが……。
「そんなに臭うか? ……ちなみにどんなのだ?」
「やな匂いじゃないよ! 石とか、土とか……自然系? なんか優しい感じ! おいらは好きだな!」
「そうか……もっとさっぱりしたのが良かったな」
オークとかゴブリンの匂いとか言われたらどうしようかと思ったので、ややホッとしつつ頭をこすりつけるリュカを抱えていると……。
「テイルさ~ん……いらっしゃいませなのです~……」
ついでチロルが店先から疲れた感じでとぼとぼと歩いてくる。
そんなに忙しかったようには見えないのだが……なんだかどんよりした顔だ。
「あにき、おいらもチロルもお花沢山売ったんだよ? 褒めて褒めて!」
「おーえらいな。どんな花が売れたんだ?」
俺がそんな質問をリュカに返すと、小首を傾げた彼女の目線が宙に向いた。
「え~とね……なんだっけ? 赤いのが……か、かね……」
「カーネリアなのです!」
チロルがくわっと目を見開き補足する。
「そう! んで……あの黄色いのが……まり……まるる」
「マリアベルです!」
「それ! とかが売れた!」
得意げに胸を張るリュカの陰で、ふぅと物憂げに視線を落とすチロル。
なるほど、万事この調子でフォローしすぎて神経をすり減らしたのだろう。
「チロルお疲れ。はは、リュカはもうちょっと、名前覚えていこうな……」
「あい!」
愛嬌と元気はあるが……しばらく一人で客の対応は難しそうだ。そしてそんなリュカを、耳を疲労で萎れさせたチロルが諦めたような視線で見つめていた。
「はいよ~。テイル君お疲れ」
そんな時、バックヤードで事務作業でもこなしていたのか、肩を回しながらこちらにやって来たのはレティシアさんだ。
「どうも。これ差し入れのおやつです」
「ありがと~! 甘い物は疲れに効くからね、助かっちゃうわ~。丁度客も捌けたとこだし、少し休憩にしよっか。ふたりとも手を洗ってお茶を淹れてくれる?」
「「は~い」」
後ろへ駈け込んでゆくチロルたちを見送りつつ、レティシアさんにテーブルに誘導され、俺たちは向かい合って腰を下ろす。
「どうですか? あのふたりちゃんとやれてます?」
「うん? 大丈夫だよ。冒険者だからかな、わりと飲み込みは早いし。リュカちゃんの方はそそっかしいからちょっと心配になるけどね~」
「はは、まあ大目に見てやってください」
リュカは花を愛でるというより、花を見て食べれるかどうか考えるタイプ。大雑把だから繊細な仕事には向いていない気がするが、案外花屋も力仕事は多いらしく、小回りも効く彼女の出番もまたあるのだろう。
しかしそんなほのぼのとした話題を別の方向へ逸らすように、レティシアさんは口元をにまーっと拡げる。
「こっちの話もいいけどさ~。ふたりから聞いたよ? なんだか作ったアクセサリーが売れたんだって?」
「ったく、あいつら、人に話すなって口止めしたってのに。そんな大したもんじゃないんですよ……」
「いいじゃんいいじゃん、謙遜しなさんなって。人に価値を認められるって言うのは大変なことだよ。良かったじゃない、あたしだって自分の育てた花が売れると嬉しいもんね~。あの子たちも自慢の兄貴分が認められたって喜んでんだから、怒らないであげな。……んでさ、いくら儲けちゃった?」
「言いませんよ! ……ったく」
「あっはっは……冗談! 冗談だってば!」
レティシアさんは闊達な笑いを見せ、俺も本気で怒っていたわけではなく、視線で釘をさすと別の話を持ち出した。
「話変えますけど、レティシアさん、最近魔物料理屋って行きました?」
「あ~、こっちからは行ってないけど。しばらく休むってこないだ聞いたね。あたし時々ハーブとか配達に行くのよ……なんかあった?」
「ピピって子いるでしょ? 彼女にちょっと、個人的なことを聞いて気まずくなったから……どうしてるかなと思って。店を覗いてはみてるんだけど丁度開いてなかったりするんですよね。冒険者ギルドにも顔を出さないし。ちょっと気にしてて――」
「ほう」
彼女の目がキュピンと光るが、もちろんそういうことではないのでちゃんと否定しておく。
「いや、違いますから。その場には皆もいましたし……」
「ふ~ん……なるほどなるほど、そういうことね~。あの子の表情が沈んでたのはそれでかぁ。悪い男だねぇ、テイル君……」
組んだ両手の上に顎を乗せ、彼女はこちらを獲物を見つけたヘビのような目で見つめてくる……。
「違うって言ってるでしょ。変な勘繰りはやめて欲しいですね」
「本当なのかな~?」
「……怒りますよ?」
俺がギリッと歯を噛み締めると、すぐにレティシアさんは両手のひらを上げ、降参を示した。
「わかったわかった。なにがあったかは聞かないでおくけど……。でも、あの子にも事情が色々あるから気にしない方がいいよ。また会ったら普通に接してあげな」
「……最初からそう言ってくださいよ」
愚痴っぽく呟いたが、俺はレティシアさんがそう言ってくれて少し安心した。もしかしたらリュカが無理に聞き出そうとしたことで、なにか忘れていた辛いことを思い起こさせてしまったのかと考えていたからだ。直接遠ざけるようなことを言われたわけでもないし、会えたら自然に話せばいいか――。
――カラカラン。
「レティシアさ~ん、来たわよ。店番変わるわ。あ、テイルも来てたのね?」
そんなことを思っていると、店の扉が開き顔を見せたのは、客ではなくライラだった。
「悪いね呼び出しちゃって……今日はちょっと多いんだよね。んじゃ……配達に行くとしますか。……とっと、そうだそうだ」
背を伸ばしていたレティシアさんが振り向くと俺に尋ねる。
「良かったらテイル君も手伝ってくんない? 君なら、一人で出歩いても安心だし」
「いいですよ。俺だけこのまま家に戻るのもなんだから」
ライラが薄紫のエプロンを装着し、俺たちがそんな話をしていると、いい匂いがしてリュカたちが紅茶と茶器をお盆に乗っけてきた。
「おまたせ~。あれ~、レティもう行っちゃうの? あにきまで? せっかくふたりでお茶いれたんだぞ~?」
「ごめんねぇ。ライラちゃん来てくれたし、しばらく三人でゆっくりしてな」
「わかりましたのです……わぁ、ケーキ美味しそうなのです! テイルさん、ありがとうございます!!」
「おう。それじゃしっかりな」
白い箱の中の色とりどりのケーキを覗いて、嬉しそうに微笑む三人に店を任せ、俺たちは荷物を持って街の外へと出ていった。
◆
配達は結構な件数だった。
店舗での仕事の合間にこれをこなしていたのだとするとかなりの作業量で、頭が下がる。
「良く一人でこなせてましたね、これ」
「でしょ~? まあでも、大抵の仕事って慣れだから。絶対無理と思ってても、やればできちゃったりするもんだよ」
「あ~……」
確かに終わらないと思うような仕事でも、集中して取り組んでいれば意外となんとか片付いていた、なんて場合もある。……が、それが連日だとさすがに笑えない。かのブラックギルドで任された、倉庫に山積みされた大量の金属部品研磨作業が思い返され、俺の顔は小さく引きつった。
「さ、こいつが最後。君もそろそろ街に慣れてきたから、色んなところに顔を出しとくのもいいかと思ってね。一緒にいこっか」
レティシアさんはそう言うとふたつの大きな花束を、一方は自分で、もう一方は俺に抱えさせた。
「もしかして……上層街ですか?」
「そ。行くのはお貴族様の屋敷だから、粗相のないように頼むよ?」
「……わかりました」
思った通りの答えに、俺の顔にわずかに緊張が走る。
貴族というと……あまりいいイメージは思い浮かばない。前のギルドのギルド長とか役員とか。先日のレイベルさんのようなできた人間はおそらく彼らの中では変わり者に当たるのではないだろうか。
すぐに動き出すレティシアさんにそのまま着いてゆくと、中層街と上層街を隔てるようにそびえたつ、高い壁の前に出る。そこには大きな門があるようで、彼女は門番に頭を下げてそのまま中へと入っていった。
「気を付けて。ここは貴族様の住む場所で、平民以下は通りの真ん中を歩くと面倒なことになっちゃうから。横切るのもなるべく周りに誰もいない時にね。とりあえず、あたしの後ろについて真似すればいいけど、帰りは君に先導してもらうよ」
「はあ……」
割と王都に近く、公爵が直接治める街だから厳しい規則に縛られているのかも知れないが、面倒な話だ。壁の内側は外とは違って美しく整備されており、家屋敷も競うように豪華な装飾を取りつけている。俺たち庶民には縁遠い街並み。
めっきり口数が少なくなったレティシアさんを前に道の端をゆっくり進む俺は、向かいから来る人物を上目遣いで見上げた。
(あ~……そうだよな。あれが普通の貴族だ)
中央を周りを見下ろすように反り返りながら歩く男性貴族に、頭を下げつつ、俺はそっと息をつく。貴族にも格差があるからか、つい今さっきまで偉そうにしていた人間が、向かいから自分より上位の人間が現われたことで急に頭を下げへりくだるのを見て、窮屈そうな世界だなと内心で苦笑してしまった。
(あの、赤い腕輪をしている人たちは?)
(ああ……あれは奴隷。この街の貴族に買われてしまった人は、あれを付ける決まりなんだよ)
(やっぱりそうなんですか……)
そして、奴隷の存在――俺たちと同じように道の端を歩くが、一様に表情を暗くした彼ら。左手に赤い腕輪をしているのはこの街を治める領主の趣味なのだろう。なぜなら、彼らの行動を縛るのは背中に刻む刻印術で事足りているはずだから、特に拘束具などを付ける理由も無い。利点は見分けがつきやすいということだけだ。
レティシアさんも低くした声で言う。
(あんま見てて気分いいものじゃないけど、仕方ないよね。あの中には犯罪者も、食い詰めて自分を売るしかなくなった人もいるからね)
(まだ、小さな子供とかがいないだけマシですか……)
聞きかじった話だが、十六歳未満の人間の売買は本人が希望したとしても、エルスフェリア王国の法律では禁止されているのだとか。あぶれたものは、孤児院にいったり、どこかで住み込みで働いたり、あるいは、危険を承知で冒険者になったり……。
そう考えるとある意味冒険者ギルドも立派に社会貢献を果たしている。
だが、その割に国費の支給は少なく、現状そういった経験のない若手冒険者向け支援制度などは少ないので、もう少しテコ入れして欲しいところではある。
(レイベルさんとか……そういうの国の方にうまく伝えてくれないかな。なんてな)
俺は頭の中の無意味な願望を打ち消した。こうすればいい、ああすればいいなどと思うのは自由だが、自分で実行できない限り意味はない。こんな大きなことではなく、今は目の前のことに集中すべきだ。
そうして上層街を進むうちに俺たちは、やがて一軒の屋敷に辿り着く。
今住んでいるあの蔦屋敷とは比べ物にならない、本物の豪邸。
レティシアさんが指さす屋根は、血のように赤い。
「この辺りはもう高位貴族の住む《赤傘区》の中に入ってるから、無駄口は叩かないように。じゃ、行くよ」
「一番真ん中の赤い屋根の街並みでしたね。わかりました」
彼女は屋敷の門番に丁重に来訪を告げると、奥へ通される。
(配達だけじゃないのか……?)
門番にその場で荷物を預けて終わりだと思っていた俺は驚く。
屋敷の中へ入り、分厚い絨毯を踏みしめて進んだ先の一室の広間に着くと、衛兵はそこで入室の許可を求めた。
「カトリーヌ様……例の花屋が参りました。お通ししてよろしいでしょうか」
「入れてさしあげて」
誰が命じたか扉が内側から開き、俺たち入るように告げると衛兵は去っていった。レティシアさんは目配せして口元に指を当てる。黙っていろということらしい。
静かに入室したレティシアさんは、室内で出迎えた人物の前で膝を突く。
「失礼いたします。中層街、シーラル生花店の主レティシア、お荷物の配達に伺いました。こちらは手伝いでテイルと言う冒険者です。身元の怪しい者でないことは私の命に誓って保証いたします」
(いや、勝手にそんなことを言われても困るんだが……)
面倒事の雰囲気を感じつつ、仕方なく俺もレティシアさんに続く。
逃げ出す場所もなく顔を地面に俯けていると、部屋の主――ほっそりとした老女から言葉が掛けられた。
「ご苦労様。顔を上げてちょうだい。私はカトリーヌ・シルブラウン。この屋敷の主、シルブラウン伯爵の妻です。よろしくお願いするわね、テイルさん」
優し気に微笑む銀髪の伯爵夫人になぜレティシアさんがわざわざ引き合わせたのか――その理由を、この時はまだ俺に知る術はなかった。
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