第69話 月 光
ベートーヴェンのピアノソナタ第14番“月光”を聴きながら
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
宵闇に沈んだカムランの街に街灯が灯る。吹く風は、すっかり秋の気配を帯びていた。
事後の雑事から逃れてきた俺は、アスラン家の風呂でさっぱりした後、いつものバルコニーでいつもの青い双月を相手にワインを傾けていた。
すると夜風に仄かな甘い香りが混じった。ああっ、金木犀の香りに似ているな。
「此方にいらっしゃったのでですね。」
その声の持ち主は、一目で上質な物だと分かるエメラルドグリーンの色をしたシルクのナイトガウンを肩に掛けていた。
「貴方も如何ですか?フィンさん。」
何となく双月が彼女を誘ってくれる様な気がしてたので、俺はグラスを2つ用意してたんだ。
「まあ、嬉しい。それでは頂きましょう。」
入浴後の湿ったぬばたまの黒髪を肩に払いながら、彼女はグラスを受け取った。
グラスを渡す際、お互いの指先が触れ合った時間が長く感じたのは、気のせいだったのだろうか・・・
31歳童貞の俺には難しい過ぎる問題だ・・・
俺は心情を誤魔化す様に彼女に語りかけた。
「グラース砦に向け国軍は出ましたか?」
フィンさんは少し残念そうな表情を見せた。気がする・・・
「はい。体調を崩していない兵士300が、街のベルフォール要塞から急派されました。
それに国王派の官僚も複数一緒に。」
俺たちがT.レックスを倒した後、砦に突入したら主犯のコーウェン伯爵の遺体が発見された。
伯爵は何者かに殺害された後だった。
ロイタールがヤツの胸に刺さっていたナイフを調べてしきりに首を捻っていたが・・・。
最後まで一緒にいる事が目撃されていた家宰のクロワはどこにも見当たらなかった。
「フィンさん。おれ、いや私は貴方のことがもっと知りたい。
伺ってもよろしいでしょうか?」
なんか中坊の様にドキドキが止まらん。別に心臓の病気ではないはず!
フィンさんは双月を見上げたまま、瞼を閉じてそっと息を吐いた。
刹那の沈黙。
彼女はその美しく深いコバルトブルーの双眸を俺に向けて静かに語った。
「はい。わたしもダイチ様に知って頂きたいと思います。」
フィンさんはバルコニーの手摺にワインの入ったグラスを置いて続けた。
「私は“時の牢獄”に囚われた女。
だから、ダイチ様が思っているよりずっと星霜を重ねているのですよ。」
笑顔を俺に向けてくれたが、深い悲しみを隠す事は出来なかった。
「私は、敵からは“黒の魔女”と恐れられ、味方からは“黒の女魔道士”と呼ばれております。」
「ああ、そこが分からないのですが、“魔道士”とは何ですか?“魔法使い”とは違うのでしょうか。
話の腰を折ってすみません。」
「いいえ、宜しいのですよ。
そうですね。“魔法使い”とは魔力の籠った“呪言”で世界を呪い、世界の理を捻じ曲げるスキルです。
わたしは好ましいとは思いませんが、そう言ったギフトが存在しているという事は、世界がそれを認めているという事なのでしょう。」
フィンさんはじっと俺の目を見つめながら話している。
彼女のコバルトブルーの瞳に飲み込まれそうだ。
「それに対して、“魔導”は全く別物です。“魔導”は謂わば神の力なのです。」
「神の力ですか?」
「そうです。神は自らの“意志の力”で直接世界の事象を書き換えます。
“魔道”もそれと同じ。
ただ、“魔道”は自身の魔力と周囲に存在する自然の魔力を借りて己の“意志の力”に相乗し、世界の事象を書き換えるのです。
様々な制限は有りますが、まずは世界の理を理解していなければ“魔道”は使えません。
わたしが授かったギフトは“世界の叡智”。
この世界でこのギフトを持つ者は、未だかつてお師匠様とわたしのたった2人だけ。
ですから、この世界で“魔道”を使えるのはお師匠様とわたしだけなのです。」
「ああっ、これでやっと分かりました。
時々、フィンさんから爆発的なオーラが燃え上がって、敵に向かって放たれるじゃないですか。
“守人”の時や“T.レックス”の時もそうだった。
あれが“魔道”なのですね?」
「えっ、ダイチ様にはアレが見えたのですか?・・・・・」
フィンさんは右手の手の平を上に向けて俺の前に差し出し、目を閉じて意識を集中させた。
「あっ、これです。フィンさんの瞳の様なコバルトブルーの光を放ったオーラの光珠ですね!」
フィンさんはオーラの光珠を星空に飛ばし、双月に問いかける様しばらく青い月を眺めていた。
「ダイチ様。わたしにはイースの血脈を護るという定め以外に、もう一つとても大事な定めがあるのです。」
「もう一つの定め?ですか。」
「はい。今まだ詳しくお話し出来ませんが、世界の運命に係る大事なのです。
なので、どうかわたしと“予言によって決められし地”に一緒に行って頂きたいのです。」
フィンさんは俺に断られる事を恐れるように、だが縋るように俺の胸に両手を当てて願いを述べた。
俺の胸に触れたフィンさんの両手。
この胸の鼓動も伝わっているのだろうか・・・
彼女の両手を胸から外し、そして優しく俺の両手で彼女の柔らかな手を包んだ。
「貴方が必要とするのなら、俺は何処までも貴方のそばにおりましょう。」
彼女は黙って俺の手を握り返してくれた。
無言で見つめ合う2人に、青い双月は少し照れた様な柔らかな月光で2人を優しく包んでくれた。
––––「黒の女魔道士」了
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皆様、ご愛読ありがとうございます。
「黒の女魔道士」の項お楽しみ頂けましたでしょうか?
次項「ヴァロワ王国の危機」の投稿は、3・4日後に投稿いたします。
今暫くお待ち下さい。m(_ _)m
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