第24話 嵐の戦場

 それはさながら“津波”。

 巨鬼ゴブリン・グランデたちが、一面の肉壁となって押し寄せる。

 殺意の震動が近づいてくる。

 

「ワレらの“マユ”に……カミを、ヤドす……」

 呪術祭司ドルード

 坐する祭司たちが追従する。

 壁に群がる蜘蛛スパイダー蜥蜴リザードさえも同調して。

 絶望の深淵が蓋を開ける。




 この光景を前に、私に何ができただろう?

 この“災厄”を前にして、私の力など蚊ほどの意味もない。

 この状況を打破できる可能性なんて欠片も──


「大丈夫だ、ディーネ」

 それでもが膝を屈することはない。

 魔物の軍勢を前に逃げるそぶりも見せない。


「君に、謝らなくちゃいけない」

 カイルが剣を抜き鞘を腰から外した。

「イアは“鳥の精霊シーガル”じゃない」

「……!」


 軍勢が間近に迫っている。

 肉壁がすぐそこにある。

 ゴブリンの巨剣はもうカイルに届く。


 巨体の腕が上がり武器が掲げられる。

 魔力のオーラでカイルを叩き潰そうと。

 それが摂理であると。

 逃れられない運命であると。



「──カイル!」



 ……

 ……

 ……


 

 私の声は何かにかき消された。

 気づくまでにしばらくかかった。


 とても鈍くて重い、泣き声のようだった。

 巨剣とともに、ゴブリンの頭が切断された。


 カイルの腕が真っ直ぐ横に伸びている。

 剣を振ったのだ。

 私には見えない速さで。


「──」

 そして葬った。

 人には伍しえない魔物を、一撃で。


 頭を失ったゴブリンの巨体が頽れる。

 突然一体を失った軍勢の進軍が止まる。

 

 一瞬映ったものに、私は目をこすった。

 剣の先に、が見えた……気がしたけれど。


「行くぞ、イア」

 内なる精霊に声をかけ、カイルが前に出る。

 その背中に、私は翼を幻視した。


 かつてこの世界に君臨した、神なる竜の翼を。




□□□



 

 “嵐の大戦テンペスト”。

 そう言われたってきっと信じていた。

 

 地下空洞が魔物の轟音に覆われる。

 ゴブリンの咆哮、蟲の蠢き、祭司たちの歌声。

 全てが入り乱れた混沌。

 私の知る世界はもう、どこにもない。


 虐殺。

 それしかない。


 大群とたった一人。

 勝負など成立するはずのない一方的蹂躙。

 無数の魔物が一人の剣士を叩き潰す。

  

 それしかない、はずなのに。

 



 ──

 目に映るのは次々と地に伏せる魔物たち。

 宙を舞う四肢。

 雨のように散る鮮血。


 精霊イアを体に宿したカイル・ノエ。

 その動きは常軌を逸していた。


 空洞内を縦横無尽に駆け巡りあとには魔物の死体だけが残る。

 蟲たちが飛びかかるそばから脚を失い体液を噴きだして沈み。

 空から襲いかかる蝙蝠バットの群れが羽を奪われて墜ち。

 大棍棒が振り下ろした瞬間に砕けてゴブリンの巨体が両断される。

 魔物たちはカイルに触れることさえできない。



 何だろう。


 



 そして時折刀身から放たれる

 見間違いじゃない。

 カイル・ノエは炎を駆る。


 炎は激しくうねり渦を巻いて魔物たちへと襲いかかる。

 さながら舞踏のように。

 薄暗い地下空洞を流れ巡る灼熱の舞い。

 

 炎が触れた瞬間に魔物の体が溶けて崩れていく。

 鉄板さえ貫く蜘蛛の脚も刃を通さない蝙蝠の皮膚もゴブリンが身にまとう鎧も、炎の前には意味をなさない。

 付与された強化魔術ごと魔物が焼き尽くされていく。


 魔法?

 それともイアの力?

 分からない。

 魔法使いの“眼”を凝らしても炎の魔法階梯は読み取れないし、あんな赤黒い炎を秘めた精霊も知らない。

 この人はどれだけ私の想像を上回ってくるのだろう。




 軍勢がどんどん数を減らしていく。

 これが“戦争”だったらとっくに勝敗はついてる。

 数を力にしていた魔物たちも即死の運命を前に竦んでいる。


「おおおっ!」

 軍勢が完全に動きを止めたのを見てカイルが前に出た。

 刀身全体にあの炎を迸らせ、必殺の一撃を叩きこもうとしている。

 

「“カミ”のオチカラ……ミゴト……」

 ドルードが杖を振る。

 途端、無数のが四方から湧き出てきた。

「──!」

 固まって肉厚の壁を形成した蛇たちが、カイルの放った炎の嵐を受けて燃え尽きる。


「スコし、サがれ……」

 カイルのわずかな硬直を見逃さず、ドルードは続けて大量の魔法弾を杖から放った。


 カイルは後退しながらも剣と炎とでその全てをさばき切る。

 再び私の前に戻って来たとき、空間は魔物の死体と焼け焦げる匂いとに満たされていた。


「前よりずっと上手くできてる。悪くない」

 “中”にいるイアに対してか、カイルは自分の力に納得するように言った。

「あと一息だ」


 一部始終を見ていて、私は何も考えられなかった。

 少なくともこの状況を説明できる理屈は、何も。


 一瞬前まで死を覚悟していたのにずっと遠い場所に来てしまった気がする。

 もしかしたらもう私は死んでいて夢を見ているだけなのかもしれない。

 そう思いたくなるくらい何もかもが理解を超えていた。



□□□



「そのチカラ、スバらしく……」

 訪れたわずかな均衡状態に、ドルードは。

「ワレらが“マユ”に……おムカえし……」

 無数の軍勢を失った祭司長は


 杖を両の手で握り激しく地面に突き刺す。

 それを合図に周囲の祭司たちが声を上げて腕を振った。

 まるでどこか遠いところに、呼びかけるように。


「アクムはケッして……オわることナく……」

 

 それは詠唱か。

 

「イノチはエイエンの、ラセンのナカに……」

 

 あるいは祈りか。



 ──

 ──

 ──



「そんな……!」

 信じられない光景に、私は目を見開いた。


 血塗れの肉塊が再生していく。

 バラバラになった肉体が再び集まり形を成していく。

 ゴブリンも蜘蛛も蝙蝠も有象無象の魔物たちも、すべてが蘇る。

 

 ありえない。

 何十、何百体だというのだろう?

 これだけの数を一瞬にして蘇らせるなんて。


 蘇生術とはそれ自体奇跡。

 死者の肉体にかろうじてとどまる魂の気配をつかんで、体内に再固着させる神技。

 人一人を蘇生させるのに神官は己の命を引き替えにするほどの魔力と集中力を必要として、それでも成功の可能性はわずかだというのに。

 この、太古の時代を生きた祭司は。


「“超越者トランセンダー”……」


 魔術書に書かれていた文句。

 ただの魔物モンスターを指す言葉じゃない。

 それはより“彼方イムラヴ”に近い、現世を超えた超常的存在。

 生きながらに神の領域に踏み込んだ、



「面倒だな」

 カイルが吐き捨てる。

 

「“カミ”のおチカラはムゲン……だがは、ショセン“ヒト”……いつまで、タタかえる……」

 無数の軍勢が再び立ちふさがる。

 その威容はさらに力を得て絶望の色を濃くしていた。


「お前を倒して地上に帰るまでかな」

 剣を払ってカイルは答える。

 額にはじわり汗がにじんでいた。

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