8話

 そうして翌朝。


 暫く酒を飲んでいないクズは――誰よりも早く目が醒めていた。

 健康的な早寝早起きと言う訳ではない。

 正確には、眠りが浅いからだ。


「……クソが。またエロの夢か」


 あの日、出島でエロに襲われた日。


 あれは――今思い返しても、またとない絶好の機会だったとクズは思う。


 もしもあの時、自分が説得なんてまどろっこしい真似をせず、全力でエロを捕らえていれば――こうして大八洲で面倒な内乱に巻き込まれる事態には陥らなかった。


 今も尚、自分が下手を打ったせいで団員たちを危険な目に遭わせている。

 それで団員たちに「危険だから大陸に戻ってくれ」と言っても、言う事を聞いてくれない。


 それは嬉しくもあり――クズにとってはストレスだ。


 また、己の大切な人を亡くす予感がする。

 国家存亡の動乱とは、そう言うものだと――クズは強く理解していた。

 だからこそ、強いストレスに襲われる不安から眠りも浅くなる。


 思えば――ここの所、アナを奪還出来た件を除けば、ストレスフルの生活をしているなとクズは気が付いた。


 自身の父親との再会と、決別。

 心を鬼にしての、奴隷船に乗っていた人物たちの移民先決定。

 ヘイムス王国では国難レベルの経済危機に直面し、危険度S級という国家が滅ぶレベルのドラゴンと戦闘。

 自身と苦楽を共にしてきた精霊たちの力を最大限に借り、魔力回路のパスが焼き切れんばかりな死闘の連続。

 そうして休む間もなく、もう1人生き残っているかもしれない義妹を探すための海外渡航。

 海を渡った謎に包まれる鎖国をしている外国で、一から全てを観察しながら傭兵団を護りつつ、義妹を救う算段。


 心身共にストレスに晒され続け、眠りが浅くなるのも当然の話だった。


「夜が白み始めた、か。……外の空気でも吸って来るか。少しは気も紛れんだろ」


 紅葉と言う、大八洲の木々の葉が色付く様は中々に壮観だ。

 まるで天然の絨毯を見ているような気分になる。


 そうしてクズは寺田屋を出て、船が並べてある川沿いに少し歩き――。


「「――あ」」


 出会ってしまった。

 昨日――クズたちを大変な目に遭わせた元凶。


 自分を追っていた神饌組を、クズたちに押し付けた犯人――啓発そうな細身の男に。

 腰には刀を差している事から、この男も武士とやらだろうとクズは思う。


 ならば――。


「おうおうおう? てめぇ、昨日はよくもやってくれたな? お陰で俺は肥溜めとお友達になりながら逃げる羽目になったんだぞ?」


「いや、ごめんよごめんよ! わ、私もね、悪気があってやった訳じゃないんだよ? その……肥溜めってのは、どういう事かな?」


「悪気が無ければ人を殺しかけても無罪になるとでも!? はぁん!?……肥溜めは、あれだよ。肥溜めが入った木桶に隠れたんだよ、俺は。ぜんっぶお前のせいでな!?」


「なにそれ? 私も色んな逃げ方をしたけど……お兄さん、面白いね。私でさえ、そんな逃げ方はしたことがないよ」


「なぁにを楽しんでんだコラ!? 詫び入れろ、詫び!」


 もう完全に、クズはチンピラ同然である。

 それもかなり小物っぽい輩だ。


 クズが昨日抱いていた怒りは、元凶たるこの男と再会した事で――再燃していた。


「いや、本当にごめんよ! 詫び、詫びか……。そうだ、なら貴方が望む事を聞かせてくれよ。こう見えて、それなりの事は出来るんだよ、私は」


「あん? 俺の望み?」


「そう。金でも酒でも、勿論――それ以外の事でも、さ」


「それ以外の事……」


 クズの怒りのボルテージは――グングンと落ちていく。

 それに対し、煩悩ゲージがみるみる上昇している。


「――祇園の紹介制のお店とか、知ってるか? 結構あれってさ、敷居が高いんだろ?」


「祇園? ああ、そんなの余裕だよ。私はこれでも、かなりその辺の店を使うからね。紹介制、一見さんお断りの店ってのは、色々と都合が良いのさ」


「――マジ、でか……」


 昨日会った黒霧藩の男より――この男は軽薄そうだ。

 と言うか、何処か――クズと同じような匂いを感じる。


 勝とは違う意味で、飄々とした実力者。


 取っ付きやすく、何故かパーソナルスペースに入り込まれても不快にならない、不思議な魅力を感じるのだ。


「お兄さんは祇園の店を紹介して欲しいみたいだね? 良いよ、詫びだけじゃなく、私の命の恩人だとも言えるからね。ご馳走させて下さいよ。何時にします? なんなら、今夜でも良いですよ?」


「こん――……」


 今夜。

 二つ返事で受けようとして――予定があると気が付く。


 同じ祇園で、黒霧藩士の男から詫びだと紹介される店で、クズは遊ぶ予定なのだ。


「今夜は、予定が……。いや、梯子すれば……。待て待て、一晩で2ランク上の男になるのは性急過ぎるか?」


 ぶつぶつと呟きながら、今夜の予定を脳内で思い描く。

 脳内では童貞を卒業し、そして――更なる技能向上を図る自分をクズは想像していた。


 だが、一気に一晩で……と言うのも――余韻がない。


 つまり、風情がない。

 作業のようですらある。


 それは童貞度卒業と言う待望のイベントにおいて、どうなんだろう。

 クズは悩みに悩み、頭を抱えた。


 すると、それを見ていた啓発そうな男は――。

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