第15話
城門前を包囲するクレイベルグ帝国軍の陣中から、アナント兵の兵装をした一団が姿を現した。
降伏した一団であろうが――集団の先頭に立つ男の煌びやかな鎧、マントを眼にした時、驚愕に眼を見開いた。
「――父さん……?」
城門前に馬を進めた兵を率いていたのは、ランドルフ・ヴィンセント公爵であった。
一体、何をするのかとクラウスがより注意を払って観察していると――ランドルフはよく通る声で城内に向かって叫んだ――。
「――既に戦は決した! 悪戯に籠城し民を苦しめる愚王よ! ただちに降伏せよ!」
ランドルフ公爵は、城内に向け罵声を浴びせ挑発を行った。
ルーカス王の弟にして、数々の国難をクラウスとともに救い――『救国の英雄』、『最優の騎士』、『尽忠報国の騎士』などと賞賛された男が、口汚く自国の王に対して罵詈雑言を浴びせている。
重臣として重用されながらも王に背いた事が腹に据えかねたのか、城門を開けアナント兵達が飛び出してきた。
途端、クレイベルグ帝国の大軍が城門に向かって突撃を開始。
出てきたアナント兵は、瞬く間に飲み込まれクレイベルグ帝国の大軍に溶かされていくかのように消えていった。
慌てた城兵が、まだ味方が城門の外にいるにも関わらず城門を閉め――取り残された兵は、一兵残らず殲滅された。
クラウスは、父が発端で起きたその虐殺をただ見ているしかなかった。
「何という……っ。何という愚かな真似を……っ!」
我が身かわいさに大恩ある王を罵り、同胞を虐殺した見苦しき父の姿を思い出して――クラウスは自分の中の血を全て捨て去りたくなるほど恥じた。
「これでは、王城に人質にされているエロディアも……ッ。王城内の内通者など、信じられるかッ!」
クラウスの肌からは、食い込んだ爪により出血していた。
血が流れても流れても、クラウスの羞恥と怒りは収まらなかった。
――ランドルフ公爵が挑発を行った翌朝。
城門が開かれたのが見え、次々とクレイベルグ帝国兵が入場していく。
――アナント王国が全面降伏し、滅亡した瞬間であった。
「――すまない、エロディア、アナ……っ! すまない……ッ!!
いてもたってもいられなくなったクラウスは、略奪できる村や人が残っていないかと山狩りをしている帝国兵の一団を見つけ――即座に切り捨てた。
一瞬のことであった。
クレイベルグ帝国兵の全身鎧を剥ぎ取ったクラウスは、入城するクレイベルグ帝国兵の列に堂々と紛れ込んだ。
ヘルムを深く被ったクラウスの正体に気が付く者はいなかった。
入場するクレイベルグ帝国兵を見るアナント王国民――旧アナント王国民達は大勢が涙していた。
住民達は一様に剣呑な雰囲気で王都へ入るクレイベルグ帝国兵に殺意の籠もった視線を向けていた。
住民の噂話から、ルーカス王は責任を取って既に自害されたこと。
――残った王族も、一族もろとも全員殺されたこと。
そして、『災誘の逆臣ランドルフ・ヴィンセント』という怨嗟に満ちた声が聞き取れた。
王の死、アナの死は――口伝で聞いても、全く現実味がなかった。
ただクラウスは、件の『災誘の逆臣』と血の繋がった家族であることを心から恥じ――自分の家族の安全が脅かされていることを察した。それは王宮にいるエロディアも一緒だ。
父はクレイベルグ帝国側と家族の身の安全を取引材料にしていたが、それはあくまでクレイベルグ帝国側との話。
怒り狂った旧アナント王国民がランドルフ・ヴィンセント公爵の家族を害する可能性は十二分にあった。
慌てて貴族街に眼をやると――立ち上る黒煙が見えた。
クラウスは、すっと自然に脇道に入ると――一目散に公爵邸。
義母とマルターが住んでいる邸宅へ急行した。
「どうか、どうか無事でいてくれ!」
重い鎧と腰に帯びた二刀が走る度にガチャガチャと音を立て、関節に負荷をかけ続ける。
疲れ果てた身体は息がヒューヒューと喘鳴のような音を立て、足は鉛のように重くなっていく。
毛細血管が切れたような激痛がクラウスの足腰を襲おうと、重い鎧が立てる忙しない音が止まることはなかった――。
公爵邸の前まで辿り着くと、慣れ親しんだ家は破壊し尽くされ――火が放たれていた。
「私は、俺は――間に合わなかった……のか?」
灰となった邸宅を見つめて絶望し、両膝を突いて崩れるクラウスの耳に入ったのは、殺気だった住民達の狂気混じりの声だった。
「逆臣の一族はどこに逃げたっ!? 探せッ! 見つけ出して八つ裂きにしろーッ!! 王の墓前に首を捧げるんだッ!!」
強い語調で裏切った父と――もしくは自分も含まれているのだろうか。
家族を弾劾しようと怒りを爆発させる住民達の声を聞いて、クラウスは自分の家族は現在、なんとか逃げのびてくれている事を悟った。
「まだ、可能性はある! 俺が先に見つけ出して、逃げなければ!」
クラウスの身体は栄養不足で痩せ細り、視界は陰り朦朧としている。
それでも、クラウスはまだ残る宝を――自分の失った『楽園』の一部を取り戻すために必死に駆けずり回った。
頭の中には、家族と交わした楽しい思い出が走馬灯のように巡っていた。
その時、思い出した言葉があった。
「昔、義妹達が近くの洞窟に秘密基地を作ったと言っていた……! ここなら住めるともっ!」
詳しい場所は知らない。
だが、王都の中で洞窟と言えるような場所はそう多くない。
貴族街を抜けた先にある小さな山、そこに洞窟があった。
洞窟が視界に飛び込んできた瞬間、クラウスは歩調を速め近づいた。
「誰かいないかっ!? 俺だ!――クラウスだっ! 頼む、出てきてくれッ!!」
洞窟内に向かって叫んだ。
辺りに人影はなく多少叫んだところで、人が来る様子はなかった。
「――……義兄様?」
囁くようなマタの声が聞こえた。
「マルターっ!? いるのか!?」
ゆっくりと恐る恐る、泥だらけになったマルターが――深いフード付きローブで身を隠しながら洞穴から出てきた。
「マルターっ!」
「義兄様……っ!」
義兄をはっきり視認すると、義妹は泣きながらクラウスに抱きついてきた。
「よかった……! 生きててくれてっ!」
「街の人が……ッ! 武器持って、襲ってきて……。みんな、私達を裏切り者って……怖くて!」
「すまない……っ! 本当に、すまない……っ!」
痛いほどにお互い抱きしめ合って泣いた後、クラウスは気が付いた。
「――義母さんはどうしたっ!?」
「食糧を探しに行ってから、帰ってきてない……っ」
「いつのことだっ!?」
「朝……」
「まだそれほど時間が経っていない……っ。マルター、ここに隠れていてくれ!」
「……義兄様っ。どこに、いくの?」
「義母さんを探しに行く、絶対にそこから出るんじゃないぞっ! サラマンダー、ウンディーネ!」
――クラウス……。そなた、大丈夫なのか? もう、体力も魔力も残ってないじゃろう?
――お前、そんなボロボロの身体でこれほどの魔力行使を……死ぬ気か?
「今、俺のことはどうでもいいっ……! 頼む、ここで義妹を守ってやってくれ!」
――……分かった。ここは此方に任せるのじゃ。
――魔力が尽きる前に必ず帰ってこい。お前の魔力が尽きたら、俺達も顕現できないからな!
「ああ、任せたぞ……!」
義妹を精霊達に託し、再び鎧を身に着けたクラウスは再び駆け巡る――と、住民の狂気に満ちた声が聞こえてきた。
「――おい! 刑場で逆臣とその一族が晒されてるってよ!」
「何だって!? ざまぁねぇっ! 見に行こうぜっ!」
男達が狂気に満ちた表情と声を弾ませて駆けていった。
――逆臣とその一族。
今回の負け戦で寝返った人間は数多くいるはずだ。
それでも、クラウスの頭には自分の家族のことしか浮かばなかった。
クラウスは男達の背を見失わないよう必死に追った。
暗い処刑場の場所なんて、光輝く経歴で『最優の騎士』であるクラウスは知らなかったのだ。
やがて、大きな人だかりと罵詈雑言が近づいてきて――。
一際目立つ木を視認した瞬間――思わず歩調を緩めた。
遠巻きにでも理解できた。
「――義母さんっ……! とう、さん?」
既に事切れているだろうに、磔にされ人々から石を投げられているのは――優しかった義母だ。
そして、同じく磔にされ隣で全身ボロボロの中で晒されているのは――おそらく父だ。
血だらけになっている上、遠巻きであるから断言は出来ない。――したくない。
だが、実の息子から見ても――あまりに父の顔と似通っていた。
『クラウス、血は繋がっていなくても、大好きよ。無事に帰ってきてくれてありがとうね』
「ぁぁ……っ」
『あなたは私の宝物よ!』
「――ぁああああああああああああああああああああああああ……ッ!」
『生きて、生きて帰ってきてね!』
「……義母、さん……ッ!」
頭の中に義母の優しい声が、笑顔が――心配して顔を歪める義母の姿が――。
『お前の優しさが、身に染みるな。大人になりやがって』
『クラウス、まずは生き残る事だ。決して無謀な事をするな』
幼い頃から、大きな背中で先を示してくれた父の姿が――。
一家五人の笑顔に満ちた食卓が走馬灯のように頭を巡り溢れ出し、脳を揺らす。
喧嘩別れした父と仲直りできず――このような形で再会を果たすなんて、思っていなかった。
そんな時、民衆の中から斧が投げられ――父の首を落とした。
『命中したぞ!』、『よくやった!』と喝采を送る民衆に背を向ける。
「――ぅ……げぇっ! ぐっ……ぼぉっ……ぇッ!」
既に胃の中に吐き出すような内容物など無い。
それでも強い嘔気が胃液を逆流させ、口や鼻を伝って出て行く。
胃酸が食道と鼻腔の粘膜を焼き、喉の違和感は増していく。
「ごめん……なさい。――ごめん、なさい……ぅっ!」
クラウスは刑場に晒されて大衆から嬲られる両親に背を向け――口を押さえて走り出した。
王城に一度目を向けるが、王城には既に数多の帝国兵が入場していた。
厳戒態勢が敷かれ、鼠一匹の侵入すら許さないと言った様相だ。
『絶対に、帰ってきてもらうからね』
『私は、きっとあなたの騎士になります』
『頑張ってね』
幼少の頃。
緋色に染まる丘でしたやり取りが、まるで昨日のように思い起こされる。
『初めまして、義兄さん……とお呼びしてもいいんですか?』
『義兄さん、見て下さい! 帰ってくる義兄さんの為に、プレゼントを作ったんです!』
「……アレクサンドラ王女、エロディア……」
今すぐこの身を捨てでも、アナが生存している夢物語のような可能性を信じて王城へ突っ込みたい。
義妹の身は、エロディアの身は保護されているだろうか。
いや、エロディアも父の――王族の一人だ。
既に処刑されている可能性が高い。
それでも、無い勇気を振り絞って震える脚で――王城へ突っ込みたい。
だが、これでマルターまで死なせてしまったら。
王都まで走ってやっと助け出せた自分の大切な者が、自分を信じ待ってくれている存在の全てが灰燼に帰す。
無謀だろうと王城へ突入するか、確かに生きている存在を護るか。
『もう、行ってらっしゃいなんだ。……冷たいね』
『絶対、帰ってきてね。私の剣、盾である騎士なんだから、離れちゃダメなんだよ』
「――アナっ! アナぁああああああああああああああああああああああ……ッ!」
『自由に空を飛ぶために翼を広げてね』
『囚われないでね。人の為じゃないよ。自由に生きて。――約束、だよ』
燃えさかる自分の生家と、無残に晒された家族。
人々の激情に突き動かされた慟哭が、暴徒化した行動が脳裏に浮かぶ。
――もはや、クラウスには二の足を踏んで逡巡している暇は無かった。
「――゛ぅ……゛ァ゛ア゛ア゛ア……ッ! ゛ァ゛ア゛ア゛アア゛ア゛アア゛ア゛アア゛ア゛アア゛ア゛アア゛ア゛ア……ッ!!」
クラウスは唇を噛み切り、涙を堪え走った。
――まだ生きている義妹を、マルターを確実に助けるために。
そして洞穴から義妹を連れ出したクラウスは、戦後のゴタゴタで統制が乱れている隙を突き、王都を脱出した――。
――エロディア、アナ、ごめん……! ごめん……!!
周囲が全て敵に見えたクラウスの孤軍奮闘は、義妹を抱えて逃走という形で幕を閉じた。
――最愛の人や家族との約束すら守れず。騎士として最愛の君主であるアナを守れず、無様に逃げる俺は、俺なんかは……クズだ!
――救いようのない、クズだ!!
義妹を差し出し、あまつさえ救う挑戦をしなかったクラウスはこの日、クズになった。
騎士として護るべき対象――アナを救えなかったクラウスはこの日、騎士では無くなった。
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