師匠の訪問と別れ

「随分とタイミング良く手紙をくれてありがとうございました」


 師匠はフッと笑う。中年の男性で黒髪黒目の落ち着いた雰囲気を持つ私とウィルの先生だ。笑っていても本当に心から笑っているとは限らない、何を考えてるのかわからないミステリアスなところがある。


 ウィルが幼少の頃から教育係の一人として王宮に出入りしており、今も時々意見を聞きたい時に来てくれる。『自分で考えなさい』と来ない時もあるらしいけど……。


 私が会いたいと望むとウィルが話してくれ、時間と場所を作ってくれた。断られるかと思いきや、師匠は意外にも承諾して来てくれたのだった。


 師匠がすぐに答えをくれないのは手紙も同じでラッセルの時にくれた私宛の手紙も『愛』という文字しか1枚の紙に書いてなかった。


「ラッセルが王宮政務官になったからには、なにかありそうな気がしていましたからね」


「以前から思っていたんだけど、もっと詳しく手紙を書いてくれたら楽なのにって………」


「おや?リアンも半ば楽しんでませんか?わたしからの手紙を読み、答えを導き出すことは楽しいでしょう?」


「時間がある時は楽しいけど、無い時はさすがに焦るわ。師匠は変わりなく相変わらずね」


「いいえ。人は変わります。陛下のようにね」


 ……何が言いたいのだろう?師匠にアナベルがお茶を出すと美味しそうに飲んだ。しばらく静かな間があった。


「リアンには悪いですが、賢いあなたならもう察してますよね?あなたをわたしは利用しました。ウィル……陛下の傍に置きたかった。この国のためにね。幸い、あなたのご両親も同じ思いだったようですから助かりました」


「皆に利用されたのね!……なんて言って傷つく私ではないわ。ここにいることは私の意思だもの」


「そうでしょうね。リアンなら本当に嫌であれば、どんな手を使ってでも、ここから去っていくでしょうね。そうそう。怠惰作戦は面白いと思いました。それで王から気に入られないようにし、穏便に後宮から出ようとしたんでしょうが、相手がまさかウィルだと知らずに……リアンは恋愛対象として、意識したことはなかったかもしれませんが、ウィルのこと嫌いじゃなかったでしょう?後宮へ召された時、誰の顔が浮かびましたか?」


 ギクリとした。師匠は怖すぎる。私の心の内までよく読んでいる。


「私といい、ラッセルのことといい……師匠は人の恋心を読みすぎよ!」


 焦る私の心など知らないとばかりに、ニコニコ微笑む師匠。


「ラッセルのことは騒ぎにさせたくなかっただけです。あなたに関してはどうしても陛下のお傍に置きたかった。わたしの生徒の中でも逸材ですからね。稀に見る才能を持ってます」


 私は師匠がそんな事を言うのが珍しすぎて目を丸くした。


「どうしたの!?師匠、どこか消えるつもり!?それともお腹の調子でも悪いの!?」


「そういうわけではありません。どうしてあなたはそうなんです?素直に褒め言葉を受け取りなさい」


「師匠は滅多に褒めないもの。いつもと違う気がするのよ。おかしいでしょ?なんだか最後だから言葉を言い残していくのかと思ったわ」


「褒めてますよっ。だいたいリアンは先を読みすぎて素通りすることがあります。まったく……。実はリアンに会う前の陛下は酷かった。国を良い方向に導ける王ではなく、いずれ国とともに沈みたいと考えそうなくらい深い孤独と闇の中を歩いていた。わたしも救いようがなかった。この国はもう終わりですねと見切りをつけようと思いかけました」


「そんなウィル見たことないわ」


「頭が冷えるとはよく言う表現ですけど、あなたに水をぶっかけられた瞬間に目が冷めたんでしょうね」


 フフフフッと心底楽しそうに師匠は笑った。水……?水なんてかけたかしら?ああああ!?もしかしてホントに初対面でウィルがドアを開けた瞬間に水の魔法の研究をしていて、ぶつけちゃった!?そ、そんなこと私、しちゃってた!?


「あの瞬間なの!?」


「それで一目惚れとか、陛下は変な趣味ですよねぇ。でもわたしも嬉しかった。これでこの国を救えると思いました」


「救うとか、大げさよ!ウィルが国を滅ぼすわけないわよ!」

 

「人はいつも光る場所に立ってるわけではありませんよ。簡単に黒い手が伸びてきて暗闇に引きずり込まれる。リアン、気をつけなさい。誰であろうと憎しみや悲しみに囚われるときがあります。あなたは、この先になにがあろうとも、常に冷静に成功へと導けるようにしていなさい」


「師匠、なにがあるわけ?なにか起こることを予測してるのね?ただ、今日ここへ来たわけではない気がするわ」

  

 にっこり微笑む師匠。答えは口にしない。いつもどおりの師匠のやり方だった。


「あなたなら大丈夫だと信じています」


 この先なにか不穏なことがあるっていうの?不吉なことを言い残して師匠は帰っていった。師匠が王宮にいてくれたら心強いのに、なぜか決して政治に関わらない。あれだけの能力を持っていても出世は考えず、常に学び、知識を得ることに喜びを感じている。


「相変わらず、どこか不思議な雰囲気の先生ですねぇ」

  

 アナベルがそう言った。師匠が味方で良かったと思う。敵にすれば手強い相手だわと……。


 そしてその数日後だった。師匠は私塾を閉めて、この国から消えたとウィルから聞いたのは。やはり師匠はお別れに言いに来たのだとわかった。


 どこへいったのだろうか?誰もその行方を知ることがなかった。世界商人の父の情報網にもウィルが使っている王家の情報網にも引っかかることなく、見事に足あとを消して、行方をくらませた師匠だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る