世界が終わる三分前『自販機』編
大田博斗
001
人口1000人ほどの田舎にあるたった1つの自販機。その周りの地面には、草が生え、錆びたベンチが転がっていた。
斜陽が自販機の先に見える静かな海を照らす、世界が終わる3分前の景色。空のヒビは大きくなっていき、徐々に崩壊が始まっていた。
とある若い男が1人、自販機の前に現れた。男は財布から小銭を手に取り、自販機に入れる。
緑色に光るボタンがきっちり整列している。その中から男は迷わず1つの飲み物を選んだ。
ガタン!!
飲み物が勢いよく落ちてきた。
男はしゃがみ込んで飲み物を取り出した。缶コーヒー、ブラックだった。
男は缶コーヒーの栓を開け、一口飲んだ。
「世界が終わる3分前に選んだのは、ブラックか……」
話しかけてきたのは、ベンチに座っていた初老のおじさんだった。話しかけられるまで存在に気づかなかった男は驚いた様子だった。
「おっと、失礼。驚かすつもりはなかったんじゃ。…ここで、よくそれを?」
おじさんは缶コーヒーに向かって指を差しながら言った。
「……微糖しか飲んだことが無かったので、最期に試してみようかと」
「そういうことやったか。即決だったから、いつもよく飲んでいるのかと思った」
おじさんは笑っていた。男はおじさんの座っているベンチに腰を下ろして、景色を眺めた。
漣の音が鼓膜を心地よく揺らしていた。
「ここの景色は、いいだろう?」
おじさんは訊いてきた。
「はい、僕もお気に入りの場所です」
男はそう言ってブラックを一口飲んだ。
「あなたは何を飲んだのですか?」
男は訊いた。最期と分かると、誰とでもいいから一緒に居たいと思えてきた。
「わたしは、酒を飲んでる。持参した」
そう言って左手に持っていた缶ビールを持ち上げて見せた。
「最期には、酒が飲みたかった。どうしてもね。
酔い潰れたかった人生だったからよ」
おじさんは俯きながら微笑み言った。
「持参したんですね」
男は少し笑いながら言う。
「自販機の前のベンチだからといって、自販機のものしか飲んではいけないというわけではないだろう?
ここの景色を見ながら飲む酒は、実に美味だ」
「なるほど」
そう言って男はまた一口ブラックを飲んだ。
「……僕には、まだ早かったですね。すこし、苦いです」
男は、舌を出しながら笑って言う。
「ガハハ。
あんたは若すぎる。まだまだ若い。もっと人生の経験を積まないと、その苦味は中和できんよ」
おじさんは笑った。
「あなたはさっき、何か後悔があるような口調で人生を振り返っておられましたけど、やっぱり後悔しますか?」
男はおじさんに訊いた。
「ああ。
……わたしは後悔が多い人生だったよ。
後悔のない人生を送れる人は、相当強かったんだろうなと思う。わたしは弱かったから、何もできやしなかったよ」
缶ビールを右手に持ち替えたとき、空いた左手の薬指には指輪が光っていた。
「奥さん、いたんですね」
男は呟いた。
「あぁ、わたしには勿体ないくらいのね。なにもしてやれなかったが」
おじさんはそう言ってビールを口いっぱいにして飲んだ。ビールは空になってしまったようだ。
「だからさ、どれだけ酒を飲んでも、酔えない日々だったんだよ。
最期くらいは酔い潰れたいのさ。
そうだ!あんたよ。わたしの酔い酒につきあってくれや」
おじさんはベンチに置いていたビニール袋の中を漁り始めた。そして、まだ栓を開けてないビールを2本取り出した。空になった缶は袋に入れた。
カチャ!カチャ!!
炭酸が弾ける音がする。
「たくさん持ってきたのですね」
男は笑った。
「当たり前じゃ、最期の晩餐だからな!
コーヒーはもう後でいい。最期は2人、酒で〆よう。
さぁ!世界の終焉に乾杯!!」
2人は缶をぶつけ合った。
2人は夕日を眺めながらビールを飲む。
「息子がいたらわたしもこうしたかった……」
「何か言いました?」
不意に呟いたおじさんの言葉を、男は聞き取れなかった。
「いや、なんでもないんだ。……ほんとに。なんでもないんだ」
男は不思議がっていたが、それに目もくれず、おじさんは酒を飲んだ。
もうすぐ、3分が経とうとしている。
世界が終わる三分前『自販機』編 大田博斗 @hirotohiro3rd
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