teratect(テラテクト)
安 達子
#1 - 第1話
支給の警察職員ジャケットを広げ、袖を通す。墨色の生地に黄色の耐火性衣類用反射材をあしらったジャケットは、夜間の出動に着用することが多い。
内1基へと歩を進めると、上下左右の壁から滅菌消毒剤が噴霧される。
『 CLEAR 呼吸、体温、血圧、脈拍 すべて正常値です』
ゲート内臓のミストマシンによる滅菌処理とバイタルチェックだ。職員の間でいつしかこの一連の動作は『ミソギ《禊》』などと揶揄されているが、これも過去に猛威を振るった疫病からの学びだ。
緑のランプが点灯し、ゲートを通り抜ける。
左腕につけた時計型電子デバイスが、コール音と共に振動した。掌を返し手首のボタンを押下する。
「大場、緊急夜間任務のためブリーフィングは移動しながら行う。『
「了解」
大場は左手首に向けて短く応対すると、部屋の奥へと歩を進めた。
部屋の奥の壁には管理キャビネットが並列されている。
備え付けの指静脈認証装置に右人差し指を置き、制御ユニットの液晶パネルに左手首の電子デバイスをかざす。空気が抜ける音と同時に扉が開く。ひんやりとした冷気を全身に浴びた。
中には銃架台がずらりと並んでいる。台に乗せられた内一つの銃を手に取り、グリップを握る。
『
非接触型空中ディスプレイの表示と共にAIの電子音声ガイドが始まる。
『音声による使用許可申請をお願いします』
「申請 使用許可」
『声紋 照合中……』
3秒ほど置いてディスプレイに自身の所属と顔画像が表示された。
『
仏頂面の自分の顏画像と対面し、思わず眉間に皺が寄る。出来る事ならもう一度撮り直したい。そう思いながら大場は応対した。
「相違なし」
『使用許可を受理。麻酔行為は医療行為となります。注意をもって状態を監視し、その変化に即応して適当な措置にあたってください』
「承諾しました」
『続けて、服務の
「
『承認。音声情報を転送しました。カメラ機能をオンにし職務終了後に速やかに映像記録を提出してください』
配属早々一番にやったことと言えば、この服務の暗記だ。
毎度のこと儀式めいた作業だと思いながら、大場はバレルとトリガーの間にあるガンカメラのスイッチを入れ、ホルスターに銃身を収めた。
集合場所である防護二号車の前に到着した。
車のバックドアを開けると、アルコール消毒液の匂いが鼻をつく。大場は左部に備え付けの取手に手をかけ車に乗り上げた。
正面右手側にストレッチャーがあり、向かいに縦長の長椅子が置いてある。同じく支給の警察ジャケットに身を包んだ男3人が並んで座っていた。
空いている席は眼鏡をかけた小太りの男、
「田所さん、ちょっと席詰めてもらえますか」
「なんだと? 俺のこと遠回しにデブだって言ってんのか?」
大場は口をへの字に曲げると、構わず肘で田所を詰めるよう追いやった。
「痛って! お前、俺が先輩だってこと忘れてないだろうな?」
悪態をつく田所に構わず、大場はどっかりと腰掛けた。
「お前たち、子供みたいな喧嘩するな」
眉上に前髪を切り揃えた長身の男、
「緊急任務だけど、二人がいつも通りで安心するよ」
保立の隣に座る柔和な表情の男。係長の
「全員揃いましたので、発進お願いします」
「は、はい!」
緊張した高い声の後に、エンジンが入り車内に振動が伝わった。
発進を確認すると、小野塚が口を開く。
「今回の捕縛対象者のデータは、事前に各自の端末に送ってあるから資料を見ながら耳を傾けてくれ」
手首を目線の前に傾け時計型デバイスのボタンを三人は押下した。
液晶が空中に表示され、文字群と陰鬱な男の顏写真画像が表示される。
電子タグ識別番号:分類:1(エ365864-M)
【秘匿事項】氏名:
「タグ付きですか」
保立が声を上げると小野塚は軽く肩をすくめてみせた。
「矯正医療センターでプログラムを終え、社会復帰して二ヶ月目。センターでは模範生だったらしいが、本日、定例面談後に行方をくらませた。担当保護観察官から法務省経由でうちに依頼が来た」
「識別番号エってことは、強制性交か……最低な野郎だな」
吐き捨てるようにそう呟く田所の隣で大場も無言でその意見に同意した。
「8年前に東京圏郊外、防犯Cエリア住宅街にて三件の連続強姦殺人事件を起こす……」
当時のデータを大場が音読すると、小野塚は左右に首を振りながら呟く。
「被害者の気持ちを考えるとやりきれないな……」
「明日は、報道を見た死刑賛成論者が各省庁前でデモを起こしますね」
「嫌な予言をするな」
大場の発言に、保立はげんなりとした声をあげた。
「被害者感情は決して無視できないが、刑罰は犯罪への応報と同時に
諭すように小野塚が言う。少しの居心地の悪さを感じた大場は、目線を自身の足元へと移した。
西暦2085年。まるで延命措置のような時代を生きているように思う。
警鐘を鳴らし続けていた専門家の言葉も空しく。2043年以降、日本は人口の急落を迎えることとなった。総人口の4割近くが高齢者、勤労世代は不足。社会機能が麻痺するのにそう時間はかからなかった。
2050年「今や国家存亡の
小野塚は、この刑罰を社会的包摂でもあると言った。被害者、加害者共に実名は秘匿される。どのような人間でも社会の一員として取り込み、支え合う社会というのは、ある意味理想ではあると思う。
今回の分類:1(エ365864-M)は、どうだろうか。矯正などというのは所詮名ばかり。現実問題、改善が見られない人間は、どうしても一定数いる。
大場は、顔を上げた。ばちっと小野塚と目が合う。
「また、俺が甘いことを言っていると思った?」
そう言って微笑む小野塚に、大場は面食った。続いてため息をつく。
「はい」
「納得いかない時、君はすぐに考え込んで下を向くから分かりやすい」
へらへらしているこの男は、のん気そうに見えるが目ざとい。自分でも意識していなかった仕草を指摘され、大場は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「小野塚さんは、性善説を信じ過ぎなんですよ」
「それ、良く言われるなぁ……」
まるで意に介さない様子の小野塚に、大場はもう一度深いため息をついた。
お互い頑固なところがある。この話題はいつでも平行線だ。
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