第19話 処刑人

 何十、何百と積み重なったインプの亡骸。細切れにされたアバドンの死体―――。


 壁一面が血に染まり、天井からも滴り落ちてくる。


「ふっふふ・・・ひどい奴だ。よくもやってくれたな」


 デビルロードは両方の目で同じ景色を見ている。それは、紛れもない現実だった。彼の人間への怒りは過去最高にまで達していた。目の前の人間には、必ず地獄を見せてやらねばならない。


「・・・今は休憩中です」


 そう答えたのは、この殺戮を行った張本人。―――そこに居たのは、魔術師の姿をした女だった。


「生憎だが、時間がない」


「仕方がないですね。人間に擬態しているということは、あなたも高位の悪魔でしょう」


「・・・人間如きが図に乗るな。我々、悪魔を殺した罪を償わせてやるぞ」


「話が噛み合いませんね。なんて傲慢な生き物でしょう悪魔は」


「黙れ。やはり人間だな。この期に及んで対話を望んでいるのか?」


「いいえ。野蛮な悪魔に言葉が通じるとは思っていませんから。人の世界に危害を及ぼす害獣は処刑されるべきです。言葉などは聞きいれられません。"存在自体が罪"のあなた達には―――死んでもらいます」


「フッ。いいだろう」


 魔術師はそう言うと、巨大な鎌を構える。それは一般に職業としての魔術師の姿とはかけ離れた、まるで"死神"の姿だった。


 デビルロードは、並みの魔術師が操る魔法なら魔眼で無力化することができる。今回も相手の風貌を見て高を括っていたが、これは全くの予想外だった。相手の佇まいからして、明らかにその巨大な鎌を主軸にした肉弾戦を強いられることになりそうだからだ。

 奴は自分と同じ高位悪魔であるアバドンを殺した人間なのだ。ダンジョンマスターが、人間を憎んでも人間を侮るべきでないと常日頃から口にしていた言葉の意味が理解できた。


「・・・!」


 魔術師の大鎌は、大振りでありながら鋭い曲線を描いて、デビルロードの右の腕を切り落とす。


「よく避けましたね。・・・まぐれ?」


「・・・・・・・」


「次は確実に首を飛ばしますよ。覚悟してください」


「黒魔術を使うとは意外だ・・・」


 この女は、魔法で自己強化をして近接戦闘を行う戦士。体が追いつかないだけじゃなく、反応まで遅れた・・・。素の身体能力だけで実現できるスピードじゃない。【加速】の魔術を使っているのだろう。

 

 こんなおかしな奴がアバドンを殺したというのか。デビルロードにはとても信じられなかった。



 切り落とされた腕から出血が止まらないデビルロードだったが、死神は休む暇を与えない。


 再び大鎌がデビルロードを襲う。


 しかし、次の一撃も紙一重で命までは届かなかった。しかも、今度は体のどこにもかすらない。空を切っただけだった。


 死神は違和感を感じて首を捻る。

 敵が偶然の回避を成功させたことでなく、一度ならず二度までも、自分が攻撃を失敗させることに納得がいかなかった。二撃目を繰り出したことすら珍しいことだ。普段なら、どんな悪魔でも一撃目で息絶えている。


「悪魔のくせに。まるで神の加護を受けてるようです」


「そんなまやかしと一緒にするな」


 デビルロードには、既に理由がわかっていた。この奇妙な偶然の連続のことが。

 

 どちらにせよ致命傷には変わりない。腕をもがれて、出血でまともに戦うことも出来なくなるはずだ。なので距離を取ってなぶり殺しにすれば無傷でこの汚い悪魔を葬り去れる。というのが魔術師の思惑だったが、その期待は外れたようだ。

 

 よく見ると、デビルロードの失った腕からは、血は流れていない。


「・・・何事ですか?」


「【治癒】魔法だ。お前のように化け物じみた人間ははじめてだよ。まともに戦っていたら誰も勝てない」


 迷宮の奥から現れ、そう返事をしたのは、ダンジョンマスターだった。


 そしてもう一体、高位悪魔を従えている。


 高位悪魔といっても、擬態能力を持たない悪魔である。名は・・・"イービルアイ"とでも名付けるか。安易だが、外見から、今決めた。


 治癒魔法でダンジョン内の悪魔を自動的に回復するように設定されている、浮遊する"球体"である。体は鉄球のようで、基本どのような攻撃も受け付けないが、治癒魔法使用時には表面に目玉が露出する。

 高位悪魔にも色んな役割があるのだ。実際こうして役に立っているので、高位悪魔というものが、破壊や殺戮だけを念頭に置いたの階層わけでは語れないことがわかる。ダンジョンの戦力は、このように徐々に徐々に専門家されていくものなのだ。初めはなんかショボく感じても。


 あと、どう考えても目玉は弱点だろう。


 ダンジョンマスターが現れたのはデビルロードにとっても予想の範囲内。何故なら、先ほどの神回避を起こした"仕掛け"は常日頃ダンジョンに棲まう悪魔として、ましてや管理人として知っていて当然の事だからだ。しかし失血まで防がれたのはサプライズだった。


「どうもはじめまして。私はこの迷宮の主だ」


「・・・はじめまして・・・。?」


 魔術師の女は、迷宮の主という言葉がどうにも信じられなかった。

 そこにいるのはひょろっとした、細身のエルフのような男で、とても悪魔の親玉には見えなかったからだ。

 高位悪魔としての独特の邪気は纏っているが、これほどまでに人間に近い姿を持った悪魔を見るのは始めてだった。


「君に催眠を掛けさせてもらった。もちろん・・・気付かれないように、ゆっくりと」


 魔術師の女は不思議そうに周囲を見渡す。そして、ようやく自分の攻撃が二度も外れたことに納得した。

 当然、彼女は催眠には警戒していた。最初の作戦で一番最初に罠を見破ったのは紛れもない、彼女自身だったのだから。しかし、何故か気づいた頃には蝕まれていた。


 ――――油断していたわけではない。このひ弱そうな見た目の悪魔の親玉が、より狡猾で、より周到で、性格の悪い男だったのだ。

 

 彼女は壁の紋様が罠だと知っていたので、そのことだけに注意を払っていたが、ダンジョンに潜む罠はそれだけではない。

 催眠を起こすきっかけはどこにでもある。例えば処刑対象であるデビルロードの体に刻まれていたり、視覚からだけでなく"音"にも警戒しなくてはならない。常人では意識の持ちようでカバーできるとは思えない。だから、このダンジョンは全体が陰湿さに満ちているのだ。

 

 しかし、死神にとって、大抵の不可能はただ意識の違いに過ぎなかった。彼女にはそれだけの能力がある。今回もそれは変わらない。何故ならコアの魔力は有限なのだから。


「油断していました」


「デビルロードをあそこまで追い詰めるとは。お前は人間にできる限界を優に超えているな。だが相手が悪かった。迷宮主である俺が相手ではな」


「・・・・」


「これ以上悪魔とは話したくないか。まあいい。お前は危険すぎる。眠ってもらうとしよう・・・」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る