感情雑貨店グレーテア

汐海有真(白木犀)

一章 Meru, 家族の事

01

 真っ青な空に、ぷかぷかと雲が浮かんでいた。綺麗な空気を目一杯吸い込みながら、私は煉瓦道を歩く。休日だからか、年齢も外見も様々な人々とすれ違う。皆どこか幸せそうで、私はそんな平和な町に安堵していた。


 お洒落なカフェの側を通って、曲がり角を幾つか曲がって、どんどん道を進んでゆく。そうしてついに――アネモネ・ストリートが、見えてくる。


「わあ……」


 私は思わず、息を呑んでしまう。水色の門をくぐれば、そこはもう別世界だった。色々な茶色が基調となっていた町から一転して、美しい白さをした建物が立ち並ぶ。


 私はきょろきょろと視線を彷徨わせながら、初めて訪れるアネモネ・ストリートを進んだ。お店のガラスに、自分の姿が薄く反射する。淡い紫色の長髪は、今日も毛先が所々跳ねていた。


 目の前を、一匹の野良猫が横切っていく。その可憐な足捌きに、私は思わず見惚れてしまう。去っていく野良猫を横目に、歩き続ける。


 ここには聞いた通り、様々なお店があるようだった。食料品店、衣料店、アクセサリー店、本屋、靴屋、鞄屋――どれも素敵だった。


 でもお店がありすぎて、どこから入ったらいいのかわからない。私は肩から提げている小さな鞄の紐を、ぎゅっと握った。この場所はわくわくする反面、少しだけ心細かった。地面と目を合わせながら、私はゆっくりと歩く。


「いかがっすか?」


 いきなり声を掛けられたので、とてもびっくりした。私が顔を上げると、そこには一人のお兄さんが立っていた。少し長めの紅茶色の髪を後ろで束ねていて、深い青色の三白眼は私のことを見つめている。手首には、小さめの腕時計が巻かれていた。


「えっと……何が、ですか?」

「ああ、これっすよ。このチラシ、よかったらどうぞ」


 ちょっとだけ視線を落とすと、お兄さんが私に向けて一枚の紙を差し出していた。私は「あっ、ありがとうございます」と口にして、その紙を受け取る。


 私は思わず、見入ってしまう。受け取ったチラシに描かれているのは、幾つもの物のイラストだった。透明と藍のグラデーションが描かれているグラス、花をモチーフにした可愛らしいブレスレット、鳥の翼を想わせるデザインの筆記具――そのどれもが、美しく繊細に描き出されている。


 真ん中には大きな文字で、『感情雑貨店グレーテア』と書かれていた。私は不思議に思って、顔を上げてお兄さんの方を見る。


「感情雑貨……って、何ですか?」

「ああ、気になりますか? うちの雑貨屋はね、ちょっと特殊なつくり方をしているんすよ。詳しく知りたかったら、一度来てみませんか?」


 お兄さんはそう言って、目を細めて笑った。そう言われると、行ってみたくなってしまう。私がこくりと頷くと、お兄さんは嬉しそうな顔をする。


「ありがとうございます! 向こうの看板、見えますか? グレーテアって書いてあるやつっす」

「ええと……あっ、はい、わかります! 木製の看板ですよね?」


「そうっす! あそこにあるんで、見ていくだけでもぜひ。感情雑貨の説明は、店員に聞いてみてくださいね」

「そうします、ありがとうございます!」

「いえいえ、こちらこそ。それじゃ、またねっす」


 お兄さんは微笑んで、手を振ってくれた。私も手を振り返して、示されたお店の方に向かう。右手に、お兄さんがくれたチラシを握りながら。


 すぐに、小さなお店の前に辿り着いた。真っ白な壁に、どこか温かな紅色の屋根。白木の看板には、紺色の文字で『感情雑貨店グレーテア』と書かれている。


 私は意を決して、小窓の付いた扉に手をかけた。きい、と音を立てて扉が開く。



 そこに広がっていたのは――余りにも、日常離れした空間だった。

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