○ねぇ、さくら。私って――

 大きな音を立てて崩れ落ちるリズポンの身体。鼻の上に私は〈瞬歩〉を使って距離を取る。最期、リズポンが寂しそうに鳴いたような気がする。


 ――きっと、ずっと、ひとりぼっちだったのでしょうね……。


 孤独という名の耐え難い苦痛と戦っていただろうリズポンを眺めていると、ヒズワレアをたずさえたサクラさんがよろよろとした足取りでやって来た。


「お、お疲れ、ひぃちゃん……」

「ええ、お疲れ様、サクラさん。〈空間把握〉がこんなところで役に立つなんてね」

「えへへ、そうだね。おかげでわたし、いま頭ん中ぐわんぐわんしてるけど」


 そう。サクラさんが持つ〈空間把握〉のスキル。気候に関わらず、使用した時点での一定範囲内……半径5㎞以内の地形と存在を、瞬時に把握するスキル。それこそがリズポンを倒す最後の欠片になっていた。とは言え、脳への負担が大きいみたい。反動で、サクラさんはフラフラになっていた。


「……それでも。私を運んでくれて、ありがとう」

「うん、どういたしまして!」

「それじゃあ、戻りましょ……う……」

「わっ、ちょちょっ」


 胸を張ったサクラさんに微笑んだところで、私の足腰から力が抜けた。倒れそうになったところを、慌ててサクラさんが受け止めてくれる。


「セーフ……。どした、ひぃちゃん?」

「緊張の糸が、切れてしまったみたい……。ふん~……っ」


 頑張って立とうとするけれど、ダメね。身体に全然力が入らない。


「緊張……? 『怖かった』の間違いじゃない?」


 地面に腰を下ろした私に、にししっ、と、笑いかけるサクラさん。


「うっ……。それも、あったわ」

「あはは、素直。はたから見ててもだってめっちゃ震えてたし。最後、リズポンに食べられちゃうんじゃないかって本気で心配したもん」


 私の背に腕を回して支えてくれているサクラさんが、安堵の息を漏らしている。

 そう。私は無理を言って、最後にリズポンと1対1の状況を作ってもらった。だって、サクラさんは1人でリズポンに挑んだんだもの。まだ私は彼女ほど強くなれないけれど、おんぶにだっこをされながら、それでも。最後くらいは1人で立てるのだと、みんなに証明したい。

 そんな意思を、サクラさんも、メイドさん達も。みんなが尊重してくれたのだった。


 ――まぁ、メイドさんはとっても渋っていたけれど。


 過保護な姉妹を思い出すと、思わず笑ってしまう。そんな私を見て、サクラさんも優しい顔をしていた。

 少し態勢を変えて、サクラさんが膝枕をする姿勢を取ってくれる。しばらく無言で私の髪を撫でていたサクラさん。けれど、不意に、


「……終わっちゃったね」


 ピクリとも動かなくなったリズポンを眺めて口を開いた。彼女の言葉に、私の全身がかすかに緊張する。


「……ええ、そうね」


 もう、異食いの穴に脅威は存在しない。恐らく迷宮のヌシと化していたリズポンを倒した以上、じきにこの迷宮も崩壊し始めるでしょう。


「ねぇ、ひぃちゃん。わたし……わたし達、リズポンを倒しちゃった」


 優しい顔のまま私をじっと見て、ゆっくりと話すサクラさん。彼女にとって、リズポンとの戦いはある種の罪滅ぼしでもあった。大切な妹さん……シズクさんを死なせてしまった自分を許すための言い訳を、サクラさんは求めていた。


 そして、今。サクラさんは、生きている。


 リズポンを倒して、生きることを許されている。先の言葉には、その事実を噛みしめる意味合いも含まれているような気がした。


「……そうね。これがサクラさんが『生きていても良い』証明になったんじゃないかしら?」

「そう、なのかな……」


 そうだと良いな。ゆっくりと目を閉じたサクラさんは、リズポンとの戦いを静かに締めくくった。それから少しして、再び茶色い瞳を覗かせたサクラさん。膝の上にある私の顔を見て、口を開く。


「でさ。なんとなく、分かるんだ。ああ、これでお別れなんだなって」

「……え、そうなの?」


 今のところ、サクラさんに変化は見られない。結局、異食いの穴も、普通の迷宮だったのだと、私は結論づけている。だけど、サクラさんは違うみたい。問い返した私の髪を何度も撫でながら、サクラさんが空を見る。……霧深い森。空なんて見えないのに。


 ――だけど。もし、本当にお別れなのだとしたら……。


 私には1つだけ、サクラさんに言っておかなければならないことがあった。


「ねぇ、サクラさん」

「なぁに、ひぃちゃん?」


 優しい声色と顔で言って、サクラさんが私に視線を向けてくれる。これを言っても良いものか。サクラさんを傷つけることになりはしないか。ほんの少しの逡巡しゅんじゅんの末、それでも私は彼女に打ち明けることにする。私の、大切な、お姉ちゃんに。


「私、ね。とある人の記憶があるみたいなの。それも2人分」

「……そうなんだ」


 ぼんやりとだけど、自覚しているのは2人分の記憶。


「1人は、フェイさん。素体の記憶だと思う。この世界の常識を教えてくれて。ほんの少しだけ、彼にまつわる印象深い夢も、見た気がするわ」

「……ふふ、気がする、なんだ?」


 曖昧あいまいな私の表現にサクラさんは笑うけれど、仕方がないじゃない。断片的で、おぼろげな記憶なんだもの。確証を得るにはあまりにも情報が少なすぎる。……だけど、きっと。これはフェイさんが教えてくれた記憶だと思うわ。


「そして、もう1人。……サクラさんのことを知っている、誰かの記憶」


 その言葉に、サクラさんが私の頭を撫でる手を止める。これまでの旅の中で、感じてきた違和感。私には、ほんの微かに、チキュウのものと思しき記憶がある。確証を得たのは、ついさっきだけれど。


「でも、これは多分、素体なんかじゃなくて。もっと深い……たましいだったかしら? の、記憶だと思うの」

「……うん」


 世迷言よまいごと、とも言うべき私の言葉を、サクラさんは黙って受け止める。驚かない。ということは、サクラさんも薄々は察していたのかもしれないわね。だって彼女、メイドさんに引けを取らないくらい聡明だもの。


「それで、ね。さっき、リズポンに食べられそうになった時。私、その“誰か”と一瞬だけ意識を共有した気がするの」

「……わたしを、さくらって呼び捨てにした時?」


 その問いに、私はコクンと頷く。


「そう。私、サクラさんと会うずっと前から、あなたのことを知っていたんじゃない?」

「……どうだろうね?」


 あるいは、サクラさんは、もう私の言いたいことを察しているのでしょう。


「ねぇ、サクラさん。……いいえ、さくら。私って――」

「違うよ」


 結論を出そうとした私の言葉を、サクラさんがさえぎった。


「ひぃちゃんは、ひぃちゃん。……雫じゃない」


 私の中に居る人がアマシキシズクさんなんじゃないか。その結論を、他でもない、サクラさんが否定する。


「確かに、雫とひぃちゃんは似てる。初めて会った時、ひぃちゃんを信じたのも。こうやってずぅっと一緒に居たのも。確かにひぃちゃんが雫に似てたから……かもしれない」

「じゃあ――」

「でも、やっぱり違うよ。だって……」


 そこで一度言葉を区切って、何かを噛みしめるような間を置いたサクラさん。そして、はぁっ、と大きな息を吐くと、私を見つめて、


「だって雫は、死んじゃったから。わたしが、殺したから」


 泣きそうな顔で、それでも笑顔で、言う。受け入れたくない事実を、懸命に受け入れるように。


「ひぃちゃん。地球だとね? 死んじゃった人は、生き返らないんだ」

「…………」

「それに、雫は地球の人。ひぃちゃんはフォルテンシアの人。……おんなじわけ、ないじゃんっ」


 笑顔のまま、ポロポロこぼれる涙。彼女が落とす温かな雫が、私の頬を濡らす。


「雫の命日と、ひぃちゃんの誕生日が一緒。性格も、雰囲気とかもそっくりだけど、ただそれだけ。それだけなんだよ、ひぃちゃん」

「サクラ、さん……」


 火傷しそうなくらい熱を帯びる雨を止めてあげたくて、私がサクラさんの目元をぬぐおうとした、直前で。


「雫は、ひぃちゃんみたいに馬鹿じゃないし――」

「……なっ?!」


 急に、サクラさんが暴言を吐いてくる。馬鹿なのは自覚しているけれど、他人に言われるとこうも腹が立つのはどうしてかしら?! 私が反論の言葉を探す間にも、スカーレットがシズクさんではないことを証明するために、サクラさんが違いを列挙していく。


「――ひぃちゃんみたいに甘えん坊じゃないし――」

「ななっ?!」

「――ひぃちゃんみたいに、泣き虫じゃないし、弱くない」

「うっ……」


 矢継ぎ早に突きつけられる欠点に、私のちっぽけな反骨心は粉々にされてしまった。……確かに、サクラさんから聞くシズクさんの印象と、私は全く違うのよね。フィーアさん風に言うなら、シズクさんがツヨツヨで、私がヨワヨワ。似ても似つかない。


「そう、よね。むしろ私とシズクさんを一緒にするのは、シズクさんに失礼かしら」

「そう、そう……。わたしの妹は強くて、優しくて、かっこ、良くて……。人たらしで。ひぃちゃんと、そっくりなんだから……っ!」


 似ているのか、似ていないのか、どっちなのよ。なんてツッコミは、出来る雰囲気じゃないわね。それくらい、サクラさんは顔をくしゃくしゃにして泣いていた。

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